■音声鑑定の罠〜シリーズ「イラク日本人人質事件」(5)■
04年4月に今井紀明ら3人が誘拐された「イラク日本人人質事件」で、犯人が送って来た脅迫映像には「演出」がある、と日本政府は当初から見破っていたのに、敢えて隠し、人質家族の「暴走」を許した。
■音声鑑定の罠〜シリーズ「イラク日本人人質事件」(5)■
04年4月に自称フリーライター・今井紀明、ボランティア活動家・高遠菜穂子、フォトジャーナリスト・郡山総一郎の3人が、「サラヤ・ムジャヒディン」(聖戦士旅団、戦士隊)と名乗る犯人グループに(イラクで?)誘拐され、犯人が「自衛隊のイラクからの撤退を日本政府に求める」ための人質にされた「(第一次)イラク日本人人質事件」と、その後、フリージャーナリスト・安田純平と非政府組織(NGO)メンバー・渡辺修孝の2人が誘拐された(第二次イラク日本人人質)事件との間には、微妙な違いがある。
●事情聴取の罠●
安田ら第二次組の2人は、イラク聖職者協会の仲介で解放されたところまでは第一次組の3人と同じだったが、解放後、安田は警察が誘拐事件の被害者に対して行う事情聴取を辞退した(産経新聞04年4月21日付朝刊30面)。
当然だ。加害者(逮捕された容疑者など)は、警察の事情聴取から逃れるのは事実上不可能だが、被害者の場合は事情聴取に応じるか否かは任意だから、いやなら断っていいのだ。
が、第一次組の3人は断っていない。なぜか?
人質家族の態度が違うからだ。「最初の3人の人質家族は政府非難など傲慢な態度を取ったため、世論のバッシングを浴びた。が、(それを見ていた)あとの2人の人質家族は、まずマスコミで『息子がご迷惑をおかけしました』と謝ったので、厳しいバッシングは受けなかった」と森本敏・拓大教授は分析する(04年4月21日放送のテレビ朝日『スーパーモーニング』)。
たしかに、第一次組の人質家族の暴走はひどかった。
とくに日本中が呆れたのは、日本時間04年4月10日に犯人グループが第2の手紙(犯行声明文)を送って来て「自衛隊がイラクから撤退しなくても人質を24時間以内に解放する」と報道されたあとだ。人命第一の見地から見ても、もう「自衛隊撤退」は必要なくなったにもかかわらず、人質家族たちは記者会見の席で「引き続き自衛隊の撤退を求める」と言ったのだ(『週刊新潮』04年4月22日号 p.36 「仲間に対してだけお詫びをした『異様な家族声明文』」)。
これでは、人命よりも、自分たちの政治的主張を訴えることを「第一」に考えていることになる。ほんとうに人質の命を心配していたのか(人質は狂言誘拐劇に「出演」しているだけ、と人質家族は知っているのではないか)という疑惑も含めて、この頃から人質家族への反発と嫌悪感が日本中で一気に高揚した。
●政府が容認●
では、なぜ第一次組の人質家族はここまで「暴走」したのだろう。理由は、左翼平和運動の団体が多数支援者として張り付き、「人質家族の叫び」を、団体が支持する左翼政党の党勢拡大に利用しようと後押ししたからだ。
が、前回(04年4月19日)述べたように、日本政府は、第一次組を誘拐した犯人がマスコミに送り付けて来たビデオを素早く分析し、事件発生当初から、ビデオの内容が演出されたものであることを見破っていた。
前々回(04年4月15日)述べたように、第一次事件が誘拐事件と報道された根拠は、当初は、上記のビデオと(日付が西暦だけの)稚拙な(第1の)手紙(犯行声明文)だけだ。
その数少ない根拠の1つに「やらせ」があると判明したのなら、政府はその時点で公表してもよかった。公表すれば、この「誘拐事件」は「誘拐の疑いのある事件」に変質し、マスコミは堂々と「狂言」の可能性を論じただろうし、犯人が示した人質解放の条件である「自衛隊撤退」を求める世論も沈静化し、その尻馬に乗って人質家族が思い上がった発言をすることもなかっただろう。
が、敢えて政府は隠し通した。
●音声鑑定隠し●
