●米英陰謀論の虚実
敢えて複雑な訴訟問題を引き起こしたくないので、出版社名、著者名は伏せるが、日本では、いわゆる「ユダヤ陰謀論」の本が多数出版されている。そのなかの何冊かは、アメリカをユダヤ国家とし、アメリカ保守本流グループの中核財閥ロックフェラー家と、イギリスを牛耳るロスチャイルド家がともにユダヤ人であるとして、
「両者(米英、ロックフェラーとロスチャイルド)は対立していると言われているが、実は裏でつながっているのである」
などと述べている(ロスチャイルドがユダヤ人であることは確実だが、ロックフェラーのほうがはなはだ疑問である。筆者はドイツ系プロテスタントと理解しているが、98年4月の日本テレビの『知ってるつもり』では、なぜかイギリス系としていた)。
しかし、これは事実に反する。いったい、日本人のだれが、米英が対立しているなどと言っているのだろうか?
日本の小・中・高等学校の歴史の教科書に米英関係はどう描かれているだろうか。アメリカはイギリスの植民地だったが、宗主国イギリスを相手にジョージ・ワシントン率いる独立軍が戦いを挑み、独立を達成した話は有名だ。日本人だってだれでも知っている。
が、「これだけ」である。米英が敵として戦った事実のうち、広く知られているのは、たったこれだけで、このため「彼らは独立戦争後、同じ英語をしゃべる白人同士の親近感もあって、すぐに仲良くなった」と思い込んでいる日本人が少なくない(あとに述べるように、これは明らかな誤りである)。
第一次大戦でも第二次大戦でも、米英は同盟関係にあり、ともに共通の敵(ドイツ、日本など)と戦った。戦後の冷戦時代も、米英は同盟を維持し、ともにNATO(北大西洋条約機構)の一員として、ソ連を盟主とする社会主義諸国の軍事ブロック、ワルシャワ条約機構と対峙した。91年の湾岸戦争でも、98年のイラク空爆でも、米英はともに戦闘行動を行った。
外交評論家の岡崎久彦(元外務省情報局長)は、著書『戦略的思考とは何か』(中公新書、19??年刊)の中で、米英をアングロサクソン諸国として一括し、東西冷戦時代の日本の外交・防衛政策について「アングロサクソンかスラブ(ソビエト・ロシア)かの選択」に尽きると述べている。元東大助教授の評論家、舛添要一も、米英のビジネスの手法を「アングロサクソン・ルール」と述べて一体視している。
つまり、米英が対立している、などと言っている日本人はほとんどいないのだ。上記の「陰謀論」の説はさしあたり以下のように修正されるべきである。
「両者(米英、ロックフェラーとロスチャイルド)は表でつながっていると言われているが、実は裏でつながっているのである」
これは日本語として成り立たない。
上記の陰謀論のように、単に米英を一体視するだけでなく、陰謀の主体として同一視することには、まったく合理的な根拠がない。このような陰謀論がまかり通る背景には、以下のような実にくだらない原因があると思われる。
1. 知性・教養が乏しいくせに、世の動きについていっぱしの意見を言ってみたい生意気な連中があとを絶たない(とくに系図や固有名詞をふんだんにちりばめた仰々しいタイトルのさる「ユダヤ本」の著者が、本文中で「弱冠四十七歳」と書いていたのには呆れるばかりだ。「弱冠」とは二十歳のことである)。
2. そういう連中は英語力が低く、英語コンプレックスがあるので「英語をしゃべる連中」をまとめて敵視し、みずからの劣等感を処理しようとする傾向がある(これは人種差別である)。
3. あるいは、容姿に自身のない者が(自分が美しくないのは自分固有の問題と考えるとつらいので、自分が白人でないからだ、ということにいして)「欧米」などという語を用いて白人を一括して敵視し、これまた劣等感の処理を行おうとする(筆者は、べつに白人の顔が一律に日本人より美しいなどとは思わないし、「欧」と「米」の歴史や価値観が似通っているとも思わない)。
今度もし読者の皆様がどこかで「米英一体型陰謀論」を説く者に出会ったら、その英語力と語彙力(とくに「弱冠」について)と容姿をチェックされることをおすすめする。
上記の陰謀論を正しい日本語に直せば、おそらく
「両者(米英、ロックフェラーとロスチャイルド)は表でつながっていると言われているが、実は裏で対立しているのである」
となるはずである。両者が対立していると主張する者は、日本には、この筆者を含めてごくわずかしかいないのだから。
●アメリカは「ユダヤ国家」ではない
上記の偏見に満ちた陰謀論に共通するのは、アメリカをユダヤ国家として、アメリカの中東政策を「ユダヤ・キリスト教vs.イスラム教」の宗教対立の図式でとらえようとする点である。アメリカの中東における最大の同盟国はイスラエルであり、アメリカは中東では常にイスラエルの利益を第一に考え、欧米先進諸国と人権思想や生活習慣の異なるイスラム教徒を敵視している、というのである。このような「イスラム敵視」は、ハーバード大学教授のサミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』(日本語版は鈴木主税訳で、集英社より1998年刊)なる人種・宗教の相違で生まれる文明カテゴリー同士の対立の必然性を説いたことで、増幅された。たしかに、パキスタンやサウジアラビアなど、イスラムの戒律が厳しいいくつかの国では、女性にチャドルの着用が強制されたり、窃盗犯には手首の切断という重い刑が科せられるなど、欧米人はもとより、日本人にも受け入れがたい制度や慣習があるにはある。
しかし、ハンチントンの説は、政治外交史の現実を無視した「しろうとくさい」ものである。1999年1月4日放送のNHK総合テレビの番組で、ハンチントンと討論した山内昌之・東大教授がいみじくも喝破したように、戦後50年間、アメリカの南アジアにおける最大の同盟国はパキスタンであり、中東における最大の同盟国はサウジアラビアである。「宗教的価値観が違うからといって、即敵となるわけではない」(山内)のである。
アメリカは中東においては、イスラム諸国に基地を置かせてもらって、それを安全保障・外交政策の基軸としている。1999年現在、サウジ、クウェート、トルコには米軍基地があり、イスラエル国内にあって99年5月に国家となることをめざしているパレスチナ自治区(元PLO議長のアラファトの政権)には治安維持の為CIA工作員が駐留することになっている。他方、「最大の同盟国」であるはずのイスラエルの本土には、米軍基地はない。筆者は、これはイスラエルが米国を信用しておらず、米国に「反イスラエル的な政権」ができることを常に警戒しているからと理解している。
