●岡田監督は「強運」か?
97年12月4日(フランス現地時間)、98年ワールドカップ(W杯)サッカー・フランス大会本大会の予選リーグの組合せ抽選会がフランスのマルセイユで開かれ、日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカとともにH組にはい り、98年6月14日(現地時間)から、この順番で戦うこととなった。そして、この組では、強豪アルゼンチンを除く3か国がいずれも初出場国(つまり、あまり強くないと期待される)ことから、日本代表監督としてフランス大会に望むことになっている岡田武史監督のことを、日本のマスコミ各社はこぞって「強運」と持ち上げた。過去4回W杯に出た韓国すらいまだに本大会(の予選リーグ)では1勝もしていないことを考えると、日本は初出場の「弱小国」(失礼m(_ _)m)を相手に勝利をあげ、うまく行けばH組2位になって(本大会の)決勝トーナメント進出すら望める組み合わせだったため、岡田監督は運がいい、という趣旨の報道だった(事実、韓国の関係者は「日本はうらやましい」と口走ったそうだ。韓国は強豪のオランダ、メキシコ、ベルギーと同じE組で、またもや1勝もできそうにないからである。しかし、H組で はアルゼンチンもクロアチアもジャマイカもみんなそろって「弱い相手ばかりでラッキー」と言っているそうだから、はたして日本がどこまで幸運なのかはよくわからない(^^;))。
この大会は初出場国は日本を含めて4か国しかないのに、そのうち3か国が同じ組になるというのは、きわめて低い確率の現象で、もしこれがほんとうに公平な抽選による偶然のできごとならば、日本も岡田監督も大変な幸運とは言えることは間違いない。
しかし、幸運な要素は「H組にはいったこと」だけではないのだ。日本の予選リーグにおける幸運な要素を以下に列挙してみる。
1. 初出場2か国、とくにかなり弱いと見られるジャマイカと同じ組にはいったこと
2. 観客のすべてが敵にまわる開催国フランスと対戦しないこと
3. 日本の最大の苦手「アフリカ勢」との対戦がないこと
4. 優勝をねらえる強豪シード国(ドイツ、ブラジルなど)として南米のアルゼンチンとの対戦が組まれ、欧州勢(ドイツ、イタリアなど)との対戦がないこと
5. そのアルゼンチンとの対戦が予選リーグの第一戦であること
「2.」と「3.」については、抽選結果確定直後の記者会見で岡田監督が、日本にとって有利な要素であることを認めている。「初出場国」の残りの1か国は、実はアフリカ勢の南アフリカ共和国なのである。南アフリカとジャマイカだったら、絶対にジャマイカのほうがラクだ。
「5.」については、5日夜のフジテレビの「プロ野球ニュース」の中でサッカー解説者(Jリーグ京都パープルサンガ・ヘッドコーチ)の清水秀彦が断言している。オリンピックやW杯では、ブラジルやアルゼンチンのような優勝をねらえる強豪国は、予選リーグの初戦には「意図的に最良のコンディションで望まないようにする」傾向があるからである。彼らは優勝するために決勝トーナメントに100%にする必要があるので、初戦は60%ぐらいに調整してくるのだ。したがって、このような状態のときに対戦すれば日本といえども、勝てる可能性がある。現にアトランタ五輪(W杯と同様プロが出場できるが、年齢は23歳以下)の予選リーグ初戦では、日本はブラジルに勝っている。日本が初戦でアルゼンチンとあたることは、幸運と見て間違いない。
「4.」については、筆者の判断である。W杯では、規定により、優勝をねらえる強豪国(または開催国)がシード国とし てピックアップされされ、各組に1か国ずつばらまかれる。今回シード国は前回優勝国ブラジル、 地元フランス、以下イタリア、スペイン、オランダ、ドイツ、ルーマニア、アルゼンチンで、日本は必ずこのうちのどれか1か国と必ずあたることになるわけだが、ブラジルでも欧州でもなく、アルゼンチンだったのは絶対に幸運のはずなのだ。
