●家族のために●
いま多くの日本国民……とくに04年4月8日に発覚した「イラク日本人人質事件」の人質家族……が願っていることは、人質にされた3人の日本人が無事であることの確認だ。とくに人質家族にとっては、人質の命が、財産より名誉より、何よりだいじなはずだと社会通念上想定される。
もしこの事件がほんものの誘拐事件でなく狂言誘拐だと証明されれば、無事である確率は、ほんものの場合に比べて格段に高くなり、国民も家族も安心できる。
とすれば、狂言の可能性を追求する行為は、人質の無事を願う国民や家族の利益にかなう。
また、その行為は、日本国民1人1人が民主主義国家の一員として持つ、事件の真相を「知る権利」や「言論の自由」の目的にも合致し、高度な公益性がある。
したがって、狂言の可能性を(断定ではなく)検討すること自体は(筆者自身の思想信条とは関係なく)人質や人質家族を敵視するものではなく、名誉毀損でもない。
たとえば筆者の狂言誘拐説を大勢で議論してみて、「やはりほんものの可能性が高い」という結論になれば、「言論の自由」の国の国民としては「不確かな選択肢が消えて、また1つ真相究明に近づいた」と言えるし、逆に「狂言の可能性が高い」となったときは、人質家族は当然、喜ぶはずだ。
万が一、「検討の結果、狂言の可能性が高い」と説く者を非難する人質家族がいるとすれば、それは、その人質家族が「自分の子供や兄弟の、命より名誉(またはイデオロギー)がだいじだ」という極端に人命を軽視した考え方(まるでカルト教団にマインドコントロールされて家族愛を喪失した者の価値観)を持っている場合ぐらいしかない。
人質家族や人質本人のなかに、そのような特異な(または非情な)価値観の持ち主がいることは、社会通念上想定できないので、通常、考慮する必要はない。
したがって、小誌は引き続きこの事件が狂言誘拐である可能性を検討する。
●大誤報の恐怖●
朝日新聞は04年4月9日付の社説で「福田官房長官は…(人質を殺されたくなかったらイラクから自衛隊を撤退させろという)誘拐犯(テロリスト)の要求を拒んだ。かといって要求を突っぱね続ければ、3人の身に危険が及ぶだけでなく、同種の事件を誘発する恐れがある」と述べた。
要求を突っぱねれば、人質は死んでも「テロはやってもムダ」と犯人や世界中のテロリストにわかるので、同種の事件の再発は防げる、というのが国際社会の常識だ。が、敢えて朝日新聞はその逆を唱え、人質の無事を願う人質家族の心情に寄り添うことで暗示的に「自衛隊を撤退させろ」と説いた。
が、翌10日の社説では、一転して「脅迫では撤退できぬ」と、常識に戻った。
これ以降、日本の大手マスコミ各社は「要求を呑んで撤退させろ」という主張をしないことでほぼ一致し、人質や人質家族の立場と微妙に距離を置くようになる。
筆者は個人的に知っている範囲のマスコミ関係者に聞いて、業界の空気を探ってみたが、どうも10日頃から、マスコミ業界では「もしかすると歴史的大誤報をしたのではないか」という懸念が広がったようだ。
この事件は、カタールの衛星放送アルジャジーラが日本時間04年4月8日夜に、「犯人」が送り付けて来た手紙とビデオを放送したことから始まっている。
アルジャジーラは、03年イラク戦争の際、欧米と異なるアラブ独自の視点で報道をしたことから世界中のマスコミの尊敬を集めていた。そのアルジャジーラが事件として放送するんだから間違いないだろう、と日本のマスコミ各社はそのニュースを流すべく、新聞の紙面やテレビの放送時間枠を確保し、専門家への取材や出演交渉を始めた。
この間、日本のマスコミ各社では(日本語や英語の情報については瞬時に分析や価値判断のできる有能な人材が多数いるが)アラビア語情報の分析や価値判断のできる者がほとんどいないで、幹部は通訳が語る日本語情報や、中東の現地スタッフが語る英語情報などの二次情報をもとに「あのアルジャジーラが事件だと言ってるんだから、事件だ」という先入観によって、紙面や時間枠を決定した。
ところが、その決定のあと、大野元裕・中東調査会上席研究員のようなアラビア語のわかる社外の専門家を招いて意見を聞いてみると、「犯人の手紙(犯行声明文)の日付が西暦だけなのはおかしい」という重大な指摘がなされる。