これは専門家も含めて多くの人々が陥る落とし穴なのだが、ほとんどの日本人は、アメリカとイギリス(の利害関係や歴史の相違)が区別できないだけでなく、アメリカの保守本流(共和党)とリベラル(民主党)の区別ができないのだ。たとえば98年12月のクリントン政権のイラク空爆を指して「アメリカの中東政策は場当たり的でよろしくない」「アメリカはアラブ諸国の反感を招いた」などとする意見が日本でもアメリカでもよく聞かれたが、正確には「民主党の中東政策がよろしくない」のであって、べつにアメリカの主流が場当たり的な政策を取ったわけではない。
筆者は、これ以降注釈なしに「アメリカ」「米国」と言うときは保守本流グループ(おもに共和党)を指し、非主流グループ(おもに民主党、リベラル派、ユダヤ団体)を含まないので、その旨御記憶頂きたい。その理由は、以下のようなイスラエル建国以後の米国政権の中東政策の変遷を見れば、一目瞭然である。
1933-45年フランクリン・ルーズベルト(民主党):
サウジアラビア国王と会談し、友好関係を確立。
1945-53年ハリー・トルーマン(民主党):
国連でイスラエルの建国を認める決議案に賛成(その直後にイスラエルは建国宣言し、周辺アラブ諸国と「第一次中東戦争」)。
1953-61年ドワイト・アイゼンハワー(共和党):
スエズ動乱(第二次中東戦争)で英仏の支持を得たイスラエルがエジプトから奪ったスエズ運河を、ソ連と組んでイスラエルに圧力をかけてエジプトに返還させる。
1961-63年ジョン・F・ケネディ(民主党):
キューバ危機を契機にソ連とのデタント(緊張緩和)に乗り出す。イスラエル支持に熱心でなかった。
1963-69年リンドン・ジョンソン(民主党):
第三次中東戦争(6日間戦争)で、イスラエルがシリアに侵攻した際、ソ連がシリアを支援する動きを見せたので、米海軍の地中海艦隊をシリア沖に派遣してソ連を威嚇。結局ソ連は介入せず、イスラエルはシリア領土の軍事上の要衝、ゴラン高原を獲得。イスラエルは同時にシナイ半島(スエズ運河東岸のエジプト領土)やヨルダン川西岸(ウェストバンク)も獲得。
1969-74年リチャード・ニクソン(共和党):
第四次中東戦争のあと、キッシンジャー国務長官をして中東和平を推進させ、イスラエルにエジプト領シナイ半島を返還させ、またアメリカはエジプトの最大の援助国となる。
1974-77年ジェラルド・フォード(共和党):
キッシンジャー国務長官を再任し、エジプトとの友好関係を維持。
1977-81年ジェームズ・カーター(民主党):
在任中の1980年、イランでホメイニ師をリーダーとするイスラム原理主義革命が起き、パーレビ国王が病気治療と亡命を兼ねてアメリカに逃げ込むという混乱の中、国王の身柄引渡しを求めて過激派学生が首都テヘランの米大使館を占拠し、大使館員を人質に取り、それを革命政権が容認したため、カーターは軍を使った人質救出作戦を行って失敗。時あたかも米大統領選挙のさなかであったが、人質解放の決定権を持つイラン議会が、なぜか大統領選挙の投票日前の人質解放を拒否。このため、カーターはこの問題の失敗者と国民に評価されて落選。共和党のレーガンが当選した(イスラム革命勢力がレーガンを利した形になった。レーガン政権ができたあと、革命勢力は人質を解放し、人質はレーガン大統領に感謝した)。
1981-88年ロナルド・レーガン(共和党):
サウジアラビアに早期警戒機AWACSの売却を決め、その空軍力の増強に貢献。イスラエルからは新たな脅威として激しく非難される。
1989-93年ジョージ・ブッシュ(共和党):
サウジに米軍基地を設けて(イスラエルの手を借りずに)湾岸戦争を戦い、戦後クウェートにも基地を確保。また、旧ユーゴスラビアの内戦ボスニア和平問題では、一貫してモスリム人(イスラム教徒)を支持し、イスラエルと対立(イスラエルはともにナチスと戦った歴史を持つセルビア人勢力に肩入れしている)。
1993年-ウィリアム・クリントン(民主党):
自身の不倫もみ消し疑惑が議会やメディアで大きく取り上げられるたびに、それから国民の目をそらすためか、アフガニスタン、スーダンの原理主義テロリストの拠点や、イラクなど、イスラム教徒への空爆を実行。アラブ諸国の国民に非難される。
一目瞭然ではないか。共和党は親イスラム、民主党は親イスラエルで一貫しているのだ。アメリカが親イスラエルを国是としているかのように誤解された背景には、つまり両者が混同された原因には、以下のようなものがあると考えられる。
1. 冷戦時代、ソ連は米英共通の敵であり、またイスラエルの敵でもあったから、一見するとこの3国は密接な同盟関係にあるように見えた。他方、シリア、リビア、PLO(パレスチナ解放機構)、イランのイスラム原理主義派(ホメイニ革命政権)、王制打倒直後のエジプト(ナセル政権)などのイスラム諸勢力は明らかにソ連の盟友だった(ただし、イスラム諸勢力のうち、サダト大統領以後のエジプト、革命以前のイラン、サウジアラビアほか君主制度を取るペルシャ湾岸諸国にとっては、ソ連は敵であった)。
2. イスラム教徒の信仰や習慣について、欧米のマスメディアの大半が偏見と誤解に満ちた報道を繰り返した(あとで詳しく述べるが、たとえば米国ではテレビの3大ネットワークのうち2つまでが、イスラエル寄りの反イスラムの報道を行っていた)。
3. ニクソン政権下で中東和平合意(アラブの盟主エジプトのアメリカ側への取り込み)の中心人物だった、当時のキッシンジャー国務長官がユダヤ人であった、イスラエルの利益を最優先しているように見えた(が、彼はユダヤ団体のまわし者ではなく、れっきとした共和党員で、多くのイスラム諸国に友人を持っている)
4. アメリカ最大のユダヤ団体のリーダーが共和党員である(ただし、彼は閣僚を務め得るような共和党の有力者ではない。また、イスラエルのために働く共和党員はごく少数で、これは例外中の例外であり、。おそらく、あとで述べるように「本籍民主党、現住所共和党」の者であろう)。
5. アラブ産油国とロックフェラー陣営の国際石油資本(メジャー)がグルになって起こした第四次中東戦争とそれに続く石油危機の際に、ロスチャイルド陣営のメジャー2社(ロイヤル・ダッチ・シェルとブリティッシュ・ペトロリアム)が、便乗して利益を得てしまったので、終始一貫して両陣営が共謀していたかのように見えた。
