オスカーの地政学

〜シリーズ「3月14〜29日の死闘」(3)〜

Originally Written: Feb. 25, 2004(mail版)■オスカーの地政学〜シリーズ「3月14〜29日の死闘」(3)■
Second Update: Feb. 25, 2004(Web版)

■オスカーの地政学〜シリーズ「3月14〜29日の死闘」(3)■
近年、米アカデミー賞(外国作品賞)では、今後の米国にとって軍事戦略上重要な同盟国(東欧、南欧、台湾)が優遇され、そうでない国(中仏)は冷遇されているので、04年には日本映画『たそがれ清兵衛』が外国作品賞、日本人俳優・渡辺謙が『ラスト・サムライ』で助演男優賞を、それぞれ受賞するはずだ。
■オスカーの地政学〜シリーズ「3月14〜29日の死闘」(3)■

■オスカーの地政学〜シリーズ「3月14〜29日の死闘」(3)■
【前回「3月アフガン決戦〜シリーズ『3月14〜29日の死闘』(2)」 から続く。】

95年、野茂英雄投手が米大リーグ入りした際、米国は国を挙げて野茂の活躍を称え、日米の友好関係はおおいに深まった。これを見た北朝鮮政府は「米国社会が国籍や人種にかかわらず才能のある者には敬意を払う、というのはタテマエでなく本当だ」と気付き、97年、米朝関係を好転させる一助とすべく、身長236cm、と(当時)世界一長身のバスケットボール選手リ・ミョンフンを渡米させ、NBA(全米プロバスケットボール)入りさせようとした。

彼はNBAで「通用する」との評価を得た。が、結局どのチームも彼を受け入れず(Asian Sports Net)、北朝鮮は「米国社会が国籍や人種にかかわらず……敬意を払う」対象は、友好国の国民または米国への亡命者に限る、という不文律を思い知らされた。北朝鮮国籍の選手がNBAで活躍して、「敵国北朝鮮」への米国民のイメージが好転するようなことがあっては、米国は困るのだ。

●スポーツ・芸術にも国家戦略●
米国は自由主義国家なので、スポーツや芸術芸能の民間団体(企業)は政府から独立して活動する。
しかし、保守本流(エスタブリッシュメント)と呼ばれる支配階層(絶対外国のスパイにならない名門家系など)は秘密クラブ(結社)を通じて政財界、スポーツ界、芸能界など各界の指導層と人脈を作り、ときに地政学などの教養を語り合う。上記の北朝鮮バスケ選手への拒絶は「差別」ではなく、地政学的教養と愛国心に基づく「国防」だ。

ちなみに、19世紀の欧州美術界に巻き起こった、浮世絵を中心とする日本ブーム「ジャポニズム」(ゴッホなど多くの印象派画家の日本崇拝)は、欧州諸国の支配階層の、国益を考えた戦略によると考えられる。

それは、欧州人の中国(文化)への態度と比較すると一目瞭然だ。
19世紀の欧州諸国は、地政学上の海洋国家(島国)である日本での権益を保護するには、日本沿岸に軍艦(黒船)を航行させて大砲で威嚇するだけで十分だった。日本国内の治安悪化も内乱も、自国の海軍力でそれなりに解決できるから、日本は貿易相手、投資先、海軍基地、軍事同盟国とさまざまな形で比較的容易に(低コストで)利用できる。そこで、欧州諸国指導層は、19世紀後半に日本を開国させると、その代表的大衆芸術である浮世絵を大量に輸入し売買し、欧州諸国民に「日本はすぐれた美術大国であり、侵略すべきでない」と印象付けることに成功した。

このため日本は、欧州に侵略されて植民地になることはなく、むしろ欧州の大国・英国の同盟国として、欧州の外縁に位置する「野蛮国」ロシアを牽制する役割を与えられた。そして日本は、英国などの支持を得て1904〜05年の日露戦争に勝利し、欧州諸国に伍して列強の仲間入りをはたすことができた。

ところが、中国は大陸国家で、広すぎ、統一性が薄く(べつに外から侵略しなくても)内部で勝手に分裂する傾向があり、しかも一度分裂したらそれを修復するのは容易でない(再統一には数十年から数百年かかるため、「中国4000年の歴史」の半分以上は分裂の時代だ)。投資保護や治安維持のために軍艦を送っても守れるのはせいぜい沿岸部までで、内陸に行くとどうなるかわかったものではない。つまり、中国は欧州諸国にとっては、長期的に安定した投資先、軍事同盟国としては利用できない、地政学上困難な宿命を負った国だったのだ。

