米国発・内戦司令!?
実は、筆者にとっては、この2人が「意外だった」と言ったことのほうが、はるかに意外だった。なぜなら、辞任の直前に、アメリカのオルブライト国務長官が講演で辞任を求める談話を発表していたからだ。
19日にハルモコ国会議長がスハルトに辞任を求める旨のコメントを発表し、その翌日の20日が、インドネシアが歴史上初めてオランダの植民地支配に反対を表明した記念日にあたる「民族覚醒の日」であり、反政府運動を繰り返していた学生たちが首都ジャカルタで大規模な集会を予定していたことから、この19日という日は大変に緊張の高まった日であった。
が、翌日、軍隊の大規模な動員により、学生の集会は中止させられた。集会に先立って、インドネシア最大級のイスラム団体の指導者アミン・ライスが「天安門事件のような悲劇を起こさないために、学生側は自粛を」と呼びかけたことも、20日が「無風」に終わったことの一因と言われている。
が、20日夜のフジテレビの「ニュースジャパン」で木村太郎キャスターは、「無風」の原因としてアメリカの態度を指摘した。つまり、議会関係者らの質問に対し、アメリカ国務省高官が、アメリカは86年のフィリピンにおけるマルコス政権の崩壊(アメリカが明確にマルコスを見限り、野党の大統領候補だった女性のコラソン・アキノへの支持を表明したため、マルコス政権内のアキノ国防相と、のちに大統領となったラモス軍参謀長ら軍幹部もこれに同調。アメリカはマルコスの亡命先まで用意して、退陣を促した)のときとは違って、アメリカは干渉せず、インドネシア国民の意志に任せると表明していたのだ。木村は、「スハルトはこのアメリカの態度を見て強気に出たに違いない」と指摘したのだ。
ところが、その後、アメリカのオルブライト国務長官は講演の席で、「スハルト大統領は、偉大な指導者として歴史に名を残す重大な機会に直面している云々」と述べた。しかも、別の国務省高官がこの「まわりくどい表現」について外国の元首に退陣を促すときの、外交儀礼上の表現である、と解説まで付け加えた。そして、21日のスハルトの「突然」の辞任を迎えるのである。
21日夜の「ニュースジャパン」では、レギュラーの木村の隣の席に上智大学のインドネシア情勢が専門と称する教授(名前は忘れた)がゲストとして座っていた。教授は、その日の「辞任」についてあれこれ、インドネシアの国内事情だけについて解説した。が、そのあと、木村がオルブライトの談話を指摘し、「国務長官があのような談話を出すということは、その前に、インドネシア軍内のアメリカ人脈を使って、スハルト本人へアメリカの意向が伝えられていたに違いない」と述べると、教授はやっと「インドネシアの軍人の相当数はアメリカの陸軍士官学校で教育を受けていますから」と、しぶしぶ(?)アメリカの影響を認めたのである。
筆者は、この3人のインドネシア「専門家」の態度にあきれかえっている。上智大学の教授がみずから認めたようにインドネシア軍内には「アメリカ帰り」が大勢いるのだから、CIAレベルのスパイ工作までせずとも、単純な政治工作で、アメリカがインドネシアの政情を左右できることは明らかではないか。
アメリカは全世界に影響力を持つ「覇権国家」である。かつて、英仏が世界の覇権を争った19世紀には、両帝国の対立は、イギリスが薩摩を、フランスが幕府を支援するという形で日本国内にも持ち込まれた(そして戊辰戦争で、親英派の薩摩が親仏派の幕府に勝ったことにより、以後日本の政局へのイギリスの影響力は強まり、1902年の日英同盟の締結に至る)。また、米ソが覇権を争った冷戦時代には、日本を含め、世界中で米ソ両国のスパイ機関が、政治家や市民運動や労働組合への買収工作を行い、各国の内政に干渉した。こんなことは、だれでも知っていることだ。