6. 中東でアラブ諸国の支持を得るには、アメリカは軍事・経済援助などを通じてイスラエルを支え、イスラエルの親分のような振りをしてイスラエルの行動を制御したほうがよい、と共和党が考え、自身が政権を取っても「表面上」イスラエルへの支持を表明し続けた(その一方でアラブの利益を最優先にし、実質的にはイスラエルの敵となった。AWACSをサウジに売ったレーガン政権など、この典型的な例であろう)
フランクリン・ルーズベルトは民主党であるが、同じ家系のセオドア・ルーズベルトが共和党であるので「隠れ共和党員」(あるいは「本籍共和党、現住所民主党」)と見てよいだろう。類似の例として、一族郎等がみな共和党なのに、なぜか1人だけ民主党にはいっているジョン・D・ロックフェラー4世・ウェストバージニア州選出上院議員、超党派の支持で下院議長に就任したことのあるトマス・フォーリー現駐日大使、それにクリントン政権で現在のコーエン国防長官の前の国防長官であったペリー北朝鮮問題担当政策調整官があげられよう。
●アメリカの石油・イスラム重視政策
○世界の主要なウラン輸出国
カナダ(キ)(英)
オーストラリア(キ)(英)
ニュージーランド(キ)(英)
南アフリカ共和国(キ)(英)
ナミビア(キ)(英)
ペルーやカザフスタンはまだ石油生産を本格化していないが、近い将来確実に輸出国になると思われている。とくにカザフスタンは、アゼルバイジャンとともに、最後の大油田地帯と言われるカスピ海に面しているため、確実である。中国は石油産出国であるが、産出量が国内の需要をまかなうほどでないので、輸入国である。
実はアメリカも石油輸入国である。が、米軍が戦時用の地下備蓄と称して相当数の油田を抑えていて、民間で掘ることが許されていない油田がかなりあり、石炭も豊富なので、その気になればいつでもエネルギーを自給できる。
筆者が高校や大学で学んだアメリカの歴史によれば、アメリカは自らの「裏庭」である中南米を旧大陸勢力(欧州諸国)の干渉から守り、自国の勢力圏とすることを、安全保障上や経済権益のための国是としていた、ということだった。この国是を体現している機関が、おそらく米州機構であろう。米州機構はアメリカを盟主とする、中南米諸国のほとんどすべてが加盟した機構である(が、カナダは英連邦加盟国なのではいっていない)。
また、アメリカ自身が元植民地だったので、英仏などの植民地にされている第三世界諸国に同情的で、国際連盟の設立を提唱したウィルソン大統領は「民族自決」(植民地反対)を唱えたこともよく知られている。第二次大戦後、多くの植民地が、このウィルソンのイデオロギーを使って独立し、英仏などの支配から離れた。
上の表を見て明らかなように、世界のほとんどの産油国はイスラム教国か米州機構加盟国である。
アメリカの歴史は東海岸の石油の出ない13の州から始まったが、西へ西へと開拓を進め、西部のテキサス州、カリフォルニア州で大油田に遭遇する。ウラン産出国である(が、石油のほとんどない)カナダには目もくれず、ひたすら西へ進み、そのあと中南米の確保に腐心し、さらにロシア帝国から油田のあるアラスカ(ロシアは売った当時は石油があるとは知らなかった)を買収する(結果的に、アメリカはひたすら石油を求め、ウランをあまり重視していなかった、と言える)。
イギリスもいくつかのイスラム国家、産油国を植民地化したことがあるので、その縁でいくつかの国を英連邦に加盟させているが、アメリカの画策ですぐに実質的な支配権を失ってしまう。たとえば、サウジアラビア王国建国以前の米英の攻防などは、英国の敗北の典型的な事例であろう。同王国建国前、トルコ帝国の衰退で力の空白が生まれたアラビア半島は、イスラムの聖地メッカのある地域ではあるが、日本の戦国時代さながらの「群雄割拠」の様相を呈していた。そこで、アメリカはサウド家を、イギリスはハシム家を推して対立した(ハシム家を押したイギリス軍の情報将校はトーマス・エドワード・ロレンス大尉、いわゆる「アラビアのロレンス」である)。しかし、サウド家がハシム家との(関ケ原の戦いのような)決戦に勝ち、サウジアラビアが生まれ、イギリスは世界最大の産油国を失う。
イギリスは石油よりもむしろ、ウラン(原子力発電)を重視しているように見える。カナダ、オーストラリア、南アフリカなど、ウラン産出国ばかりを選んで大量の白人移民を送り込み、安定した関係を築いてきたからである。アラビア半島(サウジ)を失ったイギリスは、それに代わる中東の橋頭堡を確保するためであるかのように、アメリカの民主党とともにユダヤ人国家イスラエルの建国を推進し、パレスチナの地からアラブ人イスラム教徒を追い出してしまう。建国にあたってイスラエルの最大の都会であるテルアビブ市のインフラのほとんどは、実はイギリスのユダヤ人貴族ロスチャイルド家の莫大な寄付でできており、このため同市には「ロスチャイルド通り」がある。
しかし、イスラエルの首都エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3 大一神教共通の聖地なので、それぞれの宗教の地区に別れている。このうちイスラム教徒地区には、なんと「ロックフェラー美術館」なるものがあり、イスラム美術の粋を集めて展示している。
米英は断じて一体でないし、アメリカはユダヤ人国家ではない。英米がともに「英語をしゃべる白人」の国であることをもって、あるいはアメリカがもともイギリス領、つまりイギリスと同じ国家を構成していたことをもって、「似たような国」であると判断するのは浅はかなことである。もし、そんな考えに立つなら、以下のような判断が国際社会で普遍的に妥当することになろう。
1990年代アフリカのある国の人が、自国に国際イベントを招致しようと考えていたところ、A国とB国がそれぞれ開催に名乗りを上げ、凄まじい招致運動を展開したため、そのアフリカ人はあっさりあきらめた。その後、A、B両国の争いは激化する一方となったので、そのアフリカ人は、いったいどっちが勝つのかと興味深く眺めていたら、なんと土壇場で両国は「引き分け」に持ち込んでしまった。いちおう国際機関の仲介によって決まったということになってはいるが、A、Bはつい最近まで1つの国だったわけだし、人種的にも言語的にもかなり近いという事実がある。そこでアフリカ人はこのように断定した。
「両国は『似たような国』だから、仲がよくて裏でつながっているんだ」
