先に小連立工作が失敗
〜自民党と民主党の
「大連立政権構想」
急浮上のウラ
■先に「小連立」工作が失敗〜自民党と民主党の「大連立政権構想」急浮上のウラ■
衆院選に出すべき候補者まで2007年7月の参院選に使ってしまった民主党は衆院選候補者が不足し、もしすぐに解散・総選挙となれば敗北は確実だったので、同党の小沢一郎代表は公明党との連携を狙ったが失敗し、2007年11月、自民党の福田康夫首相との「大連立」協議に追い込まれた。
■先に「小連立」工作が失敗〜自民党と民主党の「大連立政権構想」急浮上のウラ■
【前回「軽蔑しても同盟〜シリーズ『中朝開戦』(11)」は → こちら】
2007年7月の参議院通常選挙で民主党が圧勝して、連立与党の自民党と公明党は参議院で過半数を失い、民主党は参議院の第1党になったので、民主党の支持者は「一刻も早く、与党を衆議院の解散・総選挙に追い込んで、民主党が衆議院でも多数党になって政権を取るべきだ」と考えたし、民主党の幹部も(行きがかり上)そのような希望をマスコミを通じて国民に語りかけ(ざるをえなかっ)た。
ところが、その直後から一部週刊誌が指摘していたように、民主党では、衆議院小選挙区300のうち、約90で候補者が決まっておらず、幹部たちの威勢のいい発言とは裏腹に「一刻も早く解散・総選挙が行われると、かえって困る」状況にあった。
この原因は、民主党の組織力、とくに地方支部の組織力の弱さにある。
2005年の衆議院総選挙では、自民党が圧勝したため、民主党は多くの落選者を出したが、民主党はなんと(郵政民営化法案に造反して自民党を離党した川上義博前衆議院議員を含む)10名もの衆院選落選者を2007年7月の参議院選挙に立候補させて当選させてしまったのだ(そのうち茨城の藤田幸久、石川の一川保夫、奈良の中村哲治、鳥取の川上義博、広島の佐藤公治、長崎の大久保潔重、熊本の松野信夫の7名が選挙区で、青木愛、室井邦彦、大島九州男の3名が比例代表で、それぞれ当選)。
かつて民主党は候補者擁立を焦るあまり、2003年11月の衆議院総選挙では「学歴詐称」の古賀潤一郎候補を福岡2区に擁立し、また、2007年4月の統一地方選でも「職歴詐称」の森学候補を世田谷区議会議員選挙に立てて、いずれも当選後に詐称が発覚して公職選挙法違反に問われ、結局本人の「離党→議員辞職」という形で議席を失っている(西日本新聞Web版2004年1月27日「古賀潤議員が辞職願 学歴詐称巡り引責 衆院福岡2区」、公明党Web携帯版2007年7月5日「経歴詐称区議の遅すぎる辞職」)。
これに懲りたのか、民主党は、2007年7月の参議院通常選挙では優秀な候補者を絞り込んで立てて大勝したが、それは、4月の統一地方選における13都道県知事選挙のうち8県の知事選で候補者の擁立を見送るなどして人材を節約し(て参院選にまわし)た結果、勝てたにすぎない。つまり、この参院選の勝利は楽勝ではなく、辛勝だったのだ。
ほんとうは衆議院小選挙区候補者の「空白区」は約90ではなく、もっと少ないはずだった。が、上記の衆院選落選者10名をはじめ、本来衆院選に出るべき候補者の相当数を民主党は参院選に投入してしまった。つまり、民主党は地方組織の弱さのゆえに候補者数の絶対的な不足で「あちらを立てればこちらが立たない」状況に陥っており、2007年7月の参院選はなんとか勝てたものの、それ以降は自前の候補者を立てて選挙に勝つメドが立っていなかったのだ。
●池田大作証人喚問●
この絶対的な候補者不足を補う手段として、2007年7月の参院選直後から一部マスコミで取り沙汰されていたのが、公明党の支持母体である創価学会の池田大作名誉会長を参議院で証人喚問する(ぞと脅す)という「ウラ技」だった。
民主党を中心とする野党は参議院で過半数を占めているので、この「数の力」を利用して、公明党と不可分一体の宗教法人、創価学会のトップを「宗教と政治の関係」(憲法の政教分離原則違反の疑い)などの問題で証人喚問する議案を可決するぞと脅せば、池田名誉会長は偽証罪に問われかねない「裁きの場」に引き出されるのを恐れて公明党に「民主党の要求をなんでも呑んで、喚問だけは阻止してくれ」と言うに違いないのだ(『読売ウイークリー』2007年8月19-26日合併号「小沢一郎が開票日、学会幹部と極秘会談!?」「民主が手にした“証人喚問カード”の威力」)。
民主党が公明党(の支持母体の創価学会)に突き付けるべき要求とはもちろん「自民党との連立政権から離脱して民主党と組め」だ。