インドネシアのごとき弱小国家(アメリカから見れば、十分に弱小である)の政情が、軍の人脈を通じて容易に影響力を行使しうる「覇権国家」アメリカの影響を受けないはずはない。いったい、白石や佐藤はふだん何を研究しているのか、と問いたい。インドネシアの国内情勢ばかりに目を奪われ、もっとも重要なアメリカの影響力を無視したりするから「意外」などと言うのだ。それでもプロと言えるのか。「専門バカ」と言ったら、言い過ぎだろうか(筆者はこれまで何度も、小沢一郎・現自由党党首の最大の権力基盤は、ジョン・D・ロックフェラー4世を初めとする米政財界の保守本流グループであり、日本国内で小沢を支持する代議士が減ったとか、創価学会の支持が離れたとか、といった「ささいなこと」はどうでもいい、と述べてきたことを想起されたい)。
筆者は、かつての地震のコーナーで、日本の地震学者たちが、自分たちの専門が物理学であることを理由に、生物の異常行動などの前兆現象の研究をいやがることを「わがまま」と述べたことがある。しかし、地震学者の場合は「物理学者に生物学はわからない」という能力の問題があるから、まだ許せるのだ。上記の3人の場合は、インドネシア政治もアメリカ政治も、ともに同じ「政治学」や「地政学」の範疇で研究できることなのに無視する、という「横着な」態度を取るから、呆れないわけにはいかないのである。学者として、おおいに反省してもらいたい。
●上品な政治・経済学の終わり
しかし、日本の学者たちにも若干同情の余地はある。それは、彼らが永年「CIA」や「ロックフェラー」の陰謀を研究対象としないよう、教育されてきたからである。そのような「下品な」問題は、アカデミックな世界で扱うべき問題ではない、という原理原則のようなものが、日本の社会科学の世界には存在しているからである。
たとえば、97年7〜9月、NHK教育テレビの『人間大学』では、「華人ネットワークの時代」という番組が放映された。渡辺利夫・東京工業大学教授(開発経済学・現代アジア経済論が専門)が講師で、華僑資本の活動を軸に、東アジア(渡辺は中国、NIES、ASEANの総称として用いている)の発展の可能性、潜在力の大きさを展望した、すぐれて明快な内容であった(筆者はビデオに撮って全12回すべて見た)。もちろん経済の基礎的指標、すなわちファンダメンタルズなどの統計も用いて、「中国への返還後の香港経済は失速する」といった世間の偏見を打破することに努めるなど、非常に説得力があった。しかし、この番組の放映後、渡辺の「展望」の前提となっていたファンダメンタルズのほんとんどすべてが変わってしまう。
97年夏の東南アジア通貨危機に端を発する、98年のインドネシア危機は、渡辺の学説の大前提をすべて破壊してしまった。マレーシアのマハティール首相が「20年かけて築いたものが、わずか2週間で失われた」と嘆いたように、この危機は、米保守政財界の意向を受けた、ジョージ・ソロスら、アメリカの投機筋の「通貨投機」によるとことが大きい。まさに「非アカデミック」で「下品」な陰謀の結果だった。
今回の危機は、投機筋と米国防省やCIA(のような覇権国家のスパイ機関)が結託すれば 、いかなる健全で発展的な国民経済でも、一瞬にして破壊でき、三流国家に転落させることができることを示した(97年夏の時点まで、日本には東アジアの発展の可能性を疑う者はほとんどおらず、また国連もインドネシアのスハルト大統領を、経済発展を通じて貧困層を劇的に減らすことに成功した偉大な指導者として表彰したほどだった。つまり、筆者を除くと、こんにちの危機を97年の時点で予見していた者は、世界的にもほとんどいなかったのである)。