賢明な読者の皆様にはもうおわかりであろう。A、Bとは、日本と韓国のことであり、国際イベントとは2002年のワールドカップサッカーのことである(日韓両国民は同じウラル・アルタイ語族なので、両国の言語は西洋人などの耳にはほとんど同じ言語として聞こえるらしい)。外から見て軽々しく「似たような国」と判断するのは、その国の歴史や事情を知らない部外者の無理解の産物にすぎない。たしかに、イギリスとアメリカには似たような制度や習慣があるが、それは日本と韓国とて同じことである。英-米、日-韓の関係は、ともに「制服者-植民地」の関係であり、もともと1つであった国が外敵によってむりやり分割された東西ドイツの関係などとはまったく異なる。英国には貴族がいるがアメリカにはいない。アメリカは貴族制度を否定して生まれた自由と平等の国であり、根源的な価値観においてイギリスとは異なっている。だから、ジョージ・ワシントンは反英独立戦争を戦ったのだ。
●保守本流対リベラル派〜米英暗闘の始原
おそらく、アメリカ合衆国の起源は、1642年にイギリス王国で始まった清教徒(ピューリタン)革命であろう。ここで、キリスト教と「自由と平等の理念」と普通選挙と共和制を主張する人々が立ち上がり、国王の専制政治を終わらせ、さらに国王を処刑したが、革命派のなかから軍事独裁者クロムウェルが出たため、革命派のなかの穏健派は王党派と妥協し、王政復古によって秩序を回復させた。これ以降イギリスは「国王は君臨すれども統治せず」の立憲君主制度に向かって進み、議会制民主主義の先達となる。が、庶民の人生の出発点に著しい不平等をもたらす貴族制度は、さまざまな「へりくつ」とともにそのまま残り、こんにちに至っている。
清教徒たちは、もはや古い歴史(とそのなかで生まれた貴族などの名門の家系)がある国では、自分たちの理想は実現できない、と観念したのであろう。海の彼方にある新大陸、貴族制度の旧弊のない処女地アメリカを目指し、そこを開拓して理想郷の建設をめざす。しかし、イギリスの不平等主義者はそこにもやってきて、清教徒たちが苦労して農地など開拓してようやく成果があがった頃に「税金をよこせ」と言った。
にもかかわらず、イギリスはアメリカの開拓者たちに選挙権は与えなかった。議会に代表を送ることは認めず、ひたすらイギリスのために貢げという意味である。開拓者たちは思った。
「代表なくして課税なし」
いずれ、このアメリカも「名門貴族の荘園」にされてしまうと感じた開拓者たちは、イギリスから独立することを決断する。
しかし、1776年、ジョージ・ワシントンが独立戦争を起こしたとき、イギリス領アメリカにいたすべての住民が1 人残らず反英感情を持っていたわけではない。独立戦争に勝ったワシントン一派は、当然「建国の父」として、憲法や議会制度、経済政策、国防戦略など、国家の中枢について着々と建設を進めていくことになるが、参加しなかった者やイギリス側に与(くみ)した者は(アメリカで開拓生活を永く送っていれば)いまさらイギリスに帰るわけにもいかないので、アメリカにとどまることになる。
当然のことながら、この「イギリスの手先」どもは、独立国アメリカにあっては「非主流派」ということになる。近所付き合いもせずに黙って暮らしていればスパイとみなされるかもしれないし、主流派からどんな差別や迫害を受けるかわからない。そこで、彼らは、社会的弱者を救済するボランティア活動などを始め、またそうした弱者の権利擁護を、主流派の「建国の父」たちが定めた合衆国憲法の「自由と平等」の理念(のうちの「平等」の部分)を使って主張することになる。いわゆる「リベラル派」の誕生である。
のちにユダヤ移民が増えてくると、ユダヤ人が世界各地(といっても第二次大戦前までは、実際には、ほとんどロシアと東欧だけ。西欧の「宮廷ユダヤ人」はみな大富豪だったしイスラム世界のユダヤ人は信仰や結婚の自由を保障されていた)で迫害された少数派だったため、その大半はこのリベラル派に合流した。同じような理由で、女性解放運動、黒人解放運動、アイルランドやイタリアなどからのカソリック系移民もこれに加わり、いつしかリベラル派の党「民主党」は、第二次大戦後は米連邦議会下院で恒常的に多数派を占めるようになる(この結果、口の悪い白人男性は民主党のことを「ユダヤ人と黒人の党」などと言うようになった)。
しかし、主流派の立場で言うと、リベラル派、などというのは正義の味方でもなんでもない。その理由はイギリスとの戦いは、1776年(〜1873年)の一回で終わったわけではなく、その後も執拗にイギリスはアメリカの再植民地化を目的として、陰に陽にアメリカに干渉し続けたからである。
1812年、カナダ駐留イギリス軍が北からアメリカ本土を侵略し、首都を襲い、ホワイトハウスに火をかけた。もちろん、中に合衆国大統領がいれば焼き殺されたはずだが、イギリスは本気でそれを狙っていた。
つまり、イギリスは合衆国大統領を戦闘行動で虐殺しようとした、歴史上唯一の国である。ソ連もナチス・ドイツも日本も一度もこんな恐ろしいことを考えたことはない。アメリカの最大の敵がイギリスであることが、このときはっきりした。が、この1812年戦争(第二次独立戦争)について知っている者は、すくなくとも日本人のなかには非常に少ない。
この戦いは、1814年のニューオリンズの戦いで、イギリスが敗北したことを契機にアメリカの勝利に終わる。以後、イギリスは直接的なアメリカ侵略をあきらめ、他方アメリカでは愛国心が高揚し、またイギリス貴族への劣等感が払拭され、さらに中部、西部へと領土を拡張していくうえでの橋頭堡(ニューオリンズのあるルイジアナ州)を確保した(このルイジアナの隣の州がこんにちの「石油大国アメリカ」を考えるうえで重要なテキサスである)。
このとき、前節で述べたように、あたかも対米敗戦を招いた責任を問うかのように、大英帝国を支配する伝統的な名門貴族は全員破産し、ユダヤ人貴族のロスチャイルド家が、それらすべてに取って代わって、新たなイギリスの支配者になる。
この新たな支配階級の指導のもと、イギリスはふたたびアメリカに干渉する。19世紀にはいって、アメリカ合衆国内で農業中心の南部(輸出品に国際競争力がある)と工業中心の北部(まだ国際競争力がないので貿易自由化に反対)に貿易政策と奴隷制度について著しい考え方の違いがあることに目を付け、南部諸州をそそのかして、合衆国から脱退させたのである(「貿易自由化」とは即「イギリス製品を輸入せよ」という意味である。日米貿易摩擦ならぬ「米英貿易摩擦」である)。
1861年、共和党のリンカーン米大統領は、奴隷制度維持を主張して分離独立した南部連合政府を攻撃し、南北戦争が始まった。戦争は1865年に、北軍、つまりリンカーンの率いる合衆国軍隊の勝利で終わり、アメリカは再統一された。戦後、リンカーンは奴隷解放を宣言した。
しかし、戦いが終わったとき、何万人ものアメリカの若者が殺し合い、死傷していた。イギリスのせいで、イギリスの貴族どものせいで、大勢のアメリカ人同士が殺し合い、国家が存亡の危機に立たされたのだ。