まず、ドイツやイタリア、ベルギーのような欧州勢はフランスに近く、国民の暮らしが豊かなので、これらの国との対戦では、相当多くの、少なくとも数千人単位の「敵国サポーター」がフランスに観戦にやってくる。日本チームは相当激しい「敵」の野次を浴びることを覚悟しなければならない。しかし、南米から大西洋を渡って母国の応援に駆け付けるサポーターはさして多くはあるいまい。だから、どうせ強豪とあたるなら、南米勢のほうがいい。
また南米勢は、欧州勢(とくにドイツ)とは異なり、「組織戦」より「個人技」に頼ることが多いので、万が一日本が先制点をあげたりすると、終盤にはあせって「めちゃくちゃな個人プレー」に走る可能性がある。事実、アトランタ五輪の日本−ブラジル戦では、ブラジルは日本に1点リードされたあとあせって墓穴を掘り、「絶対にはいりそうもないシュート」を連発し、世界の強豪とは思えないような醜態をさらした。
さらに、同じ南米勢のなかでは、五輪で日本に負けて「今度はもう油断しないぞ」と気合いを入れてくると思われるブラジルより、公式戦でまだ日本に一度も負けておらず、そのため油断している可能性の高いアルゼンチンがのほうがいいに決まっている。
したがって、タテから見てもヨコから見ても、この抽選結果は「サッカーの神様が日本に配慮した」としか思えないような、えこひいきの産物なのである。
実は「配慮」してくれたのは「神様」でなく、国際サッカー連盟(FIFA)のトップの幹部たちなのだ。
●統計学的「偶然」
統計学の世界では、極端に低い確率の事象が連続して、あるいは同時に起こることを「偶然」とは言わず、「作為」と言う。筆者は、この日本の「抽選」結果は「作為」であると断言する(作為のトリックについては後で述べる)。「日本に勝たせる」ことは90年代以降のFIFAの最優先の基本戦略である、と思えるからである。
サッカーをスポーツビジネスとしてとらえた場合、この競技が欧州、南米、アフリカ、アジアなど国の経済力や大きさにかかわりなく、どこでも愛され、注目されている現状は望ましいものに違いない。しかし、ビジネスとして見た場合、もっともたくさん入場料やテレビ放送権料を払ってくれそうな「大口」の「お客さま」がそっぽを向いているビジネスというのは、明らかに「失敗」なのだ。すなわち、世界でもっとも豊かな2つの経済大国、日本とアメリカがサッカーそっちのけで野球やアメフトに熱狂している状況は、けっして好ましいものではないのである。すくなくとも、筆者がFIFAの幹部なら「日米でサッカーが盛んになれば、われわれはもっと儲かるはずだ」と考える。
このような考えのもとに94年のW杯本大会はアメリカで開催されたに相違あるまい。たしかに「地元開催」の効果は絶大で、アメリカでは女子サッカーなどが盛んになり、「サッカーママ」(子供をサッカー教室に通わせるゆとりのある、都市近郊在住の主婦)という新語が誕生したほどである。
ところが、依然としてアメリカ人はサッカーよりアメフトのプロリーグ(NFL)のほうが好きなのだ。94年W杯 でアメリカ代表チームのゴールキーパーとして活躍して人気を得た選手が「やはりNFLは、子供の頃からの夢」とゴ−ルキックで鍛えた脚力を武器に、NFLのチームにキッカーとして入団してしまったのである。
こうなると、もはやFIFAの頼みの綱は日本しかない。94年アメリカ大会の予選が行われた93年のカタールの首都ドーハでの戦い以来、FIFAがいかに懸命に努力して「日本を本大会に出そう」あるいは「日本を勝たせよう」としてきたか、その涙ぐましい(?)努力の数々を、 筆者の推理によって以下にご披露申し上げる。日本代表のサポーターのみなさんは、ぜひFIFAに感謝されたい。
●ドーハのひいき