極端な話、インドでも中国でもイギリスでも、投機資金の「暴力」で破壊されうるのである(じっさい、イギリスが欧州統一通貨ユーロに他のEU諸国より「遅れて参加する」のは、ソロスらの投機資金によってポンド暴落が仕掛けられ、欧州通貨制度から離脱せざるをえなかったからである。これは97年1月、NHKスペシャル「21世紀への奔流」で取り上げられた問題である。筆者は、このポンド投機は、2000年以降のユーロ通貨圏の出現によってドルの価値が低下することを可能な限り防ごうとする、米保守政財界の陰謀と見ている)。
たしかに、98年5月現在、「スハルト政権は非民主的で腐敗していたから崩壊したのだ」といった見方もあろう。じじつ、世界のメディアには論調が多数見られるが、そんなのはすべて「後知恵」だ。「腐敗」なら、霞ヶ関にもバッキンガム宮殿にも合衆国大統領のベッドの中にもある。しかし、そうした「腐敗」がすべて政権崩壊に結び付くとは限らないのは、単にスパイ機関が「崩壊させる」方向での工作を熱心に行っていないから、というだけのことかもしれないのだ。たとえば、ナイジェリアの現政権は、英米の政府とメディアから「世界でもっとも腐敗した政権」と言われて久しいが、まったく崩壊する兆しがないではないか。学者であれジャーナリストであれ、いやしくも政治情勢の分析を職業とする者ならば「腐敗した政権が、民主主義を求める市民の力で倒された」などと軽々しくあとから理屈を付けるべきでない。
学者にも投資家にも、また投資保険などのリスクマネージメントの専門家にも、もはや「ファンダメンタルズをもとに経済の成長を予測し、失業者や貧困層の数や犯罪発生率の減少を踏まえて、カントリーリスクを……」といった計算の成り立つ時代は終わった。また「私のインドネシア地域への研究の結果、ここには反華僑暴動を行うようなイスラム原理主義過激派などはいない……」と永年の研究を自慢することもできなくなった。なぜなら、投機筋の陰謀で経済不安を高めたあとに、CIAの工作員を送り込めば、容易に「過激派」を捏造できるからである。もはや、アカデミックな問題だけを扱っていればよい時代は終わったのだ。もし投資顧問会社が「ファンダメンタルズを見るかぎりこの国の経済は安定的に成長しつつありますから、投資しても大丈夫です」と言ったあとに、ソロスの投機とCIAの工作が始まって、その国の経済がズタズタになったら、どうするのだ。
きっと、渡辺は悔しがっていることだろう。97年の東南アジア通貨危機も98年のインドネシアの体制崩壊も、彼の永年の研究成果からすれば、あってはならないことだった。しかし、こういうことになってしまった以上、もはや学者たちには、自分の「永年の研究成果」を無駄にしない方法として残された選択肢は、きわめて少ない。それは、「ロックフェラー対ロスチャイルド」「CIA」「米国防省情報部」「ジョージ・ソロス」などの下品で 、きたならしいテーマを研究の中に取り入れることだ。「もはや学問的でない」などという言い訳は許されない。「上品な学問」の時代は終わったと悟るべきだ。
●アメリカの「二転三転」の謎
さて、以上のような「汚れを知った」大人の感覚で、今回のインドネシアの政変を見てみると、アメリカの態度が二転三転し、それがスハルトの態度に影響していることが、あまりにも自明なこととして認識されるであろう。アメリカが干渉しないと言うと、スハルトは強気になって居座ろうとし、「辞めろ」と言うと、すぐに辞めるのだ(アミン・ライスが学生に集会の中止を呼びかけたのも、「風見鶏」的にアメリカの意向を気にかけた結果と理解できる)。
ところで、どうしてアメリカのスハルトへの態度が、わずか2、3日のうちに変わったのだろう? アメリカ政府内が混乱していたのだろうか?