ここで、マスコミ各社の幹部たちも疑い始める。
が、もう「大事件発生」の編集方針で駅売り部数や視聴率を取るんだ、という態勢を組んでしまっているので、いまさら引っ込みが付かない。もちろん大野らの専門家には「これは誘拐事件ですよね」という聞き方しかできない。もう「誘拐かどうかまだわかりませんよね」と聞くようなことは、編集方針上不可能だった。
9日ぐらいまでは、それでも惰性で「誘拐事件に決まってる」と信じようとしていた各社も、10日頃からだいぶ冷静になり、10日の朝日新聞では、前日と正反対の社説を掲げることになる。
【「すわ、日本人へのテロ続発か」と恐れて事件発覚直後の9日に急落して1万2000円の大台を割り込んだ日経平均株価も、週明け12日には反転上昇して大台を回復する。これは株式市場関係者が「狂言か」と思い始めたことを意味している。】
●無責任な放送●
日本のマスコミ各社では、先輩は後輩に必ず「裏付けを取って報道するのが基本」と教える。今回の事件報道の確かな「裏付け」は、(前回検討したとおり、数少ない「物的証拠」である2通の手紙とビデオでは、この事件が、ほんものか狂言か判断できないので)実は「アルジャジーラは責任ある報道をするはず」という思い込みだけだ。
が、現実にはアルジャジーラは無責任な放送局で、「犯人」が送って来た手紙やビデオをタレ流しただけだった。アルジャジーラなら、日本のマスコミと違って社外の専門家など呼ばなくても、「社内」にいくらでもアラビア語情報のわかるスタッフがいるのだから、もし欧米日のマスコミのような良識があって、犯人からの第1の手紙を放送する際に「但しこの手紙には疑問点があるので全面的には信用できない」と解説を付けていたら、おそらくこのニュースは世界的な大ニュースにはならなかったのではないか。「治安が悪くてマスコミが未発達な中東地域の、数ある未確認情報の1つ」ということで、日本でも冷静に受け止められたのではないだろうか。
【アルジャジーラどころか、米国の一流紙でさえ、誤報や偏向報道を連発していた時期がある(小誌「偽善の反戦〜自ら偏向報道を認めたニューヨークタイムズ」)。】
日本のマスコミ各社がアラビア語に弱いので、裏付けなしに思い込みで突っ張り、他社と速報性を競い合った結果「大事件」になったのだ。
【『週刊文春』04年3月25日号の、田中真紀子元外相の長女の離婚に関する記事は、大した記事ではなかったが、長女がプライバシーを侵害されたとして発売直前に「発売差し止めの仮処分」を地裁に求め、地裁がそれを認めたため「言論の自由にかかわる大事件」になった。その結果、日本中の書店で、すでに出荷済だった同号が売り切れ、いつもより多くの読者がその記事を、さも大した記事であるかのように熱心に読んだ。イラク日本人人質事件にも、これと同類の過剰反応が見られる。】
この裏付けのない事件報道のひどさが際立つのが04年4月11日だ。日本時間11日午後3時18分、時事通信のバグダッド駐在現地スタッフが、アルジャジーラの「日本人人質が近く解放される」という報道を「解放された」と聞き違えて東京に打電すると、アラビア語のわからない日本人幹部はそれを鵜呑みして世界に配信してしまった。ロイター通信や新華社が転電し、毎日新聞Web版やTBSも速報したため、大騒ぎになった(時事通信は約35分後に記事を取り消し、午後5時頃おわびを配信。産経新聞04年4月13日付朝刊3面、共同通信Web版4月11日)。
この誤報は特異なケースではない。この事件の発覚当初から一貫して、日本のマスコミは(アラビア語に弱いという現実は一貫して変わらないので)入手した情報の細かいチェックや価値判断が不十分なまま、針小棒大な報道を続けていたのだ。
アルジャジーラは、日本時間11日未明には、人質解放を予告する第2の手紙(犯行声明文)を報道したが、その19時間後には「24時間後に人質を殺す」という矛盾した声明を、信憑性は低いと言いつつ報道するなど、人質家族の神経を逆撫でしかねない、下劣なまでに無責任な態度すら見せた(19時間前の報道の信憑性は検討したのか)。
●入国せず?●