アメリカW杯に向けての93年のアジア地区最終予選は、極東の日本、韓国、北朝鮮と、中東のイラン、イラク、サウジアラビアの計6か国により総当たりのリーグ戦(2位までが本大会に出場)として、「中立国」である中東のカタール(おもに首都のドーハ)で開催された(通常、W杯 の予選は対戦チーム同士がそれぞれの地元で1戦ずつ行う「ホームアンドアウェイ」方式で行うべきなのだが、アジアでは近年「イラン・イラク戦争」やイラクがクウェートを侵略した「湾岸戦争」があったため、イラン、イラク、クウェートなどの試合で「ホームアンドアウェイ」を行うと、観客が暴徒化してが敵国の選手に暴行をはたらくことが懸念される。そこで、イラクの最終予選進出が確実視されていたこのときは、「中立国集中開催」方式が採られたのである)。中東のアラブの国には、過去の侵略のいきがかりのない唯一の先進国である日本は尊敬の対象であり、湾岸産油国の王族には親日家が多いから、カタールが開催地というのは、日本にとって悪い条件ではない、と当初は思われていた(仮に、東南アジアのどこかで集中開催になった場合、もし中国が参加していると東南アジアに多数居住する地元の「華僑」は中国サポーターになる恐れがあるので、このときは東南アジアよりカタールがいいと思われていたのであろう)。
また、このときの対戦日程も日本に有利と言われていた。当時のハンス・オフト監督率いる日本代表は、その直前の1年間ほどはアジア杯などアジア勢同士との戦いでは、ほぼ負け知らずで、とくにサウジには勝ったばかりであった。日本の予選日程は、サウジ、イラン、韓国、北朝鮮、イラクの順であった。「得意な」サウジ戦で体をならしたあと、調子が出てきた中盤戦あたりに最大のライバルの韓国とあたる。これがおそらく最大の山場であろうと、日本のマスコミも予想しており、日本は最終戦のイラク戦を待たずにW杯本大会初出場を決めるだろうと期待する者が少なくなかった(その証拠に韓国戦の地上波の放送権は民放視聴率ナンバーワンのフジテレビが大金をはたいて獲得し、イラク戦のほうはお金のないテレビ東京が「つかまされて」いた。しかし、みなさんご存じのとおり「残り物には福があ」ったのである)。
ところが、いざふたを開けて見ると、日本はまず中東勢のサウジと引き分け、続いて同じく中東勢のイランに負けてしまった。この予選リーグで日本は結局「2勝1敗2分」だったが、「2勝」はいずれも極東勢の韓国、北朝鮮からあげたもので、中東勢との対戦では1敗2分だった。同じ頃、韓国、北朝鮮も中東勢との対戦では苦戦しており、このとき初めて「極東勢は中東で中東の強豪と戦うと勝てない」ことが顕在化したのである。おそらく、気象条件やサッカーの質によるのであろう(気象条件が人間の運動能力に与える影響については、古くから軍事専門家のあいだではよく知られていた。たとえばベトナム戦争に際して、アメリカ政府は北米の気候で育った自国の兵士が、そのまま東南アジアの亜熱帯にあるベトナムに行っても満足に戦えないことを知っていた。それゆえ、アメリカは多くの兵士を日本、とくに沖縄の基地に送り込んで訓練してからベトナムに投入したのである。言い換えれば、日本の気候に慣れた者、つまり「日本人」は東南アジアでは強いのである。このことは、のちに述べるように日本サッカーの歴史に重大な意味を持つことになる)。
この「誤算」によって、日本は3位になり、 本大会出場はできなかった(このとき韓国も日本と同じ「2勝1敗2分」だったが、得失点 差で日本を上回っていたので2位で本大会に出場した)。
日本はイラク戦の前半に三浦(川崎)のゴールで先制したが、後半開始早々イラクに同点ゴールを決められた。しかし、その後中山(当時ヤマハ、現磐田)のゴールで再びリードしたため、これ以降時間稼ぎをやって1点差を守りきりさえすれば勝ちだった。さすれば「3勝1敗1分」で韓国を押さえて本大会に進めるはずだった。が、ロスタイムにイラクの 同点ゴールを許し、一瞬にして3位に転落した。この場面はのちに「ドーハの悲劇」と呼ばれ、日本中の注目を集め、テレビでも何度も放送されたから、ご記憶の方も多いであろう(この「ドーハの悲劇」のテレビ中継の視聴率は50%近くに達し、日本のサッカー中継史上最高を記録した)。
しかし、日本のサッカーファンのほとんどは、「ドーハの悲劇」の前に「ドーハのひいき」があったのを忘れてはいないだろうか? 日本の2点目、中山のゴールは実は完全なオフサイドなのだ(筆者はサッカーをやったことのある友人数人に聞いてみたが、だれに聞いても答えは同じだった)。