「イギリスを破壊せよ。イギリスの貴族制度、君主制度を終わらせよ。さもなくば、いつかアメリカは滅ぼされてしまう」
アメリカの主流派(共和党。筆者は「保守本流」と呼ぶ)が、こう思ったとしてもなんの不思議もない。
最近、歴代のアメリカ大統領はみな、就任式においては『新約聖書』に手を置いて宣誓することを慣例としているが、これは「イギリス対策」であろうと筆者は思っている。
アメリカは自由と平等の国で、かつ移民の国なので、イギリス人であろうがユダヤ人であろうが、移民したいと言ってやってくればこれを拒否できない。しかし、イギリスのユダヤ人貴族ロスチャイルド家が、自分の身内を大勢の子分たちとともに、アメリカに移民させたらどうなるだろうか。アメリカにはワイオミング州やアリゾナ州のような人口の少ない州がたくさんある。たとえば、アリゾナに大勢のメキシコ人などスペイン語系移民が流れ込み、多数派となり、州議会に大勢の代表を送り込んで「スペイン語を公用語とする」と民主的に法律を作って決めたら、合衆国憲法の規定ではそのとおりにしなければならない。とすると、何万人ものロスチャイルド家の一族郎党がやってきて、どこかの州が「占領」され、「民主的に」合衆国からの脱退などの反米的な決定をすることも制度上当然可能なのだ。また、大統領になるには憲法上、移民ではなく、出生によって米国籍を取得している必要があるので、「ロスチャイルド家の息子」がイギリスからアメリカに渡ってもすぐには大統領にはなれない。しかし、孫の代まで待てば、それは可能である。
これはアメリカのジレンマであって、移民に寛大な国是を実践していくと、こういう「侵略者」にも寛大になってしまうのだ。
そこで、おそらく「ロスチャイルド家の血をひく者たちは絶対にアメリカ大統領になれない」ことを(憲法上差別的な規定を設けるわけにはいかないので)「慣習上」確定するため、「『新約聖書』に手を置く」ことを事実上の鉄則としてしまったのだろう。言うまでもなく、ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』だけなので、これでユダヤ人貴族の米国乗っ取りは不可能になった(が、「敵もさる者」と言うべきか。イギリスの貴族は、アメリカの貧しい家庭の子弟をイギリスの貴族の家にホームステイさせ、名門大学に留学させ「徹底的に劣等感を植え付けて帰す」ため基金「ローズ奨学金」なるものを作った。たとえば、クリントン大統領は若いときこの基金の世話になったため、おそらく個人的には「イギリスにはあたまがあがらない」と思っていることだろう)。
クリントンの対極にあるのが、同じ民主党の大統領ながら、おそらくケネディであろう。彼はアイルランド系移民の孫で、彼の祖父がアメリカに渡った当初、就いた職業は「どぶさらい」だった。が、次の(父親の)代に事業に成功して富裕になり、アメリカンドリームを体現すると、息子を大統領にする夢にかけた。アイルランド系は非主流なので、「リベラルな民主党員」になったが、他の民主党員とはかなり違った。それは、イギリスの植民地にされ永年貧しい境遇にあったアイルランドの人々が持つ、独特の反英感情であった(アイルランド系市民団体は、第一次、第二次大戦でイギリスが苦況に陥ったとき、アメリカは助けるべきでない、と主張する市民運動を展開した。このためか、アメリカの援軍は、イギリスが植民地や領土を大幅に失ってどん底になるまで派遣されなかった。また、北アイルランドの反英テロ集団IRA に資金援助をしてきたアイルランド系アメリカ人は少なくない、と言われている)。このせいか、ケネディは、あまりイスラエル支持に熱心でなかった。ケネディもある意味では「現住所民主党」の範疇に入れることができるのではないか、という仮説を筆者は持っている。
上記の表で、民主党の大統領のうちイスラエル寄りでなかったのはルーズベルトとケネディだけだが、注目すべきは、この2人はともに死亡によって大統領職を去り、後任 は副大統領から昇格したということである。そして、その後任の大統領たち、トルーマンもジョンソンも、まるで待ちかねたかのように、就任するとイスラエル寄りに外交国防政策の舵を切り、イスラエル建国の承認や 6日間戦争(第三次中東戦争)における艦隊派遣を決定する。もし、ルーズベルトの急病死とケネディの暗殺がなければ、イスラエル共和国という国家は今頃存在していないのではないか、と思わざるをえない。
さらに、大統領だけではなくて、米軍および米国務省の高官にも、ユダヤ人は慣例上就くことができないのではないか、という感じを、筆者は抱いている。筆者は、1998年の年末ワシントンDCを訪れ、国防省を訪問した。
米国防省はその建物の形が五角形であることから、ペンタゴンと呼ばれる。このペンタゴンは、世界最大のオフィスビルで、実は一般に公開されおり、ワシントンの観光名所の 1つになっている。パスポートを見せ、金属探知機のチェックを受けたあと、20人ぐらいずつ1 組になって2 人の職員(もちろん軍人)の案内でペンタゴンの長い廊下を巡る1 時間半ほどのツアーに出るのである。
ツアー中ビデオカメラは使えないが、通常のカメラによる撮影は(ドアの開いたオフィスの内部と、職員以外は)可能である。というより、案内役の軍人が、ここで撮ったら、と促すことさえある。ペンタゴンはあくまでオフィスビルであって、べつに軍事基地ではないので軍事技術上の機密があるわけではない。だから、当然と言えば当然なのだが、そのあまりに「オープンな」態度には、驚かないわけにはいかない。何しろ「ハイ、ここは空軍長官の部屋」「海軍長官の副官の部屋」などと案内されながら、ほんものの軍高官の部屋の前を通るのだから(米英によるイラク空爆の直後ということもあり)筆者はかなりドキドキした。
時期がちょうどクリスマスからニューイヤーズデー(1月1日)にかけての中間の、いわゆるクリスマス休暇の最中だったので、国防省内でも、各部屋のドアにはクリスマスの飾り付けが施されていた。空軍長官ら高官の部屋ばかりか、国防省人事部の部屋にも…………と、筆者はこの「人事部」の飾りを見たときに、ふと思った、
「キリスト教徒でない軍人、たとえばユダヤ人がこのクリスマスの飾りを見たら、どう思うだろうか?」