筆者は、アメリカは「わざと」態度をころころ変えた、と見る。理由は、アメリカが日本の左翼平和主義世論を一変させ、海上自衛隊(機雷掃海部隊)を海外派兵にひっぱりだすための「マラッカ海峡危機」を演出するには、インドネシアが内戦に陥ることが必要であり、そのためには、反政府(学生)運動と、それを鎮圧する軍と、双方に自信を持たせる必要があるからだ。
19日の米国務省高官の言葉で強気になったスハルトの意向を受けて、軍は翌20日に首都ジャカルタ等で予定されていた大規模な反政府集会を抑止する(開かせない)ことに成功したことで、軍が反政府運動「鎮圧」の実績を作り、自信を得たことは想像に難くない。他方、21日に結局スハルトが大統領を辞任し、辞任を求めて反政府運動を展開していた学生たちの要求が実現したことから(実際にはCIA等の工作の結果にすぎないのに)「おれたちの力で政治が変えられるのだ!」といった、まったく見当違いの、思い上がった自信を多くの学生が抱いてしまったこと、ほぼ間違いあるまい。
今後ハビビ新大統領のもとで経済状態が容易に改善されなければ(「容易に改善させない」と CIA等は決めているはずだが)学生たちのあいだでは、複数政党制の完全な実現等の民主化を求める要求が、また軍のほうでは、それが行きすぎた場合には抑えてやるという鎮圧への使命感が高まるであろう。アメリカが、スハルトへの退陣要求を当初から一貫して出していれば、軍に変な「使命感」が高まることはないだろうし、逆にスハルト支持を表明し続ければ学生側が「頭に乗る」こともないだろう。
●独裁多民族国家への複数政党制導入の「恐怖」
「学生が民主化要求をして何が悪い」「複数政党制は当然だ」と思われる読者もおられよう。たしかに、日本のような、まとまりのよい先進民主主義国家の場合は、複数政党制は当然望ましい(英、米、豪、独、台湾のような国民各層各地域の文化的な、とくに言語的な同質性の高い諸国も同様である)。日本では新党ができる場合は、それがどんなに小さな(96年に菅直人と鳩山由紀夫の2 人党首制で発足した旧民主党のように、東京と北海道にしか国政選挙の候補者を立てられない小規模な)政党であっても、すべての政党が「全国政党」をめざしているから、特定の政策に関する世論の分裂はありえても、国家国民の分裂は起きない。
ところが、ソ連や中国や旧ユーゴスラビアのような独裁(超中央集権)型多民族国家(つまり、広汎な国土と多様な民族、言語、宗教を超越して、民意と無関係にむりやり統一している国家)で、ひとたび政党活動の自由を認めれば、「○○地域独立党」や「○○民族自由党」といった政党が次々に出現し、たちまち国家が分裂状態になることは必至である。現に、ソ連も旧ユーゴスラビアも、90年代にはいって、一党独裁主義(共産主義)を棄てて「民主化」を始めた途端、ばらばらになってしまった、という厳然たる事実がある(韓国ですら、国内に金泳三ら慶尚道出身者と金大中ら全羅道出身者との根深い「地縁対立」を容易に克服できないため、反日感情を煽って「共通の敵」に対する団結を促すことでかろうじて国の統一を保っているのが実状である。したがって、旧ソ連と同様の独裁型他民族国家である中国に、複数政党制に基づく民主化を求めるのは、「分裂しろ」と言うに等しい)。
インドネシアも独裁型多民族国家であり、しかも東チモールなどには明白な分離独立運動が存在する。もし、政府が言論の自由や政党結社の自由を認めれば「国家分裂」をたくらむ勢力にも活動の自由を与えることになり、それを軍が国家安全保障上危険とみなして介入してくる(クーデターを行ったり、大統領に戒厳令を出させたりする)ことが危惧される。
アメリカは内戦を望んでいる、と筆者は思う。まず東チモールで分離独立の騒ぎを起こし、やがて「分離主義」の騒乱がインドネシア全土に波及したところで、マラッカ海峡を臨むスマトラ島で(表面上)反米・反日の「イスラム原理主義過激派」を旗揚げさせ、スマトラ島(の一部)をインドネシアから「独立」させる。さすれば、だれがジャワ島やジャカルタを支配するかにかかわりなく、半永久的にマラッカ海峡の治安を不安定にすることができる(そして、結果的に日米で支配することができる)。中国海軍のインド洋への進出阻止にせよ、日本の自衛隊機雷掃海部隊の出動にせよ、アメリカが望むとおりの戦略を、比較的少ないコストで展開できるようになるからである(アメリカはかつてパナマ運河を作って支配するため、パナマ地峡をスパイ工作によってコロンビアから分離独立させたことがある)。
アメリカのスパイ工作は下品で、ずる賢いが、これを毛嫌いしてこれから目をそむけるならば、極端な場合、次は「あなたがスハルトになる」と覚悟されたい。