これは「混乱のもと」になりがちなイラクへのFIFAの反感、つまり「イラクさえいなければホームアンドアウェイなど通常どおりの手続きでやれるのに」といった不満の反映ととれなくもないが、それまでの、またこのあとのFIFAの日本への「配慮」と並べてみると、やはり「日本びいき」の結果であったと思わざるをえない(べつに筆者は中山が嫌いなわけでも、日本のサッカーが弱いと思っているわけでもない。あの「2点目」がはいったときには「もらったものはこっちのもの」と思ったし、ロスタイムで同点にされたときにはわが目を疑い、放心状態になった)。
●続・ドーハのひいき
98年のフランス大会へ向けて97年に行われたアジア地区最終予選では、イラクが出てこなかったため、当初中立国集中開催方式と見られていた予選リーグの形式が、A、B2組に5チームずつに分かれての「ホームアンドアウェイ」方式の総当たりリーグ戦となった(Jリーグの川 淵三郎チェアマンは、予想外に「ホームアンドアウェイ」になったため予選の期間が長引き、Jリーグの公式日程と重なってしまったと言って困惑していた。が、これは、イラクをめぐる国際情勢を理解していれば十分に予測できたこことである。川淵が初代チェアマンみ就任したとき、彼はただのサッカー人ではなく、ビジネスマンとしても会社の経営に手腕を発揮したことがあるのでチェアマンに選ばれたのだとマスコミには紹介されていた。しかし、この予選の方式変更の際の「予想外」との発言は、彼に国際ビジネスのセンスが十分にそなわっていないことを物語っている。サッカー界も、スキー連盟などを見習って、堤義明・西武鉄道社長のような財界人をトップに迎える必要があるかもしれない、と筆者は思う)。
そして「抽選」で、A、Bの組み分けが行われたが、これもどう見ても「日本を出場させるため」としか思えない組み分けとなった。最終予選出場国は今回からアジアの本大会出場枠が増えたこともあって、10か国となったが、そのうち中東勢は5か国もあった。ところが、なぜか日本と同じ組には中東勢は1か国しかいなかったのである。すなわち、A組はサウジ、イラン、カタール、クウェート(以上中東勢)、中国となり、B組はカザフスタン、ウズベキスタン(以上中央アジア)、アラブ首長国連邦(UAE。中東勢)、韓国、日本となったのである。
ブラジル代表チームの主将のドゥンガ(Jリーグの磐田に所属)が、アジアB組のことを「世界で一番ラクな予選の組み合わせ」と言ったほど、この組み分けは日本にとって有利なものだった。日本はこの組で1位になり、ただちにフランス本大会出場を決めるものと、 すくなくとも多くのサポーターとFIFA幹部は期待していたに違いない。
万が一、日本がこの組で2位になっても、A組の2位(サウジかイランか、いずれにせよ4か国もいる中東勢のうちのどれかと予測された)と「中立国」で行われる「第三代表決定戦」に勝てば、日本は本大会に出られる。ここでも、FIFAは心憎い「配慮」を示した。「中立国」として東南アジアのマレーシアを指定していたからである。
「中東勢対日本」で第三代表決定戦を行う場合、「ホームアンドアウェイ」方式だと、日本は中東で負ける恐れがあり「危険」である。が、東南アジアで戦うと中東勢は弱く、日本は強いということが、96年にマレーシアで開催されたアトランタ五輪のアジア地区予選でわかっていたので、FIFAは「中立国一発方式、場所はマレーシア」と決めていたのだ。
ところが予想に反して日本はB組で苦戦し、韓国が圧勝して早々と1位すなわち本大会出場を決めてしまった。そして、日本でなくUAEが2位になって第三代表決定戦に進む可能性が出てきた。そこで、FIFAは急遽(UAE対サウジまたはイランという)中東勢同士の対戦になった場合(両者をわざわざ東南アジアに呼ぶこと意味はないので)中東の中立国、バーレーンで決定戦を行うこともありうると発表した。
これに日本サッカー協会は激怒した。「日本」対サウジまたはイランなどの「中東勢」の対戦をバーレーンでやるのは許せない。それは「中立ではない」と猛抗議したのである。
