04年3月20日に投開票された台湾総統選は、陳水扁現総統の陣営が、辛勝して再選された。(左から)正副総統候補の氏名と得票は以下の通り:
陳水扁(民進党)+呂秀蓮(民進党) 6,471,970
連 戦(国民党)+宋楚瑜(親民党) 6,442,452
(有権者総数16,507,179、投票率80.28%)
両陣営の得票差は29,518票(得票率で0.228%)だった。
投票日前までは野党陣営の連戦候補が優勢と見られていただけに、この逆転勝ちの原因は、投票日前日の19日に陳水扁が何者かに銃撃され同情票が集まったから、という意見が有力だ。たとえば銃撃事件直後の英ロイター通信や米メディアの多くは、同情票で陳水扁が有利になると予測していた(産経新聞04年3月20日付朝刊3面)。
が、今回の選挙では無効票が337,297票、と前回00年総統選の無効票122,278票の約3倍、04年の両陣営の票差の11倍もあったので、「開票で不正が行われた疑いがある」として、連戦ら野党陣営は票の再集計を要求している。
連戦陣営は投票日前は、銃撃事件の真相が明らかでない(同情票を集めるための、陳水扁による自作自演の疑いがある)状況での投票には反対、と述べていた。が、いざ開票が終わってみると、僅差の敗北だったことから、開票後は一転して政府(陳水扁現総統)への要求を「即時再集計」に絞り、台湾高等法院(高裁)に選挙無効の訴訟を起こすとともに、立法院(国会)では、再集計を可能にする新規立法を求める与野党の話し合いも拒否。野党陣営は陳水扁に、新規立法を待たずに、緊急事態の総統権限で即時再集計を行え、と主張している。
一般論として、これだけ僅差だと不正工作を疑うのは当然だし、また、銃撃事件による陳水扁の怪我がきわめて軽く、すぐ職務に復帰しているところから見て「同情票ねらいの自作自演」を疑うのも理解できる。
たとえば、半世紀間ずっと与党で、警察や諜報機関の扱いに長けた政党(国民党)なら、それぐらいの秘密工作はお手の物だろう。前回、00年の総統選では、国民党員ながら民進党員並みに台湾独立志向の強い本省人(台湾籍)李登輝が現職総統で、しかも彼が引退を表明していたので、国民党は与党の立場を生かして不正を働く余地がなかった。だから、当時野党の陳水扁が「公正な選挙で」当選した。
この00年の経験があるので、世界は台湾が成熟した複数政党制の民主主義国家になったと思ったのだ。現与党の民進党は政権を取ってからわずか4年で、党の財政も地方組織も貧弱で、警察や諜報機関の扱いに慣れているとは言い難い。はたして、国民党側の言うように、民進党に選挙不正工作をする能力があるだろうか。
●正確すぎる票読み●
陳水扁の僅差の逆転勝ちを正確に予測していた機関がある。米国政府の台湾関係窓口AIT(米国在台湾協会)だ。
民進党の党独自の世論調査では、04年3月17日の時点では得票率2%(有権者総数は約1650万なので、投票率80%での得票率2%差は、26.4万票に相当)で、民進党陣営が負けていると出ていた。この予測は台湾内外の民主主義諸国のマスコミ報道とほぼ同じなので、正確と見てよいだろう。
が、台湾中央通信社の張芳明・国際ニュースセンター副主任によると、19日の銃撃事件直後にAITが実施した調査では「3万票差で民進党の逆転勝ち」と出ていたという(産経新聞04年3月)。
AITの予測は20日の夜に出た実際の票差と500票も違わない。張芳明は「米国の分析力に舌を巻いた」と言うが、そういう問題ではない。
こんな正確な数字の「予測」など、できるわけがない。
筆者は台湾独立派の支持者であるが、今回の総統選では(違法かどうかはともかく)なんらかの工作があったと考えざるをえない。
もちろん、上記のように民進党の工作能力は大したことはない。だから、不正工作で勝とうとしても能力的に難しかっただろう。
が、もし民進党の工作を米国が助けたとしたら、どうだろう?
