03年5月1日に、ブッシュ米大統領が空母の甲板で(終戦宣言でなく)戦闘終結宣言(国際法上の戦争状態は継続)をしてから1か月経った6月、日本では、米英がイラク戦争をしたことに批判的だった識者たちが、マスコミなどで盛んに反米主張を唱えていた。曰く
「開戦の大義名分だった(イラクが不法に保有している恐れのあった)大量破壊兵器(WMD)が、みつかっていないではないか」
「WMD開発を主導した危険人物、イラクの独裁者サダム・フセイン元大統領の身柄も、みつかっていないではないか」
筆者は、彼ら「識者」の主張を聞いていて、まず「アホか」と呆れたし、「こんなことを言い続けていると、いずれ赤恥をかくぞ」と心配もした。しかし同時に、日本で、イラク戦争を始めたブッシュを批判していた連中がほぼ全員、ブッシュ(個人はともかくその陣営)より「頭が悪い」ということもはっきりわかった。
よく考えてみてほしい。次の米大統領選(04年11月)までまだ1年半もある、03年6月の時点で、なんでブッシュがWMDやサダムを「みつける」必要があるのか。たとえ、みつかっていたとしても、そんな政治的になんの価値もタイミングで発表するはずがないではないか。「みつかった」と言うはずのない時機に「言え」というのか。
●選挙戦の日程●
ブッシュはたとえ早期にWMDやサダムをみつけたとしても、わざと隠しておいて、次期米大統領選の選挙戦のヤマ場に突然「みつかった!」と発表するのではないか、と筆者はすでに03年6月5日配信の小誌記事「大量破壊兵器『未発見』の意味するもの〜イラク戦争の深層」で述べている。03年12月現在、ブッシュはすでに米共和党の公認候補として次期大統領選に出馬することが決まっているが、対する野党、米民主党では9人の候補が乱立し、まだ公認候補は決まっていない。
しかし、04年1月には全米50州のトップを切ってアイオワ、ニューハンプシャーの両州で、米民主党の大統領候補を決める予備選(党員集会)がある。予備選は半年間、全米各州でさみだれ的に行われ、より多くの州でより多くの民主党員の支持を集めた候補者が、夏の民主党(全国)大会で党公認候補に選出される、という仕組みだ。
【但し、夏になっても圧倒的な党員の支持を集める候補者がいない場合もあり、そうなると、予備選に出馬していない有力者、たとえば前大統領夫人のヒラリー・クリントン上院議員が、党公認候補に党大会で急遽選ばれる可能性がある。】
となると、次期大統領選のヤマ場としては、(1)夏の民主党大会のあと、(2)投票日直前の04年10月下旬〜11月上旬、の2つが考えられる。が、党大会を待たずに各州の予備選の課程で、1人の候補がいくつかの州で圧倒的な支持を得てしまうと、その時点で他の候補は諦めて戦線を離脱するので(1)のヤマ場は前倒しされ、予備選の序盤にやって来ることもある。
●ディーン候補、急浮上●
実はそのヤマ場は迫っていた。前回「マイケル vs. 共和党」の冒頭で述べたように、民主党の候補者のなかでは、ディーン前バーモント州知事が資金面ではトップに立つなど優位を固めつつあった。戦闘終結宣言後も米兵の犠牲が続くことへの民主党員や一般有権者のいらだちを、イラク戦争前に開戦に反対していたディーンは巧みに吸収し、最有力候補になっていた。
但し、北部、東海岸の、同性愛者同士の結婚を合法化するほどリベラル(左翼的)な州であるバーモント州の知事、ディーンは、比較的保守的(右翼的)な有権者(と黒人)の多い南部各州では人気がないし、また黒人の支持も少ないという弱点があった。
これは前回、00年の大統領選に出馬してブッシュに僅差で敗れたゴア前副大統領と対照的である。ゴアは南部出身で黒人にも人気があり、だからこそ南部のフロリダ州で(同州が、ブッシュ現大統領の弟が知事を務める、共和党の地盤であるにもかかわらず)歴史的な大接戦を演じることができたのだ。