軍には高度の公共性があり、その人事部には最高度の中立性が求められるはずである。にもかかわらず、クリスマスという一宗教を特別扱いしたかのような表現がなされることには、あたかもキリスト教がアメリカの国教であり、ユダヤ教徒は軍にいてはならない、と「宣言」していることにならないか。言うまでもなく、ユダヤ教にはクリスマスはない。キリストやマリアへの敬意もない(ただしイスラム教徒はキリストやマリアを尊敬する)。軍の高官がこぞって自分の部屋のドアにクリスマスの飾りを付けているところを見せ付けられれば、ユダヤ人の軍人は出世をあきらめてしまうのではないか、という気がする。筆者も、この「無言の圧力」にはユダヤ人への同情を感じないわけにはいかない。べつにすべてのユダヤ人がイギリスやロスチャイルドの手先ではないのだから(そして、ロスチャイルドがいま現在、アメリカの中東政策はともかく、アメリカの存在そのものに異を唱えるはずはないのだから)、はたして、ここまでする必要があるのだろうか、と疑問を感じずにはいられない。
●「ユダヤ系のメディア」の攻防
1991年、湾岸戦争開戦に先立って、イラクのサダム・フセイン政権は「西側のメディアはみな『ユダヤ系』で、アラブ諸国の悪口ばかり書くので出ていけ」と、アメリカのニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ABC テレビなどをはじめ西側のほとんどすべてのメディアの記者を国外に追い出した。ところが、米 CNNだけは「アラブの言い分も伝える公正なメディアなので、残ってよろしい」として取材許可を与えた。この結果、湾岸戦争開戦のニュースはCNN の独占スクープとなった。ニューヨークに本拠を置く既存の 3大地上波テレビネットワークに対抗して、南部の田舎のアトランタに本拠をかまえ、衛星とケーブル回線を使って有料で24時間ニュースばかり流すという、まことに奇妙なメディアにすぎなかったCNN が、この瞬間に「世界のCNN 」になった。これはCNN とその創設者のテッド・ターナーが、米保守本流に属していることが世界に明らかになった瞬間でもあった。
「ユダヤにこだわると世界が見えなくなる」と安っぽい「ユダヤ陰謀論」の本が売れることに警鐘を鳴らす意見があることは筆者も承知しているし、同感である。しかし、ユダヤ系とそうでないものを区別することは、重要である。上記のサダム・フセイン政権の決断にはっきり表れているように、その違いはかなり明瞭に存在するからである。
ただし、ここで重要なのは、「人脈的」にユダヤ系かどうか、つまり、イギリスのユダヤ人貴族ロスチャイルド家につながっているかどうか(イスラエルの利益を重視し、アラブ・イスラム諸国を敵視しているかどうか)ということであって、宗教的、人種的に、血統的にユダヤ的であるかどうかは、どうでもいい(テッド・ターナーやロックフェラーが宗教として何を信じていようが、近い祖先にユダヤ人がいようがいまいが、そんなことはどうでもいい)。
誤解を防ぐ目的で、筆者は、米非主流派(リベラル派)や民主党、ロスチャイルドにつながる企業や個人を「イギリス・ユダヤ系」という言い方で「保守本流」から区別することにしている(ちなみに「米保守本流」には、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント、略してWASP、つまりイギリス系のプロテスタント系白人が多いが、ドイツ系のロックフェラーや、黒人のコリン・パウエル元米軍統合参謀本部議長、そしてアイルランド系カソリックのレーガン元大統領もいるので、人種や宗教での区別はあまり意味がない)。
1973年の第一次石油危機以降、国際社会で発言力を強めたアラブ諸国は、イスラエルを利する「ユダヤ的な企業」を「アラブ・ボイコット・リスト」に列挙して取り引きを拒否し、制裁を加えた。その筆頭はコカコーラだった。コカコーラの社員にユダヤ人が1人もい なくても、イスラエルを利することをすれば「ユダヤ系企業」ということになる。逆にライバルのペプシの社長がユダヤ系であっても、彼が儲けるためにはアラブ諸国へ輸出するしかないと判断してアラブ諸国の要求を受け入れれば、「非ユダヤ系」ということになる。つまり、世界の市場においてライバル関係にある企業同士は、必然的にどちらかの陣営に組み込まれざるをえない状況にあったのである。
この結果、世界中のほとんどすべての企業は、親アラブか親イスラエルか、保守本流かリベラルか(ロックフェラーかロスチャイルドか)といった二者択一を迫られることになり、2 つの陣営に「編成」されてしまった。
といっても、「我が社はユダヤ系です」と看板をかけている会社は1 社もないので、両者を区別するのはかなり難しい。個別の業界ごとの提携関係やライバル関係などについて、かなり詳細な知識がないと不可能なめんどうくさい作業である(「米英が裏でつながっている」と称する安っぽい「ユダヤ陰謀論」は、両者を区別する作業をめんどうくさいと感じた「怠け者」が、個々の業界ウォッチングをサボるために考え出したに相違ない)。
この分類に挑戦した著書としては、元ハーバード大学研究員の藤井昇の『ロックフェラー対ロスチャイルド』(徳間書店、1994年刊)が有名で、98年 4月に放映された日本テレビの『知ってるつもり』のロックフェラーを取り上げた回でも紹介された。しかし、筆者は最初にこの本を手にしたとき、藤井には悪いがすぐには信じなかった。例によって「ユダヤ陰謀論」の一種かと思ったからである。が、筆者の持つコンピュータ業界の合従連衡関係に関する知識をあてはめると、若干の修正は要するものの、藤井の説の、情報・電気電子産業界についての分類が、かなりの程度合理的なものとして納得できたので、それ以降しばしば参照することにしている(ただし、全部信じているわけではない)。
しかし、あまり知識がなくても区別できる業界がある。それはアメリカのテレビ業界である。昨今はNHK の衛星放送などで米英のニュースがそのまま見られるので、それを毎日見ていれば、容易に区別ができる。1984年と1996年のアメリカでのオリンピックで、藤井の分類の正しさが露骨に証明されたのである。
1984年のロサンゼルス五輪の開会式において、例によって各国選手団の入場行進があった。直前にソ連など東側諸国のボイコットがあったので、それにもかかわらず参加した社会主義国家の中国、ルーマニア、ユーゴスラビアに対して割れんばかりの拍手と歓声が会場を埋め尽くしたアメリカ人の観衆によって浴びせられた。が、イスラエル選手団の入場のときにも、中国やルーマニアに対するのと同様の、いやそれ以上の拍手が送られた。そこで、筆者は「入場券を買えるのは金持ちが多く、ユダヤ人には金持ちが多いので、こういう場所にはユダヤ人観衆が大勢いて、こういう反応を示すのが普通なのか」と思ってしまった。ちなみに、この五輪の米国内における放映権はABCが独占していたから、開会式を 仕切ったのもABCだった。