世界最強の情報機関CIAや国防情報部(DIA)を持つ米国なら「逆転勝ち」の工作は十分可能だ。それどころか、上記のAITの「正確すぎる票読み」も、米国の「工作結果」の予測と考えると、不自然でなくなるのだ。
●実は公開投票●
AITはなぜ「3万票差」という正確な予測ができたのか。
それには、04年3月17日以前の票読みが正確で、かつ、19日の銃撃事件後の予測も正確である必要がある。
銃撃事件を受けて、陳水扁への同情票がどれだけ集まるかを予測するのは、まさに浮動票の予測なので極めて難しい。とくに「誤差500票以内の予測」などは絶対に不可能だ。
そこで筆者は考えてみた、実は浮動票はほとんどなかったのではないか、と。
台湾の選挙は秘密投票だ。有権者は投票所の、周囲を仕切られた場所に行って投票用紙の候補者名の上の空欄に判を押す。用紙が他人に見えないから、投票所を出たあと「てめえ、○○に投票しやがったな」と脅される心配がない。これは民主的な選挙の必須要件で、これがなければ台湾は世界の先進民主主義諸国から尊敬されることはない。
ところが今回、陳水扁は総統選と同時に、対中関係(防衛)のあり方を問う住民投票を実施した。これは「将来、住民直接投票で『中華民国』から『台湾共和国』への国名変更を決める」などの台湾独立につながる動きではないか、と中国(中華人民共和国)から警戒されたため、「中国の尻馬に乗った」連戦・国民党陣営は「住民投票は中台関係の悪化を招き経済的にマイナス」と、支持者への住民投票への棄権、具体的には住民投票の投票用紙を受け取らないことを呼びかけた。
住民投票は有権者総数(約1650万)の50%以上が投票しないと成立しないから、連戦陣営が住民投票に(「反対票」を投じるのではなく)「投票用紙自体を受け取るな」と呼びかけ、実際に20日に各地の投票所では野党国民党の支持者たちはほとんど用紙を受け取らなかった。が、そうなることは当然、与党民進党陣営も事前に予測できたはずだ(住民投票は投票率45%で結局不成立)。
さて、さきほど「秘密投票だ」と書いたが、厳密に言うと今回は違う。
たしかに総統選の投票用紙でだれに投票したか、は秘密だ。が、投票所の入り口で住民投票の用紙を受け取ったかどうか(投票箱に用紙を入れる際、総統選の箱だけでなく住民投票の箱にも入れたかどうか)を見れば、その有権者がどっちの候補に入れたか、はほぼ確実にわかるのだ。
となると、地域ごとに簡単に票読みができてしまう。
投票所は、台湾でもおそらく日本など先進国と同様に地域ごとに設置されて、その地域社会を代表する、立場の異なる複数の立会人が見守る中、有権者が投票箱に投票用紙を入れる、という仕組みのはずだ(そうでなければ、台湾は民主主義国家ではない)。
が、複数の立会人がいても、地域によっては住民の大多数が民進党支持者(あるいは国民党支持者)というところがたくさんあるので、有権者は投票箱に用紙を入れるとき、親戚や友人の目を意識せざるをえない。
一般的に台湾南部は台湾人意識が強く、民進党支持者が多いとされる。また、台湾籍の本省人(本来の台湾住民の子孫)には民進党(陳水扁)支持者が多く、中国籍の外省人(大陸で中国共産党との内戦に敗れたあとの国民党とともに、台湾に逃げ込んで台湾を占領した、侵略者とその子孫)には国民党(連戦)支持者が多いから、どちらの籍の人口が多いかによって、地域ごとにどちらの党の支持者が多いか、がかなりわかる。
これに、各種世論調査のデータを組み合わせて、本省人のうち農会(農協)や漁会(漁協)などの組織を使って不正に有権者を囲い込む国民党の利益誘導型選挙運動の効果や、陳水扁への批判票なども織り込めば、すべての投票所の設置区域ごとに正確に、陳水扁優位の地域、連戦優位の地域、両者互角の地域と色分けできる。