「親の心子知らず」とはこのことだ。FIFAは中東の強豪が日本と戦う場合、必ず東南アジアにひっぱり出して「弱くして」から日本と戦わせようと決めていたのだ。もし彼らが「中東びいき」なら、「中立国」方式でなく「ホームアンドアウェイ」方式にするはずである。それがサッカーの国際大会の常道というものだ。日本がFIFAの好意を無にして最終予選でカザフスタンなんぞに苦戦したりするから、FIFAは、当初彼らがまったく想定していなかった「UAEが出てきた場合」を考えざるをえなくなっただけなのだ(ここでも川淵を含 む日本サッカー界の重鎮たちは、国際ビジネスのセンスの欠如を露呈した。重鎮でなく「軽鎮」かもしれない。FIFAに抗議する暇があったら、もっと早くから海外の一流の指導者を日本代表の監督に迎えて予選に勝つための「正しい」努力をせよ、と言いたい。まったく国際試合経験のない加茂周のような未熟者を監督に据えて苦戦してFIFAの恩を仇で返しておきながら、そのFIFAに抗議するとは何事か。にんげんとしての道義にもとることだ)。
案の定、FIFAは「第三代表決定戦に日本が出た場合は、開催国はマレーシア」と明言した。そして、はるばる中東からこの地に飛行機で乗り入れたA組2位のイランは、時差ぼけと気候への不慣れで(FIFAの期待どおり)最悪のコンディションになっていた。日本は当然のごとく(スコアの上では接戦だったが、シュート数では圧倒して)イランに勝ち、「予定どおり」フランス本大会出場を決めたのである。
もし、日本がアジア最終予選でA組だったら、あるいは第三代表決定戦が通常どおり「ホームアンドアウェイ」方式だったら、日本はフランスには行けなかったはずだ。この意味で、日本の実力は現状ではけっして安定したものとは言えないのである。
●「抽選」のトリック
冒頭で示したとおり、FIFAは日本が本大会に進んだあとの「アフターケア」にも万全を期している。1996年のアトランタ五輪で、日本が南米のブラジルに勝ち、アフリカのナイジェリアに負けたのを見たFIFAは、日本が本大会の予選リーグでアフリカ勢とあたらないようにH組の組み分けを決め、また、南米勢とアトランタのときと似たような「有利な」条件で対戦できるようにアルゼンチン戦を初戦に「指定」したのだ。おそらく、かなり高い確率で、日本は予選リーグで1勝をあげるだろうし、場合によっては決勝トーナメントに進出するであろう。さすれば、日本中が熱狂し、サッカーのサポーターや選手が増え、FIFAにとっては万々歳となろう。
では、いったい、どうやって、FIFAは日本の初戦の相手をアルゼンチンに「指定」したのであろうか? 筆者は「抽選会」の模様を流したNHK衛星放送の番組を見ていたが、「これは簡単にごまかせる」とすぐに悟った。
筆者がこの種の「抽選」がもたらす「偶然」に疑念を抱くようになったのは、十数年前の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)の抽選の結果を見たときである。ある年三重県代表の海星高校と、長崎県代表の海星高校という、まったく同じ名前の2つの学校が出場したときのことだ。夏の甲子園の出場校は全部で49であり、その初戦の組合せは何百、何千とおりもあるから、まさか、この2チームが対戦することはあるまい、対戦したらスコアボード の表示で困るだろうな、などと筆者が思っていると「抽選」の結果、「偶然」にも両校が1回戦で対戦することになったのである(これが、主催者である朝日新聞社にとって「紙面の話題作り」にとって格好のネタになったことは間違いない)。筆者は、世の中にはおもしろい「偶然」があるものだ、と感心した次第である。
ところが、その数年後(「海星」高校ほどではないにしろ、きわめて名前のよく似た)静岡県の東海大一校と熊本県の東海大二校が出場したときも、筆者がまさか両校があたることなどあるまい、と思っていると、これまた不思議な「偶然」で、「抽選」の結果一回戦で戦うことになったのである。
冒頭にも述べたとおり、統計学では、きわめて低い確率の事象が連続して起きることを「作為」と呼ぶ。筆者は、これ以降、これらの「出来すぎた偶然」は「作為」ではないか、と疑うようになった。