創価学会の組織票は800万世帯とも言われ、話半分としても、これを全国300の衆議院小選挙区の数で割ると、1選挙区あたり1万〜3万となる。もし公明党が自民党との連立を解消すると、選挙地盤の弱い自民党の衆議院議員、とくに前回の衆院選で次点の民主党候補に「(1万〜3万票)×2」以上の大差を付けて勝つことのできなかった衆議院議員は、当然次の総選挙で落選すると恐れが出て来るので、民主党に寝返(って新しくあてがわれる選挙区に移)るほかないということになる。
前回(2005年9月)の衆議院総選挙における民主党の小選挙区の候補者は289名だったが、それから2年経って、候補者は約210名にまで減った。その2年後のいま(2007年11月)から数か月以内に解散があるとすると、2年以上かかっても集まらなかった約90名の不足分の候補者を、たった数か月で集めなければならないことになる(んなアホな)。
(>_<;)
つまり、「池田喚問」の脅しが効いて自民党議員の相当数が民主党に寝返る、というこのウラ技の成功に期待する以外に、民主党が2007年参議院通常選挙直後の衆議院総選挙で勝つ可能性はなかったのである。
だから当然、民主党はこの「脅し」を実行に移した。
自民党、新生党、新進党を通じて小沢一郎・現民主党代表と行動をともにした、小沢と国会議員初当選が同期の盟友、石井一・民主党参議院議員が2007年10月16日、参議院予算委員会で公明党と創価学会の間の「政治とカネ」の問題を追及し、公明党から入閣している冬柴鉄三・国土交通相を追求した:
「(公明党公認の国会議員から創価学会に上納される)『P献金』というのがある。Pはプレジデント、(創価学会の)池田名誉会長を指す。国会議員1人あたり30万円徴収しているが、これは公職選挙法違反、政治資金規正法違反ではないのか」
「今国会の焦点は『政治とカネ』だが、公明党では、公認候補に指名された者は党に公認料を上納するらしい。公認料はわれわれ民主党では(ポスター印刷や選挙カーの手配などのための選挙運動資金として)党からもらうもので、党や支持母体(学会)に上納するなどということは常識では考えられない」
「公明党は代表(党首)選挙なんて1回もやったことがない(党首や党役員の人事を決めているのは、いったいだれなのか)」
「公明党とは創価学会なのだ。票を通じていまの政府を支配している。こんな構図があっていいのか。政教分離を定めた憲法20条に抵触する問題だ」
「自民党の議員だったときから、いっぺんこれ(この問題の追及)をやってみたかったんだ」
このように石井は公明党の痛いところをズバズバ突いて、最後に、公明党の現状に不満を抱いて離党した福本潤一前参議院議員の「証人喚問または参考人招致」を求めた(2007年10月16日放送のNTVニュース「民主・石井氏 公明党と創価学会の関係追及」)。
もちろん石井は「池田大作を証人喚問すべきだ」とは言っていない。が、彼の質疑により「池田大作」と「証人喚問」という2つの言葉が、同じ議員の質疑を記した国会議事録の中にセットで残ることになった。池田名誉会長や彼の側近がこの国会中継を見ていたら、最悪の事態を連想して震え上がったに違いない。
この質疑のあと、小沢と池田名誉会長の極秘会談、あるいは民主党と公明党の党首会談が行われるのではないか、と筆者は予測し、そういう報道が流れるのを待った。が、そのような動きはまったくなく、代わりに、2007年10月30日と11月2日、小沢は自民党総裁の福田康夫首相との党首会談に誘い出された。
会談を通じて小沢は、衆議院の第1党(自民党)と第2党(民主党)が参加した連立政権、いわゆる「大連立政権」の樹立を打診され、さらに、11月2日の二度目の会談の席では、小沢の永年の念願である「(国連決議に基づく平和維持・回復活動は、憲法9条の禁じる『国権の発動』による戦争ではないから)国連決議に基づいて自衛隊を海外派兵できる恒久的な安全保障基本法を作ろう」「恒久法ができれば、テロ対策特別措置法に代わる新法の成立にはこだわらない」という提案まで出されて感激し、大連立に前向きになった(朝日新聞2007年11月5日「党首会談、ずれた認識 『合意なき話し合い』に終わる」によれば、福田が「新法の成立にこだわらない」と言ったというのは、小沢サイドのみの主張)。