日本の大手マスコミにとって「イラク日本人人質事件」がほんものの誘拐事件だとする「裏付け」は、アルジャジーラに独自の取材・分析能力がほとんど期待できないとわかったいまは、上記の2通の手紙とビデオ、それに、人質3人が、イラク入国直前にヨルダンの首都アンマンのホテルで書いたホームページの書き込み(今井紀明さんの「幻の書き込み」でなく、高遠菜穂子さんのアンマン出発予告)や電子メール、ホテル従業員や知人との会話、ノートへの記帳、といった弱い状況証拠だけだ。
厳密には、3人がイラクに入国したという証拠はない。
上記の2通の手紙のどこにも「イラクで拘束した」とは書いてない。ただ、第1の手紙の差出人名が「イラクの聖戦士旅団(サラヤ・ムジャヒディン、戦士隊)」となっていたから、そうだろうと思われているだけだ。第2の手紙に至っては、その差出人名の「イラクの」すらないので(ただの「聖戦士旅団」なので)これを「イラク日本人人質事件」と呼んでいいか、甚だ疑問だ。
日本政府の調べでは、3人がヨルダンとイラクの国境を越えた、という国境検問所の記録はみつかっていない(04年4月13日放送のNTV『ザ・ワイド』で、評論家・有田芳生)。
人質のうち、郡山総一郎さんはアンマンを発つ前にホテルの従業員に「イラクに行ったら死ぬかもしれない」と言い、今井紀明さんもメールで友人に「予想以上にまずい状況になっている。後は運次第」と書き、高遠菜穂子さんも国境で引き返す可能性を示唆していた(産経新聞04年4月10日付朝刊2面「3人の足取り」)。
3人は、現時時間6日夜11時(日本時間7日午前4時)にタクシーでアンマンを発ってイラクをめざしたが、常識的に見て、検問で止められて国境を越えられなかったか、止められるまでもなく「越えない」と(タクシーの運転手が)決断した可能性が高い。
【読売新聞は「そのタクシー運転手がイラクで知人に、事件の真相を語ると殺される、と怯えながら真相(イラク入国)を語った」と二次情報を伝えているが(読売新聞Web版04年4月14日)、殺されたくなければ真相は言わないはずなので、明らかに矛盾している。】
(^^;)
●ヨルダン●
もちろん国境を越えなかったから即狂言だ、とはならない。国境の手前で誘拐されれば、いちおうほんもの誘拐事件ということになる。が、イラクに入国した場合より、しなかった場合のほうが、狂言である確率は高い。
つまり、人質がイラクにいてほんもの誘拐である場合、イラクにいて狂言の場合、イラク国外にいてほんものの場合、国外にいて狂言の場合、と4通り考えられるのだ。
もちろん4月8日にイラク国内で一時拘束された韓国人牧師一行の「3人に似た東洋人と一緒にいた」という目撃証言もあるが(産経前掲記事)確実ではない。
となると、人質がヨルダンにいる可能性は低くない。
もし「狂言か否か」という議論の立て方が嫌な方は「イラクかヨルダンか」という形でもいいから、「イラク日本人人質事件」の全体像を考え直してみてはどうだろう。
ちなみに、アンマンに派遣されて現地に緊急対策本部を設置した逢沢一郎外務副大臣は、13日にヨルダンのファエズ首相と会談し、協力を要請するという。実は、この日から政府は情報管理を徹底し「この件ではマスコミの取材には応じない」ことにしたので、会談の内容は不明だ(が、ヨルダン国内で人質を探してくれ、と頼んだ可能性はある)。
●シリア●
尚、イラクの治安が悪く、隣国シリアから過激派が「義勇兵」と称して多数入国していることを考えると、ヨルダンはシリアとも国境を接しているので、シリアにいる可能性もある。
もしシリアにいるなら、犯行声明文(手紙)にある日本的記述がよく理解できる。シリアには数十年間、重信房子らの日本赤軍メンバーが潜伏し、重信に至っては現地でパレスチナ・アラブ人男性との間に子供までもうけているからだ。
10日に届いた第2の手紙には「(日本政府が自衛隊撤退要求を無視し、人質3人の命を軽んじた結果)われわれ(犯人)は、日本政府に代わって日本国民の生命を守る完全なる正当性を与えられた」という趣旨の記述があるが、警視庁の過激派専門のあるベテラン捜査員は、これは日本のマルクス主義活動家が多用している論理だ、という(産経新聞04年4月13日付朝刊3面)。