1996年、テッド・ターナーが建設した「ターナーズ・フィールド」で、アトランタ五輪の開会式が行われた。筆者はイスラエル選手団の入場行進に注目していた。はたして、イスラエルの名が告げられたとき、観客はどう反応するか…………なんの拍手も起こらなかった。おそらく、このとき入場券は、アメリカの人種別の人口比率に従って正しく配分されていたのであろう。ユダヤ人はアメリカには600 万人しかいない。アメリカの総人口の2 〜3%にすぎない。そんな国で、イスラエル選手団に対して「地元」のような大歓声があがることなど、きわめて不自然であり、本来ありえないはずのことだったのだ(つまり前回の「大歓声」は演出されたものだったのだ)。ちなみに、このときの国内放映権はNBCが 独占していた。
これによって、米3大ネットワークのうちABCがイギリス・ユダヤ系、NBCが保守本流系で あることがはっきりわかる(ちなみにNBC本部は、ニューヨークのロックフェラー・センター・ビル内にある)。実はNBCにも「演出」があって、イスラエル選手団の名が呼ばれ る直前には、なぜかカメラを数秒間だけ貴賓席のクリントン大統領を映すように切り替えていたし、サウジアラビア選手団の入場に際しては同じく貴賓席のサウジの皇太子をアップで映すこともした。この開会式を日本に中継したNHK のブースには当時スポーツキャスターだった原辰徳・現巨人軍コーチがいたが、彼がいみじくも「東洋的な音楽」と言ったように、この開会式の最初と最後には、イスラム教のコーランの吟詠のような声とメロディ−が流れたのである。そして聖火の最終ランナー(聖火台への点火者)はイスラム教徒のモハメッド・アリだった。
この「NBCの開会式」が、アメリカユダヤ国家でないことをアピールすること、「イスラエ ルのまわし者」はクリントンらのリベラル派だけで、ロックフェラーらの保守本流は関係ないことをアピールするためのものだったことは、疑う余地がない(サウジの王様やアラブ各国の指導者が見て大喜びしたであろうことも想像に難くない)。
1997年5 月、イスラエルの諜報機関がアメリカでスパイ行為を働いていたことが発覚した。クリストファー米国務長官がイスラエル支配下のパレスチナ自治区を統治するパレスチナ解放機構(PLO )のアラファト議長への秘密の書簡のコピーを、イスラエルのスパイが入手しようとしたのである(これによって、アメリカとイスラエルには利害の一致も信頼関係も何もなく、両者は対立しているのだということがはっきりした)。CNN はこれをトップニュースの扱いで報じたが、同じ日に放映されたPBS (公共放送)の『レーラー・ニュースアワー』(日本ではNHK 衛星第一放送が毎週火曜日から金曜日の午後2 時と深夜 3時30分から放送)では、このニュースをまったく扱わなかったばかりか、「スイス銀行」の話題と「米国における情報公開の不完全性」の話題を取り上げたのである。前者は、第二次大戦中ナチスの強制収容所で死んだユダヤ人の財産がナチスに奪われスイス銀行に預けられたが、スイス銀行(現ユニオンバンク・オブ・スイッツァランド、略してUSB )がナチスの崩壊の後それを没収してしまった(ユダヤ人遺族に返すべき)という「お涙頂戴」のネタ。後者は、国務省はどうでもいい情報まで機密扱いにしすぎるのでアメリカ民主主義の情報公開の精神にそぐわないのではないか、という批判的な討論であった。
なるほど、このPBS の報道はだれが見ても「偏向」報道であろう。いやしくもアメリカに対してスパイ行為を働いた国をかばっているのだ。「ここまでやるか」と筆者は思わず感心してしまったほどだった(PBS は公共放送といってもNHK のような巨大なネットワークを持っているわけではなく、 3大ネットワークの恩恵の及ばない過疎地などに「公共的なニュース」を社会福祉的に提供するために、民主党が作った制度である。共和党はこれをつぶしたがっているそうだ)。
CNNができる前の1970年代まで、テレビはABC、CBS、NBCの地上波3大ネットワークしかなかった。このうち、ABC、CBSがイギリス・ユダヤ系で、NBCだけが保守本流系だった。読者のみなさまはこの「布陣」を見て「アメリカ国民の見るニュースの2/3がイスラエル寄 りだったのか」と思われるだろうが、実はそうではない。
日本の場合NHKが難視聴解消のために、民放のテレビ電波も中継できるアンテナを各地に 立て続けたので、全国どこへ行っても鮮明な画像でテレビが見られる。たしかに山間地では画像がよくないこともあるが、日本国民の80%は都会に住んでいるので、国民の大多数 は、NHKと民放あわせて数チャンネルのなかから好きなものを選んで見ることができる。
しかし、アメリカではそうはいかない。まずアメリカ国民の80%は田舎に住んでいる。田舎では 、日本におけると同様、地上波テレビの場合は都会ほど鮮明な画像で見ることはできない。とくにNHKのような強力な公共放送がなく、3大ネットワークが互いにライバルとして激しく競っているような状況では、各局は、自分たちの視聴率をあげるためだけにアンテナを設置していくのであって、別に他の局のためのアンテナなどは設けない。この結果、国土の広さと局の難視聴解消予算の制限(彼らは人口の少ないところに高いコストをかけて設備を作ることはない)もあって、ほとんどの地域では3大ネットワークのうち1つか2つ しか見られないのである(筆者が年末年始滞在していたバージニア州北部の田舎では、地上波3大ネットワークのうち鮮明な画像で見ることができたのはCBSだけで、あとはボケボケだった)。
つまり、1970年代まではかなりの数のアメリカ国民は、100%イギリス・ユダヤ系のメディア「だけ」しか見ることができなかったのだ。
そこで、保守本流は技術革新によって、ユダヤ系の支配のおよばない新たなメディアを作る必要を感じたのだ。そして生まれたのが、アナログ衛星を使ったケーブルテレビのCNN、FOX テレビ、デジタル衛星多チャンネル放送、そしてインターネットであった。これは、アメリカ国民の中東問題などへの世論を明らかに変質させる効果を持つであろう。「ユダヤ系のメディア」の報道におけるシェアが明らかに低下したからである。
●近づく米英の最終決着