犯人が送って来たビデオの脅迫映像のうち、それを受け取ったカタールの衛星放送アルジャジーラがいちばん最初に、日本時間04年4月8日午後9時に放送した部分は、実は、犯人が人質に演技を振り付けている場面だった(産経新聞04年4月21日付朝刊3面)。
【これを冷静に分析すれば、犯人が人質家族に「あなたがたからお預かりした人質3人は、けっして殺されることはありません」と伝えて安心させるための映像であり、必ずしも「脅迫映像」とは言えないことがわかる。また、アルジャジーラが「より脅迫的な」映像……今井紀明がナイフを突きつけられたり、高遠が悲鳴を上げたりする(人質解放まで日本では放送されなかった)シーン……を避けて、敢えて、人質家族に安心感を与える「振り付け」のシーンを放送したこと、また、10日の人質家族の声明文で、感謝する対象に、聖職者協会と並んで、なぜか(ただ犯人の要求をタレ流しただけの無責任な放送局である)アルジャジーラがはいっていたこと(『週刊新潮』前掲記事)をあわせて考えると、聖職者協会(イスラム教スンニ派)、アルジャジーラ、および日本の左翼平和運動の3者が「反米」で結託した可能性も浮上する。アルジャジーラは03年イラク戦争の最中に、米軍にバグダッド支局を「誤爆」された恨みがあり、動機は十分だ……が、あくまで可能性の問題であり、何も断定できない。】
しかし、当初アルジャジーラも日本のTV、新聞も報道しなかったものの、「より脅迫的な」映像が存在し、しかもそれには1分間少々とはいえ音声が付いているのだから、その音声を分析すれば、犯人や人質の出身地や心理状態(ほんとうに緊張や恐怖を感じているか、狂言か)などがかなり詳しくわかるはずだ。
つまり、ビデオや手紙の不自然さから生じる「狂言疑惑」に早期に決着を付ける音声鑑定という方法があり、それは警察でもとっくに実行しているはずのことだったのだ。
が、政府は音声鑑定について何も発表しない。
そこで、産経新聞は独自に入手したビデオの音声鑑定を日本音響研究所の鈴木松美所長(元警察庁科学警察研究所技官)に依頼した。その結果、犯人の人数(5人)、性別(全員男)、年齢(20〜40歳)、身長(170〜175cm)、出身地(北イラク)、また犯人の声の大きさから彼らが興奮状態にあることまで解明された。鈴木は、叫び声の強さから見て「一触即発の状態」と警告した(産経新聞04年4月11日付朝刊30面)。
この報道が、狂言疑惑の払拭、というより否定に一役買ったことは間違いない。
しかし疑問が残った。なぜ人質の音声を鑑定しないのか?
犯人の音声に限定して報道されたため、マスコミはまったく誘拐の確証のない事件を誘拐と断定して報道して人質家族への(的外れかもしれない)同情論を煽り、その報道に反発して多数の国民が疑惑を募らせ、家族への抗議や中傷が殺到する、という(小誌が02年6月13日、02年W杯サッカーの韓国対ポルトガル戦の前日に予言した「誤審」問題を除くと)史上あまり類のない、異例の事態が続くことになった。
そこで、筆者は鈴木に取材を試みた。が、鈴木本人から電話で「音源を持ち込んで鑑定料金を払ったところにしか鑑定結果は言えない」と断られてしまった。
●日本語を話す人物●
産経新聞の記者も、自分で記事を書いていながら上記の鑑定結果には不満だったのだろう。産経新聞は同じビデオの再鑑定を中東情勢とアラビア語に詳しい内藤正典・一橋大学教授に依頼した。
内藤は声紋や音響の専門家ではないので、人質や犯人の心理状態や出身地については何も言わないが、ビデオに「イッテ、イッテ」と人質に声を出せと促すような声が録音されているのを発見した(あたりまえだが、鈴木も警察も、この声はとっくに聴いている)。
内藤によると、「イッテ」はアラビア語では意味をなさないことから、前後の状況から見て、犯人グループの中に日本語を話す人物(人種は不明)がいる、と結論付けた(産経新聞04年4月21日付朝刊1,3面)。