が、小沢がその提案を民主党に持ち帰って役員会に諮ったところ、賛成意見が皆無だったので、大連立は挫折し、翌3日、小沢は記者会見で「民主党は次期総選挙は厳しい」と語り、党代表を辞任する意向を表明した(毎日新聞Web版2007年11月2日「大連立協議:福田首相、小沢氏に打診 民主は応じず」、朝日新聞Web版2007年11月4日「小沢民主代表が辞意 連立『協議に値した』」)。
その後、小沢は民主党員たちから遺留されて辞意を撤回し、結局党代表の座に留まることになったが(産経新聞Web版2007年11月6日「小沢氏続投表明 『恥をさらすようだが…』」)、一般的には、この「大連立→辞任→撤回」騒動は
「衆議院と参議院で多数派が異なる『ねじれ国会』で、法案が1本も通らない現状を打開するため、とくに2007年11月1日に期限切れとなるテロ対策特別措置法に代わる新法の制定問題を協議するため、福田が提案し、小沢がそれに乗ったことで始まった」
と思われている。だから、民主党の支持者をはじめ多くの国民は「2007年7月の参議院(通常)選挙で大勝して、『さあ、次は衆議院の解散・総選挙で政権交代だ』と期待される時期に、なぜ小沢が『勝てる戦い』(総選挙)を棚上げにして自民党にすり寄ったのか理解できない」と批判した。
しかし、民主党の支持者や国民世論は完全に誤解していた。彼らは「2007年の参議院通常選挙であそこまで追いつめられたのだから、自民党は、いま衆議院の解散・総選挙になったら不利だ」と思っていた。が、実は、いま解散・総選挙になって困るのは民主党のほうだったのだ。参院選の結果や世論調査の政党別支持率はまったく関係がない。いま解散・総選挙になれば、民主党は300小選挙区のうちの約90で「不戦敗」するのだから、公明党を自民党から引きはがして味方にしない限り、政権を取ることなど不可能なのだ。
その「公明党引きはがし工作」つまり「池田喚問をちらつかせて公明党を脅す作戦」が、なんの理由か、ともかくストップしてしまった。そうなった以上、11月3日の辞任表明記者会見で小沢が「民主党は次期総選挙での勝利は厳しい」と言ったのは当然だった(朝日新聞前掲記事)。
ところが、ある民主党の若手衆議院議員が、その会見を(TV中継で)聞いた途端「怒髪天を衝くほど憤った」と、TV番組に出演して語ったので、筆者はあきれた。小沢は何も、民主党の衆議院議員や候補者1人1人に向かって「どうせおまえはこんどの選挙で落ちるよ」と言ったのではない。ただ単に候補者の絶対数が足りないから「勝てるはずがない」と、あたりまえのことを言っただけではないか。いやしくも政権取りをねらう野党第1党の国会議員なら、自分の党が次の国政選挙で何人の候補者を立てられるのかぐらいは知っているべきであり、それすら知らずに「怒髪天を衝く」などとTVカメラの前で口走るのは、大政党の政治家としてあまりに無自覚と言わざるをえない。なぜなら、この無自覚は、サラリーマン社会で言えば「営業マンのくせに自社の主力商品が品切れであることを知らない大まぬけ」に等しいからだ。
そんなに小沢の発言が腹立たしいなら、まず、民主党の地方組織の尻をたたいて、あと90名の衆議院小選挙区候補者をそろえてから言うべきだ。それができない民主党員には小沢の大連立への動きを批判する資格などない。
●恫喝失敗の深層●
それにしても、なぜ小沢は公明党を自民党から引きはがす「恫喝工作」をあきらめたのか。
小沢が福田との党首会談や大連立構想に前向きになった理由として、民主党の国会議員のあいだでは「防衛省スキャンダル」が語られているという。旧防衛庁(現防衛省)の利権は、かつては自民党旧竹下派(現津島派)の金丸信・元自民党副総裁(元防衛庁長官)が握っていたが、それは金丸の死後、同じ派閥出身の小沢と自民党旧竹下派の国防族議員に引き継がれており、昨今、防衛関連商社、山田洋行との癒着が取り沙汰されている守屋武昌・前防衛事務次官のスキャンダルについての検察捜査の進展如何では、小沢にまで捜査の手がおよぶ可能性がある。そこで、民主党内では「小沢さんは、防衛利権スキャンダルで、自民党や政府に弱みを握られて脅されたため仕方なく、与野党対決の構図を一時あきらめてでも党首会談に応じざるをえなかったのだろう」とささやかれているらしい(2007年11月11日放送のテレビ朝日『サンデープロジェクト』におけるエコノミスト財部誠一のコメント)。