高校野球の抽選は、大講堂かグランドで、衆人環視の中で行われる。各校野球部の主将が「くじ」のはいった箱にに手をつっこみ、くじの紙を取り出して係員に渡し、係員がそれを開封してそこに書かれた対戦日時を読み上げ、その瞬間に対戦日時が決まる、といった方法を採る。一見すると、きわめて公正で「作為」が関与する余地などないように見える。
しかし、夏の甲子園には「隣り合った都道府県の代表校同士が初戦であたらないように、全国を三重県を境に東西2ブロックに分け……云々」という「地域性」を重視するルールがある。これが「くせもの」なのだ。
たとえば、三重県代表校の主将が箱に手を入れて、「初日の第一試合A」のくじを引いたあと、奈良県代表校の主将が箱に手を入れて万が一「初日の第一試合B」を引いてしまったら、ル ール違反になってしまうので、この場合、鹿児島県の主将が手を入れる前に「くじ」のはいった箱の中身を入れ替える必要があるのだ。おそらく、ここに「作為」がはいり込む余地が生まれるに違いない。筆者は高校野球の「抽選会」の風景は何度かテレビで見たが、なかなか確証は持てなかった。したがって、夏の甲子園大会の主催者である高野連と朝日新聞社に対しては、失礼な断定をする気はない。
が、FIFAの場合は、あまりにも見え透いていて、否定のしようがない。オフサイドをゴールと言いくるめた93年の「ドーハのひいき」に始まり、97年のアジア地区最終予選のA、Bの組分け、第三代表決定戦の中立国開催、フランス本大会予選リーグでの組分け、と執拗に繰り返されているのだから、べつに「下衆の勘繰り」とは言われまい。
12月4日にマルセイユで行われた抽選会でも、「地域性」のルールが事前に表明されていた。本大会出場国は全部で32か国で、そのうち、欧州からは開催国フランスを含む15か国、南米からは前回優勝国ブラジルを含む5か国、以下アジアから4か国、アフリカから5か国、北中米から3か国といった構成であるため、予選リーグAからHまでの8組においては、欧州の3か国が同じ組にならないように、また他の各地域でも2か国が同じ組にならないようにすることを大原則としたのである。
加えて、冒頭に述べたとおり、開催国1か国とその他強豪7か国の計8か国は「シード国」 として最初に8組に1か国ずつ入れるというルールもあるので、この抽選会のルールははなはだややこしい。シード8か国を各組に割り振ったあとは、アフリカと北中米の計8か国を割り振り、さらにシード以外の欧州勢を割り振り、それで余った欧州の1か国とアジアの4か国と、さらにシード以外の南米3か国を8か国セットにして割り振る…………という、書いているだけで大変になりそうな複雑な抽選方法が採られているのである。
アジアを含む最後の8か国の抽選では、アジアのほか欧州、南米も含まれているので、もっとも複雑なものとなったことは確実である。残りの欧州の1国は、すでに欧州勢が2国割り振られているところへははいれないし、南米の3国はブラジルのいるA組とアルゼンチンのいるH組にははいれない。というわけで、日本を含む最後の8か国の抽選では、くじの箱(正確には、まるい半球状の器)の中身は、頻繁に入れ替えられたのである。これなら、ごまかすのは簡単だ。
筆者はけっしてFIFAの不正行為を責めているのではない。むしろ、愛国者として、FIFAの日本への手厚い「配慮」に関して感謝したいと思っているくらいだ。
●2006年の日本サッカー
さきほど筆者は日本サッカーの実力は安定したものではないと述べた。が、弱いとは書かなかった。筆者の見るところ、日本サッカーの潜在力はかなり高く(いままでW杯に出られなかったのは、韓国のように早くからプロリーグを作るなどのまじめな運営していなかったからで)おそらく数年後には、韓国は日本にサッカーではまったく勝てなくなるだろうと思っている。
その理由は、日本の選手層の厚さだ。10年ほど前、プロ野球の東映や巨人で強打者として活躍した、在日韓国人の張本勲は、韓国のプロ野球関係者から「いつになったら、韓国のプロ野球の水準は日本に追い付けるか?」と聞かれた際、「永遠に不可能」と答えている。理由は選手層の差だ。