この衝撃はかなり大きかった。
それまで狂言疑惑を口にすることを事実上タブーにしていた大手マスコミ(とくにTV)各社で、タブーが微妙にゆらぎ始める。ノンフィクション作家の岩上安身は、04年4月22日生放送のフジテレビ『とくダネ!』で、「人質3人がグルという意味ではないが」と留保を付けながらも、はっきり「狂言」という言葉を使い、日本赤軍が自衛隊撤退を求める声明を出していることに言及して、狂言の可能性を述べた。
鈴木も黙っているわけにはいかなくなったようだ。産経新聞の鑑定依頼では言及しなかった、「言って」について、フジテレビの取材に対しては答え、「これは男性の声だが、音が少ないので日本人かどうか不明」と答えた(前出『とくダネ!』)。
内藤が気付くまで警察や鈴木が気付かなかった、などということはありえない。
とくに、警察OBである鈴木が、産経新聞の鑑定依頼に対して答えて当然の「人質の心理状態」を答えなかったのは不思議だ。
「人質はまったく健康で、なんの恐怖心も感じていない」と警察や鈴木は早くから気付いていたのではないか。
それを医学的に裏付ける発言が、衆人環視の中で行われている。
04年4月18日、中東から第一次組の人質3人が帰国した際、人質本人不在の、人質家族と弁護士による帰国記者会見に同席した斎藤学医師は、帰国会見を勝手に仕切ろうとした人権派弁護士・梓澤和幸の「3名はPTSD(心的外傷ストレス症候群)だから会見できない」という説明に対して、「PTSDは当たらず、急性ストレス障害。PTSDと判断するには4週間かかる」と全否定し、さらに今井紀明と郡山については「元気そう」とまで言ったのだ(『週刊文春』04年4月29日-5月6日合併号 p.26 「3人が『口止め』されたこと」)。
警察や鈴木が(故意に?)「言って」という日本語や、人質の心理状態という、もっとも重要な鑑定結果を明かさなかったため、なんの裏付けもないマスコミの「お涙頂戴」報道が続き、それに多数の国民が反発するという構図が維持された。
が、犯人側の第2の手紙にあった人質解放期限(日本時間4月11日午後9時)を過ぎても解放がなかったために、人質家族は4月12日、よせばいいのに「一般からの情報提供を求める電話」を開設する(この開設を助言した者がいるとすれば、それは「悪意」によるのではないか)。
案の定、すぐに電話が殺到し、その9割が怒りの電話だった。ここで(第一次組の)人質家族は初めて世論の反発を知り、以後は国民と政府にお詫びと感謝を述べ、殊勝な態度に変わる(『週刊新潮』04年4月29日号 p.30 「一転『家族謝罪』で起こった『支援団体』との不協和音」)。
この、反省した人質家族に対して、政府(警察庁の国際テロ対策緊急展開チーム)は当然、人質解放後「人質は被害者として警察の事情聴取に応じるべきだ」と迫ったはずだ。
解放後の16日、第一次組の人質は、バグダッド市内の日本大使館で警察庁チームに事情聴取を求められた。人質の1人は「なぜ警察がいるのか」と(怯えて?)反発したが、(人質家族の政府へのお詫びを伝える)新聞記事を警察庁チームに見せられると、人質の3人もさからえず、結局3人とも聴取に応じた(産経新聞04年4月17日付朝刊1面)。またその後も、人質家族が政府(警察)に「申し訳ない」という感情を抱き、政府の言いなりになって人質を説得するので、人質本人も捜査に協力したはずだし、今後も協力せざるをえないと思われる。
【家族を利用して左翼活動家を説得したり転向させたりするのは、戦前戦中の治安維持法体制下の「特高警察」がよく用いた手法だ。この手法の効果は絶大で、大半の活動家は獄中で家族に説得されて転向したことから、左翼思想を犯罪として取り締まる目的で制定された治安維持法では最高刑が死刑だったにもかかわらず、じっさいにこの法律で死刑になった者は1人もいない(安倍基雄『歴史の流れの中に〜最後の内務大臣安倍源基(上)(下)』原書房年90刊)。】