小誌で以前指摘したように、検察庁は「中朝戦争賛成派」なので、朝鮮総連本部の土地建物の取り引きに検察OB(元公安調査庁長官)が介入した事件についても(日朝関係を阻害するような形で)真相を解明する気はまったくなく、ただその真相を隠蔽するための手ぬるい捜査しかしていない。検察庁は、自分たちと同じ「賛成派」の福田が首相として政権を握っている現状は、「中国の手先」で「中朝戦争反対派」の安倍晋三が首相であるよりはるかに好ましいと思っている(小誌2007年6月14日「安倍晋三 vs. 福田康夫 vs. 中国〜シリーズ『中朝開戦』(8)」)。
ところが、小沢の「恫喝工作」が成功すれば福田は政権を失い、民主党政権ができてしまう。べつに民主党は(安倍と違って)中国の手先でも売国奴でもないし、小沢が中朝戦争に反対する理由もとくに見当たらないが、さりとて、2002年から一貫して中朝戦争というゴールに向かって、日朝国交交渉などを進めようとして来た福田とは異なり、小沢や民主党の面々が「中朝戦争の地政学的意味」をすぐに完全に理解できるかどうかは不明だし、理解していない場合、これから理解させる努力をして「本番」に間に合うかどうかもわからない。
【中朝戦争の地政学的な意味や実現の可能性については、小誌2007年2月22日「北朝鮮の北〜シリーズ『中朝開戦』(1)」)か、同9月13日「安倍首相退陣前倒しの深層〜開戦前倒し?〜シリーズ『中朝開戦』(9)」)を参照されたい。】
ならば、検察庁が福田政権を守るべく、小沢の政権奪取工作、すなわち「恫喝工作」を中止させようと考えたとしても不思議ではあるまい。すなわち、検察庁の息のかかった人物から小沢に「公明党を自民党から引きはがそうとするのをやめ(て大連立協議に応じ)ろ。さもないときさまを逮捕するぞ」というメッセージを送らせるのである。
民主党は、石井を使って公明党と創価学会の間の「P献金」を追求し「証人喚問」をちらつかせる工作までしたのに、その後、この「恫喝による民主党と公明党の連立工作」の動きが完全に途絶えたところを見ると、やはり「小沢が検察庁に脅されて公明党との連立をあきらめた」と考えるのが、もっとも自然ではあるまいか。
2007年11月2日、民主党など野党が多数を占める参議院外交防衛委員会は、防衛省と山田洋行のスキャンダルに関連して守屋前事務次官を11月8日に証人喚問すべきことを議決したが、連立与党の自民党と公明党はこの採決を欠席し、のちに「証人喚問は全会(派)一致で決めるのが(事実上の)原則になっているので、この証人喚問が行われても与党は欠席する」と江田五月・参議院議長にねじ込み、委員会採決をやり直させ、結局、喚問を11月15日に変更させた。これはもちろん「たとえ過半数の委員が証人喚問に賛成しても、1会派でも反対(採決を欠席)すれば喚問は実現しない」という、国会法にない不文律を既成事実化しようとする動きだ(北海道新聞Web版2007年11月7日「守屋氏喚問は15日に延期 参院の自民、民主が合意」)。
そして、それが奏効したことにより、今後、参議院で民主党を中心とする野党がどんなに強く求めても「公明党が反対する限り、池田名誉会長の証人喚問はありえない」ことになった。これで「公明党を自民党から引きはがす」ための小沢のウラ技はもう使えなくなったと見てよかろう。
おそらく、今後1年ぐらいは、小沢は公明党との連立を求める動きはせず、与党を衆議院の解散・総選挙に追い込むような厳しい国会運営もせず、福田政権は(解散・総選挙を当面棚上げして)安定した国会運営を続けるだろう。その間に中朝戦争が起きれば、北朝鮮も米民主党も(将来、巨大化する中国の脅威に対処するために自衛隊員の血を流さざるをえなくなるのはごめんだ、と思っている防衛省も)万々歳だろう。
小沢の続投が決まったあと、民主党は党として独自の公認候補の擁立作業を急ぎつつも、社民党、国民新党、新党日本などとの選挙協力を強化し、全国300の小選挙区のうち、ほかの野党に有力な候補のいる一部の小選挙区については独自の公認候補の擁立にこだらわず、他党の候補を推薦する方針を決めた(2007年11月14日放送のNHKニュース)。しかし、社民党や国民新党や新党日本のような「ミニ政党」が、「民主党空白区」の約90もの選挙区で残らず、与党に勝てそうな有力候補を立てられるはずもなく、民主党が300小選挙区のすべてで与党にまともな戦いを挑むのは、もはや絶望的な状況だ。
【この問題については次回以降も随時扱う予定です。
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