内野手出身の監督

〜シリーズ「アテネ五輪」(3)〜

Originally Written: Aug. 13, 2004(mail版)■内野手出身の監督〜週刊アカシックレコード040813■
Second Update: Aug. 13, 2004(Web版)

■内野手出身の監督〜シリーズ「アテネ五輪」(3)■
アテネ五輪野球・日本代表の長嶋茂雄監督と中畑清監督代行はともに内野手出身だ。内野手出身の監督は他の監督と比べて(選手のプライドを傷付けてでも勝とうとするほど)勝利への執念が強い。
■内野手出身の監督〜シリーズ「アテネ五輪」(3)■

■内野手出身の監督〜シリーズ「アテネ五輪」(3)■
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●広岡遊撃手●
82年にプロ野球パ・リーグ西武の監督に就任した広岡達朗は、阪神で「捕手失格」の烙印を押され、西武では指名打者(DH)に転向していた主砲(四番打者)田淵幸一に一塁手としての守備練習を命じ、またシーズン開幕当初の数試合は、実際に公式戦でも一塁を守らせた。

これは評論家には不評だった。田淵の一塁守備は下手だったからだ。が、広岡は平然としていた。理由は明言されなかったが、日本シリーズ対策なのは間違いなかった。

当時も現在(04年)も、DH制はセ・リーグでは採用されておらず、日本シリーズでも、この頃までは両リーグの合意がないため、DH制なしで戦うことを、パの優勝チームは余儀なくされていた。このため、西武のようなDHが四番打者のチームは日本シリーズに出ると突然四番打者なしで戦うことを強いられ、またシーズン中一度も打席に立ったことのない投手が打席に立たなければならない、というハンディを負うことになっていた。

が、広岡は、2月の春季キャンプから選手たちに「目標は日本シリーズ制覇」と公言し、投手陣には(リーグ優勝を逃せば完全に無駄になる)打撃(バント)練習をさせていた。

DHの田淵に一塁守備の経験をさせるのも、もちろん日本シリーズを見据えてのことで、この戦略が奏効して西武は82、83年の日本シリーズを制覇し、とくに83年の巨人との日本シリーズでは、「田淵一塁手」がめったにないような大ファインプレーを演じた。

●大沢外野手●
広岡とは対照的に、81年にパ・リーグで優勝した日本ハムの大沢啓二監督は、巨人との日本シリーズの直前に「日本シリーズにDH制がないのは不公平だ」と愚痴をこぼした。

当時、熱心な「アンチ巨人ファン」だった筆者は、この発言に激怒した。
日本シリーズにDH制がないことはシーズン開幕前からわかっていることだ。たとえシリーズにDH制が採用されるにしても、両リーグの平等を期して「隔年採用」か(現在のように)「半分採用」(パ・リーグ主催試合のみ)になることは当時から明らかだったから、いずれにせよパ・リーグの優勝チームはDH制のない試合を戦わないと日本シリーズで優勝できない「宿命」にあるのだ。

それがわかっていながら、シリーズ直前になって言い訳がましいことを言うとは何事か! シリーズに勝てなかったときの「予防線」か、と筆者には思われた(やる気がないなら、やめちまえッ)。そして案の定、日本ハムは巨人に負けた。

●仰木二塁手●
89年のパ・リーグの優勝争いは終盤まで、西武と近鉄のデッドヒートが展開された。

西武 126試合68勝50敗8分 .576 -
近鉄 125試合 67勝53敗5分 .558 2.0

上記のように、10月9日の時点で首位・西武を、近鉄は2ゲーム差で負っていた。残り試合は西武が4、近鉄が5で、以下のような日程(すべてナイター)になっていた:

10日(火):西武×近鉄
11日(水):西武×近鉄
12日(木):西武×近鉄
13日(金):
14日(土):近鉄×ダイエー
15日(日):近鉄×西武

当時は引き分け試合を「ない」ものとして残りの勝敗で勝率を計算して、いちばん勝率の高いチームを優勝としていたので、近鉄は残り5試合を、対西武戦3勝以上を含む4勝以上で乗り切らないと、逆転優勝は望めない情勢だった。

