「1940年体制」:
野口悠紀雄・東京大学先端科学技術センター教授が提唱しておられる概念。
いわゆる「日本的な」制度や習慣――終身雇用、年功序列、行政指導(お上意識)、間接金融(企業が証券市場ではなく銀行から資金を調達すること)、地方交付税交付金、納税者意識の低さ(源泉徴収制度)、企業別組合、職場中心の集団主義(反個人主義)、(悪)平等主義(反能力主義)など――は、すべて日本の伝統や歴史とはまったく関係がなく、1940年頃、総力戦としての太平洋戦争(日中戦争)を遂行するための戦時体制の一環として、当時の政府の官僚たち(革新官僚)によって人工的に作られたものであるという説。
(「革新官僚」とは、国家社会主義的な政策や、官僚主導の強力な国家統制を標榜する人々。おそらく、広い意味では、当時すでに官僚であった吉田茂、宮沢喜一、後藤田正晴ら、のちに「護憲論者」となる各氏が含まれ、逆に、のちに「改憲論者」になる中曽根康弘氏らは含まれない、と筆者は思う。一般に、前者は行政改革に消極的で、後者は積極的であるようだ)
この説は、97年4〜6月、『NHK人間大学/21世紀・日本経済はよみがえるか、40年体制の克服』の中で、法令の制定年次や統計資料をもとに紹介された。
類似の概念に、堺屋太一氏の「昭和16年体制」があるらしい(筆者は堺屋氏の説のほうはよく知らないが、重要なのは野口教授の説が孤立した、例外的な説ではないということである)。