そのゴアが03年12月12日、ディーンへの支持を表明した。それまで南部民主党員に限らず、民主党の主流派から「リベラルすぎる」と批判されていたディーンは、民主党主流派に根強い人気のあるゴアを味方にしたことで、この日、圧倒的に優位に立った(産経新聞03年12月14日付朝刊4面)。04年1月の2州での予備選(党員集会)でも、またその後の南部諸州での予備選や黒人票の獲得でも「ブッシュに対抗する力がある」と期待される候補になったのだ。
●オフサイド・トラップ〜ディーンの赤恥●
案の定、この「ヤマ場」の直後に、ブッシュ政権はサダムを「みつけた!」と発表した。
ディーンに限らず民主党の候補たちはみな、それまで「ブッシュは、オサマ・ビンラディンもサダムもみつけられないではないか」と、さんざん批判して来たため「ブッシュを批判する武器がなくなったのは間違いない」(米国時間03年12月15日放送の米ABC『ナイトライン』)。
とくに困ったのはディーンだった。彼は15日に演説会を開いて外交政策を発表する予定だったからだ。
が、ディーンは「サダム拘束」という国民的朗報にもたじろがず、「これで米国が以前より安全になったわではない」などと負け惜しみを言ったため、民主党内から猛反発を買ってしまった。
民主党候補のうちケリー上院議員、リーバーマン上院議員、ゲッパート下院議員はともにサダム拘束を素直に評価し、ディーンを批判した。とくにリーバーマンは「(開戦に反対する)ディーンの政策をとっていたら、サダムはいまでも権力の座にいただろう」(産経新聞03年12月17日付朝刊6面)「ディーンはいまさら引っ込みが付かないのだろう」(米国時間03年12月16日放送の米ABCニュース)と斬り捨てた。サダム拘束は、ディーンには明らかにマイナスであり、彼を含めて民主党の候補全員が選挙戦略の練り直しを迫られることは間違いない(米国時間03年12月16日放送の米FOXニュース、産経前掲記事)。
サダムの拘束は、米特殊部隊など約600人を動員した大作戦「レッドドーン」(Red Dawn)の成果だが、これは米東部時間03年12月13日午前11時(イラク時間13日午後6時)頃開始され、同日午後1時30分頃に拘束に成功し、翌14日午前6時頃イラン国営通信のスクープとして世界に打電され、同日午前8時頃に米・連合軍暫定占領当局(CPA)のブレマー代表の記者会見によって公式に確認された。
つまりサダム拘束は、ディーンがゴアの支持を得た03年12月12日と、それを受けて演説をする15日との間の、たった2日間しかないスキマを突いて実行され、発表されたのだ。
どうしてこんな都合のいい「発見」ができたのだろう。もしかすると、筆者が03年6月の時点で予言したとおり、もっと前からみつけてあって、ただ「13日に(やっと拘束して)発見した」と発表しただけなのか。
たとえば、日本の公安警察は明らかに悲愛国的な過激派の幹部をみつけてもすぐには逮捕せず(仲間と一緒に一網打尽にするため、いいタイミングが来るまで)監視を付けて長期間泳がせておくことがある。米軍は、サダムを早期にみつけたあと、わざと捕まえないで「泳がせ作戦」を取っていたのだろうか。
が、もっと露骨な作戦もある。
●すでに監禁されていた●
イスラエルの軍事情報メディア「ネブカファイブ」は、サダムは拘束される前の数週間、何者かによって監禁されていたのではないか、という説を紹介した。その理由は、発見されたとき
#1 サダムが隠れていた穴倉の蓋は、中からは開けられない構造だったこと
#2 髭も髪も伸び放題で、何週間も手入れされていなかったこと
#3 顔に殴られたようなあとがあったこと
#4 食事もあまり与えられていなかったこと
#5 連絡を取るための携帯電話などの手段を所持していなかったこと