近鉄は10日の西武戦に勝った(勝利投手は先発の山崎慎太郎)。が、11日の試合が雨で翌12日のデーゲームに変更になったため、西武は休養十分でコンディションのいい、しかもデーゲームに強いエース郭泰源を先発させることが可能になった。

他方、近鉄は投手陣のやりくりが苦しく、12日には、中3日(やや休養不十分)でコンディションの悪いエース阿波野秀幸を先発させなければならなかった。

ここで問題は、阿波野をデーゲーム、ナイターのいずれに起用するか、ということだった。
当時ラジオなどで野球解説者をしていた鈴木啓示(元近鉄投手)や張本勲(元日本ハム等外野手)は「郭対阿波野で、イチかバチか、エース同士が対決して、スカっと気持ちよく決めればいい」「エースで負けたら終わりだ」と主張した。

が、近鉄の仰木彬監督はそうはしなかった。
よく考えてみると、近鉄は対西武戦を1つ負けてもよいのだ。なら、12日のデーゲームは郭泰源に勝たせてしまったほうがいいのではないか?……もしこの試合で阿波野を郭にぶつけて負けてしまうと、その夜の試合では近鉄にはもう主力級の先発投手がいないから、連敗の可能性が高い。そして連敗したら、その瞬間に近鉄の優勝はなくなる。

他方、15日の最後の西武戦には、10日の西武戦に勝ったばかりの山崎を中4日(休養十分)で先発させることができ、十分「勝負」になる。

だったら、鈴木の言うような、そんな「自殺行為」のようなエース対決をわざわざする必要はない。スカっとしようがしまいが、そんな「投手の美学」などどうでもいい。優勝するために野球をしているのであって、美学のためにしているのではない……そう考えた仰木は、12日のデーゲームでは阿波野らの数人の主力投手をベンチから引き揚げて「捨てゲーム」にした。逆に夜の試合には西武は、郭のような主力級の先発投手は休養不十分で、出せない状態(西武の捨てゲーム)なので、近鉄は阿波野を先発させて確実にこれに勝ち、12日のダブルヘッダーを1勝1敗にしておいて、残り試合に勝負をかける作戦だ。

ところが、その昼間の「捨てゲーム」に、近鉄の主砲ラルフ・ブライアントの神がかり的な3打席連続本塁打が出て、近鉄が(阿波野を使わずに)勝ってしまう。当然、そのあとのナイターは西武の捨てゲームなので、エース阿波野を温存していた近鉄の楽勝となる。このダブルヘッダーに予想外の連勝をしたことで、近鉄は一気に首位に立ち、15日の最終戦を待たずに、14日のダイエー戦に勝って優勝を決めた。

どんな局面にあってもあきらめず(自暴自棄にならず)、たとえ捨てゲームを作ってでも、常に少しでも優勝する確率の高い作戦を選ぶ……それが仰木の方針だった。

●古葉遊撃手●
79年11月4日、両チーム3勝3敗で迎えた「近鉄×広島」の日本シリーズ第7戦、先攻の広島が「4-3」と1点リードで迎えた9回裏・近鉄の攻撃、広島の抑えのエース江夏豊は、無死満塁のピンチを迎えた。二塁走者が生還すれば逆転サヨナラ勝ちで近鉄の、逆に江夏が0点で抑え切れば広島の、それぞれ日本シリーズ初優勝となる。

江夏は抑えのエースなので、セ・リーグのシーズン中の試合では、広島の古葉竹識(こば・たけし)監督は「江夏のあとに投げる投手はいない。江夏が打たれて負けたら終わりだ」と全幅の信頼を置いて江夏を終盤のマウンドに送り出していた。

ところが、このピンチを迎えて、古葉はブルペンに司令を出し、「江夏のあとに投げる投手」たちを選んでウォーミングアップを開始させた。

江夏は怒った、「監督はいままで1年間オレを抑えのエースとして信頼して来たのに、この土壇場になってオレを裏切るのか」と。

江夏の怒りと動揺は態度に、表情にありありと出た。すると、こんどは、それを横で見ていた一塁手の衣笠祥雄が怒った、

「監督なんかどうでもいいだろ。おまえはおまえの仕事をしろ。おまえがここでいい加減な気持ちでいい加減なピッチングをして、打たれて負けることは、絶対に許さん」。

江夏によると、このとき衣笠は「とてもテレビでは言えないような、きたない言葉を使って、怒りをぶちまけた」という(83年1月24日放送のNHK特集『江夏の21球』)。