だから、欧州諸国は(日本に対するときと違って)中国にはハゲタカのように襲いかかり、侵略して分割して、刹那的利益追い求めて使い捨てにすればいいと考えた(とくに英国は残虐で、阿片を押し売りする「阿片戦争」を仕掛けて中国文明を徹底的に破壊した)。だから、間違っても欧州の世論が中国に敬意を抱くことなどないように、欧州各国の指導層はふるまい、そのため、欧州にすぐれた中国文化が輸入されて中国ブームが起こる、などということもなかった。

マスコミではよく世界中ほとんどすべての国に対して「X国はY地域の要に位置する地政学上重要な国」などと言うが、デタラメだ。たいていはタダの社交辞令だ。たとえば米国から見ると、不安定な大国・中国と地続きで防衛コストのかかる韓国には、島国で守りやすい日本や台湾ほどの地政学上の価値はない。またアフリカ南部などには、地政学上なんの価値もない国はいくらでもある。

北朝鮮だってそうだ。違法な核兵器開発などをしてギャーギャーうるさいから、04年現在、仕方なく米国は北朝鮮とかかわっているが、それがなければ、あんなロクな地下資源もない貧しい半島国など、滅亡しようとどうしようと関係ない。 だから、当然、米国各界の指導層は、そういう無価値な国とスポーツ(バスケ)を通じて友好を深めるなどという、なんの国益にもならない、地政学上有害な行動はとらないのだ。

逆に、地政学上有益と判断した国とは、あらゆる手段で友好関係を持とうとする。
たとえば、南米で唯一サッカーよりも野球がさかんな国はベネズエラだが、それは米スポーツ界が大勢の野球人を送り込んで、米国の国技である野球を普及させた結果だ。

なぜそんなことをしたのか……それはベネズエラが南米最大の産油国だからだ。ベネズエラ国民はTVを通じて、自分たちの同胞が米大リーグで活躍し、米国人の声援を受けている姿を見、米国に対して優越感と感謝の念を抱く。当然、同国内には親米世論が醸成され、それは同国に反米政権ができた場合でも米国への石油禁輸などの反米的な政策をとりにくくする、一種の「抑止力」として機能する。

米国にとって、北朝鮮はゴミだがベネズエラは宝だ。そのことを米スポーツ界の指導者たちは知っているのだ。

●ハートランド●
地政学では、米国のような海洋国家が海軍力をもってしても容易に攻撃できないユーラシア大陸の心臓部、カスピ海周辺から中国の新疆ウイグル自治区あたりまでの地域をハートランドという。地政学者マッキンダーは「東欧を制する者はハートランドを制し、ハートランドを制する者は世界島(ユーラシアとアフリカをあわせた陸地)を制する」という理論を提唱した(じっさい、13世紀のモンゴルや19世紀の帝政ロシアがユーラシア大陸の半分以上を支配する大帝国に発展できたのも、中東で生まれたイスラム勢力が「聖戦」を展開してインドや東南アジアまで布教できたのも、いずれもハートランドを支配したあとだった)。

ソ連(ロシア)はこの理論を信じて東欧を侵略し、そこを拠点に西欧や中東を含めた世界島の支配をめざした(倉前盛通『新・悪の論理・増補版』日本工業新聞社80年刊、p.18)。

ソ連崩壊後、ポーランドなどの東欧諸国はロシアの支配から逃れ、西側の軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)に加盟し、米国の同盟国となった。これによって、ソ連に代わって米国が、東欧を拠点に中東を含めた世界島の支配者となる道が開かれた。すでに米国は反テロ戦争を契機にアフガニスタンとイラクに橋頭堡を築いたので、これでハートランドはほぼ米国の掌中に落ちたと見てよい。

但し、米国本土を発った空母や長距離爆撃機が東欧やハートランドで影響力を行使するには、スペイン、イタリア、および、ボスニア・ヘルツェゴビナなどの旧ユーゴ諸国、ギリシャ、トルコの沖合い(領海)や領空を通過する必要がある。

とすれば、米指導層は、スポーツ・芸術・芸能、あらゆる手段を用いてこれら諸国を友好国にしようとするはずだ。ベネズエラで野球が使えるなら、欧州で映画が使えないはずはない。いや、すでに十分に使われている。