もちろん、日本赤軍はとっくにシリアを追い出され、重信は日本に帰国して00年11月、過去のテロに関する逮捕監禁・殺人未遂容疑で逮捕された。が、彼女の元日本人同志「日航機よど号乗っ取り犯」は北朝鮮で健在で、いまだに日本人拉致などのテロや犯罪に手を染めているとされ、また重信とシリアで一緒だったアラブ人過激派も当然、シリア、イラク、ヨルダンの国境を股にかけて活動中と推定される。
つまり、今回の誘拐事件の「裏付け」となっている2通の手紙とビデオは、べつに犯人や人質がイラクに入国しなくても、イラク人が関与しなくても、日本人過激派が現地の過激派(ヒロシマをフルシマと間違える、あまり教養のないシリア人や、ヨルダンに大勢いるパレスチナ・アラブ人難民)を雇えば、作れるのだ。
「人質」自身であるかどうかはともかく「犯人」のなかに(フルシマの誤字をみつけられない程度の)アラビア語の苦手な日本人の左翼思想家がいる確率はかなり高い。
●要入国●
もし犯人のなかに日本人の「同志」がいるのなら、犯人が人質を殺す確率は低いので、この仮説は、人質家族にとっては望ましいものだ。筆者は人質家族にほめてもらいたい。
但し、イラク国外に人質がいる場合は、解放するのは容易でない。ほんものであれ狂言であれ「イラクの反米武装闘争の一環として日本人を拘束した」というタテマエになっているので、いったんイラクに入国しないと解放できない。ヨルダンでつかまえてヨルダンで解放、では世界中が呆れてしまう。
が、ヨルダンやシリアに近いイラク北西部では、バグダッドの西にあるファルージャを中心に、4月にはいって反米武装闘争が激化しており、そこへはいるのは難しい。
少なくとも北西部の武力衝突が沈静化するまで、人質の「解放」はないのではないか。
●人質が犯行声明!?●
高岡豊・中東調査会研究員は、第2の手紙はアラビア語を母語としない者が書いた可能性を指摘したうえで、「犯人」が、米国のHurshimaとNazakiへの核爆弾投下にふれたあと「米国は…ファルージャに対して同じことをしているが、それは国際的に禁じられた爆弾を通じた……野蛮な方法で行われている」と述べている点に注目した。核爆弾と同じ(被爆の害を与える)「国際的に禁じられた爆弾」は、米軍が戦車の砲弾に用いる劣化ウラン弾のことだが、ファルージャの現地住民は戦闘には関心があっても劣化ウラン弾にはさして関心がないので不自然だ、という(産経新聞04年4月14日付朝刊3面)。ちなみに、人質の今井紀明さんは劣化ウラン弾に関心が高い。
【幻の書き込み】
前回の記事で公募した「今井紀明さんがインターネット上で事件を予告した投稿」につき多数の情報提供を頂き、有り難うございました。
が、残念ながら、一次情報やそれに近いものはなく、二次情報、三次情報ばかりでした。とくに、事件が発覚した、日本時間04年4月8日午後6時頃より前に、その(本人による)最初の書き込み(投稿)を直接間接に見た、という目撃証言は得られませんでした。これでは、狂言誘拐の証拠にはなりません。
「そういう書き込みがあった」という二次情報が飛び交う理由は、元々そこに書き込まれていたというBBS(インターネット掲示板)が現在閉鎖されていることにあります。真相の究明は、それこそ「中途採用捜査官」が捜査令状をもってそのBBSの管理者から必要なデータをすべて押収しない限り(元々が捏造情報であった場合は、押収してもなお)不可能なので、筆者は諦めます。
筆者の狂言誘拐説は、前回述べたように、「家族愛が薄いと感じる少年が、自分がどれくらい愛されているか確認するために起こした」と思ったところから始まっており、しかも状況証拠としては、「犯人」の手紙とビデオ(これは「ほんもの説」を支える主要な証拠のすべて)をおもに取り上げて論じて来ました。
筆者にとって、この書き込みの証拠は「あれば助かる」ものでしたが、以後は考慮しません。
m(_ _)m
重ね重ね、ご協力有り難うございました。
(人質以外は敬称略)
【この問題については次回以降も随時(しばしばメール版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です。
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