このとき、古葉が、江夏のエースとしてのプライドを傷付けたのは間違いない。が、日本シリーズはシーズン中の試合(当時)と違って、試合の時間制限が3時間ではなく5時間もあったから、万が一9回裏で同点、延長になった場合は(当時の日本シリーズはDH制が不採用だったので)江夏に代打を出し、そのあとに救援投手を投げさせることも必要になる(当時のプロ野球ではいまと違って、延長は回数ではなく時間で制限されていたが、日本シリーズだけはその制限時間が長かった)。

古葉はのちに「延長にはいってから救援投手にウォーミングアップを始めさせたのではとても間に合わないから、あの時点で始めさせた」と述べている(前掲『江夏の21球』)。

江夏はチームの勝ち負けよりも自分のプライドを大切にした。しかし、元内野手の古葉と当時内野手の衣笠は、そんな「くだらないもの」よりチームの勝利を最優先に考え、力ずくで江夏のプライドを封じ込めた。

そして江夏はその回、計21球を投げて近鉄を0点に抑え、広島は優勝した。

●内野手出身の監督●
元捕手の野村克也が、90年代にヤクルトで監督としても成功し、「野村ID野球」という言葉が流行語となり、捕手は高度な頭脳を要求される守備位置だと認識されるようになったため、「捕手出身者こそもっとも監督にふさわしい」と思っている野球ファンが、日本には少なくない。

が、筆者はこの説に反対である。
監督の使命は勝利であり、その勝利への執念がいちばん強いのは内野手だからだ。上記の広岡、仰木、古葉、衣笠はいずれも内野手であり、その執念深さは外野手(大沢、張本)や投手(鈴木、江夏)のそれとは比べ物にならない。

内野手たちは、ルール(DH制の有無)が自分たちに不利であろうが、「エース対決」から(卑怯にも)逃げたと言われようが、捨てゲームを作ろうが、エースのプライドを傷付けようが、どんな手を使ってでもとにかく勝ちたいのだ。

【仰木はオリックス監督時代、96年10月24日、巨人との日本シリーズ第5戦で、外野飛球をめぐる判定を不満として選手全員をベンチに引き揚げさせ「放棄試合も辞さず」の構えで審判を脅し、猛抗議した(日経ネット関西版02年11月1日)。が、このとき仰木は怒りにわれを忘れていたわけではなく、抗議を始める前に冷静に、ブルペンの救援投手にウォーミングアップを命じ、抗議終了後の試合再開に備えていた……興奮して抗議したという「芝居」までしてウォーミングアップの時間を稼ぎ、勝とうとする。それが内野手だ(仰木はこの試合に勝ち、優勝した)。】

彼ら内野手が異様なまでに執念深い理由は、上記の衣笠の言動にはっきり表れている。
内野手は常に投手のすぐそばにいるので、投手がふがいない投球をするときは、投げる前からそれとわかるのだ。これは、投手から遠く離れた守備位置を守っている外野手はまったく経験することのない、内野手独特の感覚だ。

有史以来「ああ、この投手に代わってオレが投げたい」「この捕手に代わってオレが投手をリードしたい」と思った内野手は、何人もいただろう。しかし、ほとんどの場合、それは不可能だ。

他方、投手は自分で自分の最高の投球をして、それで打たれたら仕方がない、とあきらめが付く(ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手は、自分の最高と思った投球を強打者に豪快に本塁打されると、悔しい想いをするより先に、かえって感動してしまうことがある、と述べている)。捕手も、そういう最高の投球を投手から引き出して、なおかつ相手打者の能力がそれを上回って打たれたら仕方がない、とあきらめられる。