張本によれば「日本には高校野球をやっている高校は4000校以上あるのに、韓国には56校しかない。4000と56では勝負にならない」ということであった。つまり、韓国ではまだまだスポーツは「選ばれたごく一部の裕福な家庭の子女がゆとりをもって行うもの」なのである。裏を返せば、日本のごく普通の(野球部のある)高校は、韓国の基準では「選ばれた裕福な」者たちの高校ということになるらしい(これは、サッカーについてもあてはまるはずである)。それぐらい大きな経済力の差が、依然として日韓の間にはあるということだ。
「ドーハの悲劇」のときの日本代表の選手たちは、プロといってもJリーグ1年目であり、この「ドーハ組」(三浦、中山、井原ら)はそれから4年経ったいまでも、いまだにそのサッカー人生の大半を「アマチュア」として過ごしていたという事実には変わりがない。これに対して五輪でブラジルに勝った「アトランタ組」(中田、川口、城ら)は、韓国の100倍の高校サッカー選手のなかから選りすぐられ、10代でプロになり、この五輪を含む大舞台を何度も経験してエリートとして育てられてきた(Jリーグが金にものを言わせて世界中 の一流選手をかき集め、その「一流」と戦う中で彼らは育ってきた。これは韓国の経済力では絶対に実現不可能な「育成方法」である)。彼らは、サッカー選手としてのキャリアの大半をプロとして過ごしてきた、本物のプロなのだ。
実際、彼らのプロ意識は相当なものだ。五輪でブラジルに勝ったあともみな「1つ勝っ たぐらいで喜んでいられません。ぼくらは毎日勝つのが仕事ですから」と平然と言ってのけたのだ。これは、おそらく韓国のプロ選手がいまだ一度も口にしたことのない言葉だろう。彼らはいつでも、日本を押さえてW杯出場を決めると、そのあと本大会では勝てなくなるのだから(「アトランタ組」を指導した、西野朗・日本五輪代表監督の手腕はもっと高く評価されいい。すくなくとも加茂周より国際試合の経験においてすぐれていることは間違いない)。
岡田監督の強運は抽選の結果にあるのではない。むしろ、この伸び盛りの「アトランタ組」に出会ったことにあるのだ。
日本に敗れたあとブラジルの五輪代表監督は「日本のゴールキーパー(川口)がよすぎた」と言った。また、同じくアトランタ組の中田も、96年のアジア予選を機に欧州のサッカー関係者から「世界レベル」との評価を得るようになった。これらはけっしてお世辞ではあるまい。彼らは出るべくして出た逸材なのだ。このような人材を育てるため、日本は(韓国と違って)しかるべき投資をしてきたし、彼ら「頂点」の選手を支える「底辺」も作ってきたのだから。
日韓共催で行われる2002年のW杯のとき、川口は28歳、中田は25歳である。しかも日本は今回のフランスと同様「開催国」なので「シード」される。すなわち、ブラジルやアルゼンチンやドイツのような強豪とは予選リーグでは絶対に対戦しないので、きわめて高い確率で決勝トーナメントに進めるのだ。監督の人選さえあやまらなければ、すなわち、それこそジーコのような海外の一流の指導者を監督にすれば、日本がベスト4にはいっても、なんら不思議はないと筆者は考える。
最後に余談ながら、付け加えておくと、筆者はべつに岡田監督は嫌いではない。それどころか、かなり応援している。マレーシアでの決戦の際には、選手のプレーよりも彼の「大胆な」采配のほうにしびれたほどだ。なぜ、10月に加茂周が辞任するまで、この人に指導者としてスポットがあたらなかったのか不思議な気がするほどだ。
しかし、海外から優秀な指導者を招聘することができるなら、選択肢を「日本人」に絞るべきではない。2006年の日本代表は「完全なプロ集団」になっており、しかもそのなかには「世界レベル」の選手が何人も含まれているはずである。ならば当然、監督も「世界レベル」の人材をもってこないと、釣り合いが取れないではないか。そう遠くない将来に、中田をはじめ複数の日本人選手が欧州のプロリーグの一流チームに招聘され、経験を積んでくるはずである。
監督さえ優秀なら、2006年の本大会で日本が決勝に進出する可能性は10%ぐらいはあるだろう、と筆者期待している。