などであり、以上から、ネブカファイブは「サダムは側近などの裏切り者によって、何週間も前から監禁、暴行されており、米軍にあっさり拘束されたのも、助けを求めるためだったのではないか」としている(03年12月16日放送の韓国KBSニュース)。
上記の説は説得力がある。
拘束発表のあと、作戦を遂行した米兵らは拘束現場を各国の記者に公開し、うち1人はTVカメラの前で「サダムは普段はあっちの民家に住んでいて、何か危険を示す情報があると、この穴に逃げ込んだ」と民家や穴を指差しながら説明した。が、この説明が正しいとすると、サダムは米軍が迫る直前までは民家にいたのだから、その間は髭を剃ったり手入れしたりする暇があったはずだ。髭の手入れがまったくできなかったのは、「レッドドーン作戦」の本番開始前の兆候(情報収集活動)を考慮しても、せいぜい2〜3日のはずで、拘束後に公開された映像のように髭も髪もボサボサになっていて(長く風呂にはいっていなかったため)からだから悪臭が漂っていた、という事実とは矛盾する。
現在アラブ首長国連邦(UAE)に亡命しているサダムの長女は(サダム支持者の一部イラク人、アラブ人と同様に)サダムがなんの抵抗もせずに米軍に投降したり、米軍の取り調べに協力してしゃべったりするはずはなく、それらは薬物注射によって精神の抵抗力を奪われた結果ではないか、とマスコミで述べたが(米兵が注射をすれば、あとでサダムが法廷で暴露した際に、米国は窮地に立たされ、イラク統治どころか中東外交全体に大打撃になるので)それは、あまりありそうにない。
米兵に注射をさせるぐらいなら、イラク人にサダムを監禁、暴行させて、それを米兵が救出する、というパターンのほうが、はるかに容易で、外聞もいい。この場合は「砕氷船」(悪役)はイラク人が引き受けるので、米軍は拘束の手続きで非難されることはないうえ、サダムに対して「救世主」(善玉)として登場することができる。
●思わずホンネも●
もちろんイスラエルの軍事情報メディアが、友好国である米国に配慮して深い推測を控えているのは間違いない。
米軍が、サダムとその第2夫人との電話を盗聴していて、サダムの居場所を突き止めて急襲した、という説がまことしやかに流布しているが、「電話をかける自由」が直前まであったのなら、拘束時に電話機を持っていなかったことや、からだから「ホームレスのような」悪臭が漂っていたことが説明できない。
やはり、ブッシュ政権は、米軍と内通したサダムの側近や近親者に依頼して長期間サダムを監禁させておいて、民主党候補(ディーン)の選挙戦の「状況をよく見極めて判断」してから拘束を発表するという姿勢で、相当前から一貫していたのではあるまいか。
ディーンにとって最悪の2日間に都合よく「発見」されたことについて、あからさまに「深層」を語る者だって、ちゃんといる。マクダーモット米民主党下院議員は「この時期に拘束(逮捕)されたのは偶然でない、もっと前から計画されていたはずだ」と発言した。
が、この発言は、民主党内外からひんしゅくを買い、マクダーモットは「みんなもう、うんざりしていて拘束を待ち望んでいた頃だった、という意味で言ったのだ」と釈明する羽目に陥った。
そりゃそうだろう。いままで米民主党は「サダムがみつからない」と言ってブッシュを非難していたのだ。
「『みつからない』と言っては非難し『みつかった』と言っては非難する」というのでは筋が通らない。いったいブッシュはどうすればいいのだ? 自分たちが事前にブッシュの「発表作戦」を見破れなかったことを棚に上げて、何様のつもりだ。
やはり、米民主党(に限らず世界中の反米、反ブッシュの連中)は一歩退いて、自分は頭が悪かった、ブッシュ(陣営)のほうが役者が一枚上だった、と素直に認めるべきではないか。