が、内野手はあきらめ切れないのだ。優秀な内野手の目の前で「投手と捕手が勝手なことして負けちまったッ」という状況は容認しがたいものだ。「勝負の決め手」(投球の選択肢)は自分の目の前にあるのに、それに対して何もできないという、投手も捕手も外野手も経験することのない歯がゆい想い……それが内野手の宿命だ。

●チームいのち●
日本では、内野手、とくに二塁手は末っ子の守備位置になっている(十数年前、NHKの番組がプロ野球12球団の選手にアンケートをとった結果、主力の二塁手はほぼ全員末っ子だった)。

末っ子は「自分の下に弟妹が生まれて、家族の関心がそっちに移って嫉妬する」という経験がない。生まれたときから、自分と同じような小さい仲間(兄姉)がまわりにいるので、「みんないっしょに幸せにならないと幸せでない」という感覚が強く、周囲をよく見て気配りする者が多い。

内野手も同じである。
投手は圧倒的な剛速球を持っていれば、1人で主役になり1人で弱小チームを強豪に変えることもできる。捕手も、そういう投手にサインを出してリードすることで準主役になれる(とにかく投手と捕手は試合中いちばんたくさんボールにさわれる)。
が、内野手は1人では何もできない。ダブルプレーを成立させるには、内野全体の守備がうまくないといけない。自分1人だけうまくなっても、なんの意味もないのだ。

ところで、監督の仕事は、チーム全体に目配りをし、全体の能力を向上させ、その能力を用いてチーム全体として「勝つ」ことである。

とすれば、監督の職務は明らかに内野手のそれに近い。
投手は常に(チーム全体でなく)自分の投球を第一に考えるし、捕手の気配り目配りの対象も、実はチーム全体ではなく、ほとんど投手だけである。

【草野球の三塁手、遊撃手にはよく、ゴロを捕ったあと「オレの肩の強さを見せてやる」と言わんばかりに(一塁手のミットではなく)一塁のほうに向かって力任せに送球して一塁手に捕球で苦労させる者がいるが、そのような気配りのない者は内野手(および監督)としては失格であり、投手か外野手になるべきだ。】

おそらく、投手出身、捕手出身の監督は、エースのプライドを傷付けるような投手起用は、それが必要な局面に来ても躊躇(ちゅうちょ)するだろう。が、内野手出身の、選手時代に何度も悔しい負け試合を経験して来た監督は、なんの躊躇もしないだろう。

以上の理由から筆者は、五輪代表のような「絶対負けられない戦い」を強いられたチームの監督には、内野手出身者が望ましい、と考える。

●長嶋三塁手●
幸いに、アテネ五輪野球・日本代表の長嶋茂雄監督は元内野手だ。彼は金メダルを取るためには少々いセコい手を使ってでも勝つと述べており、まさに内野手の発言だ(スポニチ00年11月3日付3面「長嶋監督『鬼』 五輪のためなら『スクイズだって』」)。

長嶋は代表チームのコーチ3人のうち2人までを内野手出身者、中畑清・打撃兼ヘッドコーチと高木豊・守備走塁コーチでかためて、五輪のアジア地区予選を勝ち抜いた。

その後、長嶋は脳梗塞で倒れ、五輪本番では中畑が監督代行として指揮を執ることになった。中畑はプロ野球で監督経験がないので、その点は心配である。

●中畑選手会長●
が、中畑は内野手(三塁手、一塁手)出身で、しかも6人兄弟の末っ子である。だから、注意深く全選手に目配りして適材適所に起用し、たとえエースのプライドを傷付けてでも、四番打者にスクイズをさせてでも勝ちに行くだろう。

アテネ五輪直前の、日本代表とイタリア・プロ野球選抜との練習試合から、中畑は、中日の四番打者・福留孝介を代表チームの一番打者に起用し(ポイントゲッターではなく)チャンスメーカーとして使う奇策に出て成功しているし、近鉄の四番打者・中村紀洋には送りバントをさせている。

たぶん「中畑監督」で大丈夫だろう。すくなくとも某元外野手などよりはるかに強く(代表)監督向きの性格と観察力持っていることは間違いない。

ちなみに中畑は現役選手時代、球界の全選手に気配りした結果、労働組合「プロ野球選手会」を創設し初代会長になった人物だ。

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 (敬称略)

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