●米アカデミー賞外国作品賞●
99年米アカデミー賞(オスカー)授賞式では、米アカデミー協会は外国作品賞のプレゼンターとしてイタリア人女優ソフィア・ローレンを事前に招待していた。結果は事前にはわかっていなかったが、受賞したのはイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』で、オスカー像はイタリア人からイタリア人へと渡された。00年の同賞のプレゼンターはアントニオ・バンデラスとペネロペ・クルズという2人のスペイン人俳優で、受賞したのはスペイン映画『オール・アバウト・マイ・マザー』だった。これらはノミネートの時点で「優勢」とされた候補作にゆかりの人物をプレゼンターに選んでヤマを張る「予想(予定)どおりの授賞」だった。

00年の授賞式では、ほかに、ポーランドの巨匠、映画監督アンジェイ・ワイダに名誉賞も贈られた。受賞スピーチでワイダは「(ソ連の支配を脱して民主化した)ポーランドはついに西側(米国主導)の軍事同盟の一員にもなれた」と述べた(おそらくオスカーをもらったお礼に「軍事同盟」などと物騒な言葉で応えた受賞者は、歴史上彼しかいまい。日本の左翼平和主義の論理に従えば、ワイダは「軍国主義者」として非難されるべき、ということになろう)。

もうお気付きだろう。イタリア、スペイン、ポーランドはいずれも米国の忠実な同盟国で、米国のイラク戦争を支持し、04年現在、イラクに派兵して米軍に協力しているし、(後出のボスニアも含めて)米軍が東欧やハートランドに行くときの「通り道」にあたる。

01年に外国作品賞を受賞した『グリーン・ディスティニー』は一見中国映画のように見えるが「戸籍上」は台湾映画だ。これは、台湾人の監督(アン・リー)が香港人(俳優チョウ・ユンファ)や東南アジアの華僑(女優ミッシェル・ヨー)など、おもに中国本土以外の人材を多数動員して作った映画であり、表現の自由のない共産主義国家・中国では、人口が13億もいるわりには芸術芸能の人材が手薄であることを印象付ける作品だ。

03年には(亡命していない)中国本土出身者(監督チャン・イーモウ、俳優ジェット・リー)が中心になって作った中国映画『英雄 HERO』が同賞にノミネートされたが、受賞は逸した。他方、02年には、米軍の旧ユーゴ(セルビア)への空爆を正当化する内容のボスニア映画『ノーマンズ・ランド』が同賞を受賞している(中国政府は、99年の旧ユーゴ空爆には反対していた)。

中国は49年の建国以来軍拡を続け、インド侵攻への通り道として、すでに獲得したチベットに続いて、ネパールも侵略しようとねらっており、インドはそれに対抗して核兵器を保有しているが、米国は中国の膨張は望んでいない。だから、ハリウッドは『セブン・イヤーズ・イン・チベット』などの、チベットを擁護したり中国を批判したりする映画を多数作ってきたし、00年には(唐突に?)ネパール映画『キャラバン』をオスカーの外国作品賞にノミネートした(近年の外国作品賞一覧はこちら)。

オスカーが地政学上の理由で選考されていることは間違いない。
したがって、今後外国作品賞などで優遇されそうな国は、東欧諸国(とくに米軍基地移転予定のあるルーマニアなど)、南欧諸国(ギリシャ、セルビア以外の旧ユーゴ諸国)、グルジア、トルコ、オランダ、インド、ネパール、モンゴル、日本、そして、タイなど東南アジア諸国。逆に冷遇される国は、中韓仏露、スイス、北欧諸国だ。

【尚、外国作品賞は正式には「外国作品賞」なので、セリフが英語の、英国や豪州の映画は対象外。】

●組織票?●
ところで、米アカデミー賞の本選は、過去の受賞者と米映画業界有力者から成る米アカデミー協会会員約6000人個々人が自由に(郵送で)投票するのに、なぜ選考に「地政学上の配慮」などが可能なのか?