1988年の大統領選挙で、民主党のデュカキス・マサチューセッツ州知事の妻がユダヤ系だったため、ユダヤ票はこぞってデュカキス候補に流れた。しかし、共和党のジョージ・ブッシュは当選してしまった。このためブッシュは俗に「ユダヤ票を1票も取らなかった大 統領」と言われる。ブッシュは湾岸戦争に際して、イスラエルに「手出し無用」と言明してその動きを封じ込め、サウジなどアラブ諸国と協力してサダム・フセインのクウェート侵略を撃退した。これによって「アラブ諸国と仲良くしさえすれば、アメリカの同盟国としてイスラエルは必要ない」ことがアメリカ国民にはっきり印象付けられてしまった。
危機感を感じた「イギリス・ユダヤ系」は残されたわずかなメディアを目いっぱい動員して、1992年の大統領選挙ではブッシュを落としめ、民主党の(というより「ローズ奨学金」の)クリントンを強引に当選させてしまう。クリントンは96年の大統領選挙にも勝って再選されたが、その前後からホワイトハウスの庭に飛行機が落ちたり、ホワイトハウスの壁に銃弾が撃ち込まれたりする不気味な事件が相次ぎ、また、クリントン政権の閣僚が次々に入れ替わっていった。とくに、2 期目のクリントン政権(民主党)において国防長官が共和党のコーエンに替わったのは注目に値する。
これは異常なことではないか。どうして日本の学者やジャーナリスト、どころかアメリカのメディアもこのことを重視して取り上げないのか。
たしかにコーエンの前任者のペリー国防長官も、民主党員とはいえ、共和党にかなり近い人物である。おそらく国防省への共和党の影響力が確立していて、もはや共和党寄りでない者は国防長官になれないのであろう。しかし、そうはいってもクリントン政権は民主党政権なのだから、やはり形式的にも民主党の党籍を持ったペリーのような人物をあてるべきではないか。にもかかわわらず、正真正銘の共和党員を持ってきたところに、保守本流側の、何かに賭ける強い「決意」を感じないわけにはいかない。
日米の報道の問題はさておき、この「国防長官だけ共和党」という異様な人事は、いわゆる「コンピュータ2000年問題」を政治家の「責任問題」として考えるうえで、かなり重要である、と筆者は思っている(詳論は 5章以降で)
さて、国防長官人事でも、新しいメディアの世界でも破れた「イギリス・ユダヤ系」はいま、どのくらいの力を持っているのだろうか。藤井の著書『ロックフェラー対ロスチャイルド』から表を引用すれば、それぞれの陣営の企業の数や大きさがわかるが、あえてそれをしたくはない。
理由は、1993年の「中東和平合意」以降、ユダヤ系企業と非ユダヤ系企業の垣根はかなり低くなり、両陣営の垣根を越えた企業同士の合従連衡がさかんになったからである。結果的にロスチャイルド陣営の企業の相当数がロックフェラー陣営の支配下に移っていったので、藤井が提唱する各業界の「区分」には若干の変動が見られるのである。
イギリス・ユダヤ系が落ち目であることだけははっきりしている。イギリスはアジアにおける利権センターとして香港を持っていたが、1997年、中国への返還という形でこれを失う。湾岸戦争ではクウェートの利権をごっそりアメリカに奪われた(クウェートは英連邦加盟国だったが、湾岸戦争で米軍に解放してもらったので、これ以降アメリカにあたまがあがらなくなったのである)。南アフリカでイギリスは永年アパルトヘイトを堅持する白人の人種差別政権を支持して利権を守ってきたが、これも1990年代になってアメリカの支援する黒人指導者ネルソン・マンデラ(冷戦時代はソ連の支持を得てイギリスの手先と戦っていた)の政権に取って替わられ、イギリスの利権は失われた。シンガポールでも米海軍の寄港するための海軍基地ができたし、オーストラリアでは野球がはやったり、イギリスの女王を君主とする英連邦の伝統と訣別して国民が直接大統領を選ぶ制共和制に移行しようという世論が盛り上がっている。
第二次大戦で「ドイツから守ってやる」という口実で米軍がイギリス本土に進駐して以来ずっと、戦後のイギリスはアメリカの庇護を受けることになる。イギリスは日本と同じく食糧自給率が低く、工業原料も多くを輸入に頼っている。かつては、大英帝国艦隊が七つの海を支配していたので、すべては自国の軍隊の護衛付きで安全に輸入することができたが、戦後はその護衛をアメリカに頼るようになった。いつのまにか、米国との同盟関係は、英国の生命線となってしまったのである。
イギリスが湾岸戦争でも98年のイラク空爆でも、いつでもアメリカに同調するように見えるのは、アメリカに首根っ子を押さえられているから仕方なくしているのであって、本意ではない。すくなくとも、ロスチャイルドにとっては、こんないまいましいことは、ないはずだ。
そして、ロスチャイルド陣営の最後の砦とも言うべき米民主党の凋落により、米英の戦いは終焉を迎えようとしている。民主党は戦後50年間一貫して米連邦議会下院で多数を握っていたが、共和党はレーガン、ブッシュ政権の12年間に、共和党寄りの連邦最高裁判事を多数任命した。最高裁判事は、上院の承認を得て大統領が任命することになっているが、上院はすでに80年代から共和党の多数支配が恒常化していたので、たちまち最高裁は共和党のものとなった(しかも最高裁判事の任期は終身なので、民主党にとっては絶望的な状況である)。そして、この最高裁は、それまで民主党に有利だった下院の選挙区割りを憲法違反とする判決を出した。1994年の中間選挙では約半世紀ぶりに共和党が多数を回復したが、その背景には下院の選挙区の変更があったのである。96年の中間選挙でも共和党は下院での多数を維持し、21世紀のアメリカ政治の方向性を暗示した形となった。
筆者が1999年末のクリスマス休暇シーズンにワシントンDCを訪れたとき、ジョージ・ワシントン記念塔の前からホワイトハウスに向かって歩んでいくと、ホワイトハウス正門手前にやがて有名な、高さ数メートルの「大統領のクリスマス・ツリー」が見えてきた。しかし、よく見ると、その数メートル手前の公園(のような空き地)にはユダヤ教のハヌカ(クリスマスのような重要な行事)のシンボルが、クリスマス・ツリーとほぼ同じ高さで立っており、さらにその数メートル手前の空き地にはイスラム教のシンボルである三日月と五角星(★、ペンタゴン)の、大きな飾りが設置されていた。アメリカは3大一神教を等しく尊重する国であることが、この3つのシンボルによってはっきりわかる。
アメリカはユダヤ教徒にも信仰の自由を保障する自由の国である。しかし、イスラムを敵視する伝統などない。むしろ、イスラム重視こそ伝統である。アメリカはいま、「本来のアメリカ」に戻りつつあるのだ。
●付論:宗教と地下資源の不思議な関係〜2000年問題の「計画性」を読む
以下、次週。