この事情聴取で、警察は、第一次組の人質3人から(すでに音声鑑定で十分に把握していた?)「犯人」側の演出などについて裏付けとなる供述を十二分に引き出す。当然、「言って」と言った人物が日本人かどうか(人質の知り合いかどうか)も聞き出している。
4月18日、人質3人の帰国記者会見が都内で開かれるはずだったが、ここで弁護士の梓澤が「3人はPTSD」などとウソまで言って、人質本人の会見をキャンセルさせる。
が、結果的にこれは失敗だった。この時点では、「言って」と言った謎の人物の存在はまだ報道されていなかったから、当然記者気会見で聞かれる心配はない。解放直後という同情もあって、それほど厳しい質問は出ないはずなのに、ここで人質3人が「逃げた」ために、国民、とくにマスコミの不信感を買ってしまった。
その3日後、産経新聞が「言って」の謎の人物について報道する。
第一次組の人質3人はいずれ必ず記者会見に引き出される。そのときマスコミの最大関心事は、この謎の人物の正体だ(もう「自衛隊撤退」も、3人のイラクでの活動も、どうでもいい)。
●犯人側の日本人●
謎の人物はたぶん日本人だろう。この人物は2通の手紙、とくに4月10日届いた第2の手紙の「日本的な内容」の執筆に関与しているはずだが、もしイラク人(アラビア語を母語とする者)なら、第1の手紙の「日付が西暦のみ」、第2の手紙の「ナザキ(長崎)」などの、多数の表現や綴りのミスはないはずだ。
日本人である場合、本人はともかく、その親戚知人は日本にいる。しかも、第2の手紙の文面から判断すると、自民党政権や自衛隊が嫌いで、イラク人自身の問題よりも「劣化ウラン弾」問題に関心がある(産経新聞04年4月14日付朝刊3面))という「イラク音痴」だから、警視庁公安部などの「公安警察」が保有する「リスト」(拙著『中途採用捜査官@ネット上の密室』第3章を参照)や情報網を使えば、そんなに時間をかけずに人物像を把握することは可能だ。
狂言かどうか、の事件の真相は近い将来に判明するだろう。郡山はジャーナリストとして職業上、活動再開にあたってマスコミ向けに記者会見しないわけにはいかないし、高遠も一般の支援者に募金などを呼びかけるには、支援者への報告が不可欠だからだ。
おそらく警察(警視庁公安部と北海道警の合同捜査本部)は、今井紀明が英国留学に出発する秋までに、「狂言」を匂わせる捜査情報を適宜マスコミにリークして(人質家族の支援団体の関係者を操って?)郡山ら3人をマスコミの前に引っ張り出すだろう。
そのとき、3人の(下手な?)受け答えで、狂言疑惑がいっそう深まれば、日本の左翼・平和運動は致命的な打撃を受ける。「イラクへの自衛隊派遣」や「日米同盟強化」に反対するやつはアホ(あるいは卑怯)という印象が、日本中に広まってしまうからだ。
現時点でさえ「テロに屈せず、自衛隊は撤退しない」という小泉政権の方針が(結果的に)最善の結果をもたらしたために、筆者のように小泉政権を支持していない者まで「政府の対応は正しい」と言わざるをえなくなっているのだ。「平和運動イコール狂言」となったときの、左翼政党が受ける打撃は計り知れない(岩上も、前掲の『とくダネ!』で「狂言なら、それがバレてトクをするのは左翼ではない」という趣旨の発言をしている)。
その場合、2〜3年後に予想される、自民党と公明党と民主党の発議による、9条改正を含む憲法改正案の国民投票では、過半数をゆうに超える国民の支持で「自衛隊合憲」が明文化されることになろう。
【この複雑な事件の全体像がおぼろげながら見えて来たので、次回はそれを整理し、仮説を提示したい。】
(解放された人質も含めて敬称略)
【この問題については次回以降も随時扱う予定です。
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