ケリー、リーバーマン、ゲッパートはサダム拘束をブッシュの功績とたたえる良識を示した。さすがはベテラン政治家だ。彼らはディーンの負け惜しみ発言を「やはり民主党は伝統的に(共和党と違って)安保・外交問題に弱い、という悪い印象を有権者に与えるので迷惑だ」と忌み嫌っている。
●軍事音痴の米民主党●
米民主党は、カーター政権時代に、CIAスタッフを無意味に過剰に削減して、79年のソ連のアフガニスタン侵攻を予測し損なうという大失態を演じたことがある。当時のカーター大統領は、侵攻のニュースにうろたえ、米CIA長官に「CIA なんとかしろ!」と叫んだものの「人材がいません」と反論される始末だった。01年9月11日の米中枢同時テロを防げなかったのも、CIA嫌いの元左翼学生、民主党のクリントン前大統領が在任中にCIAを軽視した結果だという批判が(真相はともかく)米国内外で有力視されている。当時のCIA幹部は、クリントンは、ウールジーCIA長官より、不倫相手のモニカ・ルインスキーと頻繁に会っていた、と嘲笑したほどだ(仏アルテ・フランス03年制作『CIA 知られざる真実』、日本ではNHK-BS1が03年11月25〜27日に放送)。
もはや負け惜しみなど言っている場合ではない。たとえ諜報機関が根回ししたものだろうとなんだろうと、国民は安全保障上の「成果」がTVから流れてくることを常に待ち望んでいる。安っぽい平和主義者の言い訳は視聴率につながらず、逆にサダムの「発見」はブッシュ大統領への世論調査の支持率を10%前後押し上げた。
この期におよんでまだ「WMDがみつかっていないじゃないか」と非難する「識者」が米国にも日本にもいるのには、開いた口がふさがらない。拘束後のサダムの取り調べを担当しているのがCIAで、共和党政権下のCIAが高い工作能力を発揮して来た歴史を振り返れば、WMDが04年夏か秋、大統領選で共和党を決定的に利するタイミングで「発見」される可能性は高いのだ。
そのときどうするつもりなんだ?
また「『みつからない』と言っては非難し『みつかった』と言っては非難する」醜態をさらすつもりか。そんなのは識者の態度ではない。もういい加減に観念しろ。
さもなくば、次の赤恥を防ぐため、今後は小誌を愛読すべきだ(いちばん読むべきは日本の民主党の幹部たちだ)。
(^_^;)
●討ち入りの日●
ところで、作戦名の「Red Dawn」は、日本で『若き勇者たち』の邦題で公開された、84年制作の米国映画から取られたものだ。この映画には、地面の下の「穴」に隠れた高校生の民兵たちが、米本土に侵攻したソ連軍(!?)をみごとにやっつける、という場面がある。なんとなく、米軍はサダムが「穴」に隠れていることを事前に知っていて作戦を実行した、と示唆しているような気もしないではない。
一方、03年12月14日の夜にサダム拘束のニュースが流れ、「穴に隠れているところをみつかって引きずり出された」と知ったとき、筆者に限らず多くの日本人は、『忠臣蔵』の討ち入り(1702年12月14日)で「吉良上野介が吉良邸の炭小屋に隠れているところを四十七士にみつかって引きずり出された」という、映画やテレビドラマの名場面を思い出したのではあるまいか。
のう、テレビの前のおのおのがたも?
(^_^)
【この問題については次回以降も随時(しばしばメール版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です。
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【本年も小誌ならびに佐々木敏の小説をご愛読頂き有り難うございました。年内はたぶん(もしかするとあと一度ありえますが)これが最終配信となります。来年は、配信は1月上旬に再開します。
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