「ブレードランナー症候群」:筆者の造語。
ありもしない過去の記憶や歴史を脳細胞に植え込まれ、それを事実と信じて、それに基づいて行動すること。
リドリー・スコット監督のアメリカ映画『ブレードランナー最終版』(1993年版。世間一般に広く知られているのは、1983年版のほうであるが、これはストーリーが異なるので無視)では、人間にさからう生意気な人造人間レプリカントを抹殺する特命刑事ブレードランナー(ハリソン・フォード)が主人公である。実は、彼はほんとうはレプリカントなのだが、脳細胞に「人間として生まれた」という嘘の記憶を植え込まれていたため、「レプリカント抹殺は自分たち人間に有益な行為」と信じて実行してしまう。
しかし、ラストシーンで彼は自分の正体に気付いてしまうのである(ただし、ビデオの日本語版字幕は、冒頭の英語字幕の重要な部分「(レプリカント抹殺の任務は)処刑ではなく、解任と呼ばれる」を省略しているので、非常にわかりにくい。ハリソン・フォード扮する主人公は、ラストシーンで処刑されず、解任された、つまりもう人間にさからう心配がなくあとは死ぬだけの「安全な」レプリカントになったと認定されて放置されたのである。が、あの字幕では、それは日本のファンには容易には伝わるまい)。
この映画は、実はイスラエルの白人系ユダヤ人(アシュケナージュ)を暗示的に批判したものではないか、と筆者は考えている。元来ユダヤ人はアラブ人と同じセム系人種であって、白人なみに鼻は高いが、肌は浅黒いはずである。実際「(浅)黒いユダヤ人」はアラブ世界に多数居住しスファラッドと呼ばれ、イスラエルや欧米に多く居住する「白いユダヤ人」から区別され、そしてイスラエル国内では差別され、ヨルダン川西岸やガザなどの占領地においてアラブへの「盾」として危険な最前線に立たされることが多い。
しかし、「白いユダヤ人」は実は、トルコ系遊牧民ハザールの後裔であって「にせユダヤ人である」という、驚くべき説がある(これについては、伝説の名サイト 「ヘブライの館」の「世界史のタブーである東洋系ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ」という記事を参照されたい。「ヘブライ…」では「(浅)黒いユダヤ人」は「東洋系ユダヤ人」と呼ばれている)。そして、これは世界史上最大のタブーであって、イスラエルや欧米の「白いユダヤ人」自身にはほとんど知られていない(が、アラブ諸国民はよく知っているという)。
これが本当だとすると、『ブレードランナー1983年版』制作当時に監督に圧力がかかり、無理矢理ストーリーを変えさせられ、「主人公は人間であるというナレーションを入れさせられた」(93年版=最終版のビデオのパッケージにそう書いてある)のは、うなずけるところである。
自分が「にせもの」であることを知らない(白い)ユダヤ人(アシュケナージュ)は、映画の中では、ハリソン・フォード扮する主人公、そうでない(黒い)ユダヤ人(スファラッド)は主人公以外の逃亡レプリカントを指すものと思われる。そして、レプリカントが苛酷な奴隷労働に従事させられる"Off-World"または"Land of Opportunity and Adventure"(映画の冒頭で、飛行船から流れる宣伝文句にある。ただし日本語版字幕では"Off-World"は単に「宇宙」となっている。ひどい訳だ。(>_<;))とは、ヨルダン川西岸やガザ地区などの「パレスチナ占領地」のことであろう。
83年はまだ冷戦中で、ソ連の中東進出を防ぐ「盾」として、アメリカにとってイスラエルの軍事力は重要であったから、監督に圧力がかかったのも無理はない(イスラエルの白いユダヤ人たちが「これは、もしかしてオレたちのことか!」とタブーに気付いてパニックになったら大変である)。また、91年の湾岸戦争後のアメリカの中東でのもっとも重要な同盟国は(イスラエルと違って米軍の駐留を許してくれている)サウジアラビアであり、もはやイスラエルは必要でなくなったので、93年版の際に監督が自由に再編集できたのも、また、うなずけるところである(ただし、83年版が「難解な映画」として、わかりやすい93年版に先行して公開され、ある程度ヒットしてしまったため、世界中の映画ファンのなかでも、この映画と「史上最大のタブー」の関係に気付いた者は、ほとんどいない)。
(参考までに、映画『ブレードランナー』はワーナーブラザーズの制作・配給である。ハリウッドの映画産業はユダヤ系の民主党支持者が多いことで有名だが、このワーナー社は数少ない例外の一つである。同社はいまは、共和党支持の保守系メディア"Time"、CNNを擁するターナーブロードキャスティングシステム社と合併してTCI社となっている。ちなみに、CNNは保守系・非ユダヤ系メディアの筆頭で、あのサダム・フセインでさえ「アラブの言い分も伝える公正なメディア」と絶賛したほどのメディアである。これについては、「寡占性メディア」を参照)
以下は、筆者が独自の調査で発見したのだが、実はイスラエル国民だけでなく、日本国民もこぞって「ブレードランナー症候群」にかかっている可能性が高いということを指摘させて頂く。
戦時中、日本政府は「日本書籍配給株式会社」という国策会社を作るなど(「1940年体制」の一環として)、強力な言論統制システムを作り上げ、政府にとって一方的に都合のいい情報だけを国民に向かって「たれ流し」ていた(これによって、史上初めて、全国的な書籍取り次ぎ会社と流通網ができた)。
戦後、日本を占領した米軍は、日本に民主主義をもたらすため、上記の取り次ぎ会社のような言論統制システムはさっさと解体して、日本国民に自由で民主的な議論を促した…………かと思うとさにあらず、なんと、この統制システムをそのまま使って、一方的にアメリカに都合のよい(日本国民がアメリカに劣等感を抱き、アメリカの言うことはすべて正しく、それに従属することも仕方がないと思わせるような)情報をたれ流した(この、取り次ぎ会社をはじめとする言論統制システムは、ほとんど無傷でもこんにちも残っている)。
この結果日本国民は、「日本人は軍隊を管理する能力のない劣った民族だから、非武装または対米従属がいい」と思うようになり、「アメリカさまが作って下さった平和憲法」を神聖視するようになった。ある改憲論者の論客が、平和憲法の是非を議論することを「神学論争」と言っていたが、言い得て妙である(詳しくは、「寡占性メディアの世論形成」を参照されたい)。