それは会員の最大勢力であるプロデューサーたちがしばしば組織的に動くからだ。
その典型は00年の主演男優賞の投票だ。この年は『インサイダー』に主演したラッセル・クロウが本命視されていた。が、映画の内容が煙草会社の不正を暴くものだったので、プロデューサーたちは彼の受賞阻止に動いた。

米国では法律で煙草会社は広告を禁じられている。そこで煙草会社は映画会社などに「主役が煙草を吸うシーンを入れてくれたら広告効果を認めて出資する」と持ちかけ、実現して来た(「刑事コロンボ」が葉巻が好きな理由はこれである)。もしラッセル・クロウが受賞すると『インサイダー』に観客が集まり、煙草会社が痛手を受け、最悪の場合、ハリウッドは有力な資金調達先を失うかもしれない。そこで、プロデューサーたちは00年には『アメリカン・ビューティ』のケビン・スペイシーに票を集めてラッセル・クロウを落選させた。

その代わり翌01年、プロデューサーたちは逆にラッセル・クロウに票を集めて『グラディエーター』で主演男優賞を取らせた。ある米国の映画評論家は「これは昨00年のコンペンセイト(埋め合わせ)。オスカーの歴史ではよくあること」と述べたという(朝日新聞01年3月27日付朝刊18面)。筆者はこの授賞式の中継を見ていたが、たしかにラッセル・クロウは受賞と聞いた瞬間あまりうれしそうな顔はしなかった(きっと「ほんとは去年受賞するはずだったのに」と思っていたに違いない)。

つまり、オスカーのゆくえはプロデューサーたちの「組織票」でコントロールできるのだ。

【01年の米中枢同時テロのあと最初のオスカー(02年)で、史上初めて主演男女優賞に揃って黒人が選ばれたのも「米国が白人帝国主義の国でないことを内外に示そう」という「指導層」の組織票の力だろう。】

●トワイライト・サムライ●
03年5月の日米首脳会談では、日米同盟をグローバルな同盟にすることで合意した。その時点でとっくに、米国の「指導層」は、03〜04年に日本に戦後初の自衛隊海外派兵をさせると決めていたはずだ。

しかし、これに対しては、日米の左翼(リベラル)勢力(親中国派)や中国、韓国などアジア諸国の政府、マスコミが「日本軍国主義が復活する」などとこころない誹謗中傷をして反対する恐れがある。

そうした批判を映画の力で封殺してしまえ、と米国の「指導層」は、03年の日米首脳会談のはるか以前から「地政学的に」考えていたはずだ。具体的には、彼らはアカデミー会員のプロデューサーたちの耳元で「(武力を持った)日本人が信頼できる友人たりうることを(米国人に)示すような映画があるといいんだけど」「日本人が好戦的でなく、平和主義的であることを示す日本映画の傑作を探し出して米国で公開してほしい」「中韓仏露の映画から傑作を探す努力は、今年はほどほどに」などとささやいたはずだ。

04年、「信頼できる友人」を演じた『ラスト・サムライ』の渡辺謙が助演男優賞に、「好戦的でない日本人」を描いた『たそがれ清兵衛 Twilight Samurai』が外国作品賞にノミネートされたのは地政学上当然であり、本選で受賞することも間違いあるまい(『たそがれ…』が傑作であることに議論の余地はないが、それに匹敵する中韓仏露などの映画がなかったかどうかは議論の余地がある。これら諸国の傑作を発掘して米国内で上映する努力を故意に怠れば、そもそもノミネートすらされないので、当然『たそがれ…』は有利になる)。

【じっさい、ロシア映画『ザ・リターン』や、ゴールデングローブ賞を受賞したアフガン映画の秀作『アフガン零年』が米アカデミー賞外国作品賞にノミネートされなかったことには「偏向」との批判が強い(ロイター04年2月23日)。】

【ついでに言うと、04年4月に発表される米推理小説の最高峰「エドガー賞」を、桐野夏生の『OUT』が受賞することも、たぶん昨03年の段階で決まっているはずだ。】

これらのすぐれた日本作品は、日本への嫉妬に駆られた韓国の映画配給業者が公開を拒否しても、イラクではいつか必ず公開される。

そして、イラクで、米軍の占領統治に協力する形で復興支援事業にあたっている日本の自衛隊員がもし犠牲になったら、米国人はだれから言い出すともなく口々に「ファースト・サムライ」と言うに違いない。

それは「日本は、好戦的でも侵略的でもない、献身的なサムライの国だ」という意味である。

【筆者は、イラクで自衛隊員の犠牲者が出る「自衛隊有事」を期待しているわけではない。が、たぶんそうなると予測せざるをえない。理由は前回述べたとおり。】

次回以降も可能な限り、前回の「3月14〜29日の死闘」について、文化、政治の両面からより深く検証したい。】

【この問題については次回以降も随時(しばしばメール版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です。
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 (敬称略)

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