台湾は(中国に比べれば)かなり民主化、都市化した地域なので、「両者互角の地域」の投票所では、有権者は立会人の目など気にせず、堂々と自分の好きな候補に投票するだろうし、住民投票用紙を受け取るかどうかも自由に決めるだろう。
が、圧倒的に国民党の強い地域の投票所で、民進党の支持者が立会人に見られつつ住民投票の用紙を受け取るのは相当な勇気の要ることだ。「あとで親戚や農会にいじめられるかもしれない」と思ったら、こわくて住民投票用紙は受け取れない。
もちろん、住民投票の用紙を受け取らず、つまり表面上国民党への支持を示しつつ、総統選では民進党(陳水扁)に投票することも可能だ。が、「開票してみたら、その投票所での陳水扁への票は数票しかなかった」となると、あとで「民進党に入れただろ」と詮索されて辛い思いをする可能性があるので、結局その投票所ではほぼ全員が国民党(連戦)に投票する、ということになる。
逆もまた同じである。陳水扁は、逆のケース、つまり民進党支持者の多い地域の投票所では、国民党支持者も民進党に投票せざるをえなくなることを想定し、しかも、差し引きこっちのほうが多いと判断したから、総統選と同時に住民投票を実施したのだ。
前回00年の総統選では、今回04年とほぼ等しい約83%の投票率で、得票率は陳水扁39%、宋楚瑜36%、連戦23%だった。今回は、国民党は連戦の不人気を補うため、親民党の宋楚瑜を副総統候補に迎えたので、理論上は(23+36=)59%の得票ができるはずだったのに、結局50%弱しか得られなかった。
陳水扁総統の4年間に、台湾企業が中国に工場を移転する「経済の空洞化」が進み、台湾国内で不況と失業が深刻化したにもかかわらず、陳水扁の得票率は4年前の39%から今回04年の50%強へと大きく伸びた。
この最大の原因は、総統選を住民投票とセットにしたことで、民進党地盤の投票所で、少数派の国民党支持者が住民投票用紙を受け取らざるをえなくなった、という心理的圧迫効果ではあるまいか。
この「心理的圧迫効果」は、たとえそれが機能していたとしても、諸外国から見て、表面上民主的な選挙のルールにまったく反していない。住民投票の実施権限を持つ現職総統の権限をフルに活用した、まさに完璧に合法的な作戦と言える。
そしてこの作戦があったので、銃撃事件の前、17日の時点で、民進党はほぼ完璧な票読みができたに相違ないから、当然、AITもその予測結果を見ていたはずだ。
では、銃撃事件後の変化はどう予測したのだろう。
●警察官投票禁止●
全軍の指揮官である総統(大統領)へのテロ(銃撃)は台湾の安全保障上の一大事なので、総統は当然、類似事件の再発を防ぐために厳重な警戒態勢を敷く。総統と総統選をテロから守るため、19日の銃撃事件直後から20日の投票日まで、警察官らの治安要員数十万人が動員された。
このため、急遽動員された警察官らは投票に行けなくなった。
拙著『中途採用捜査官』にも書いたが、警察官らの治安要員は日本でもどこでも「体制寄り」の思想を持つ者が選抜、採用されるから、永年与党であった「体制的な政党」の支持者が圧倒的に多い。当然、日本なら自民党、台湾なら国民党の支持者が多いはずだ。
銃撃事件で陳水扁に同情票が流れた、というのはウソだ。銃撃事件の効果はただ1つ、数十万の警察官票を国民党から奪うことにあった(04年3月22日放送のフジテレビ『とくダネ』)。総統はその権限で動員する警察官らの人数を自由に変えられるので、その人数で連戦票の減り方がわかるはずだ。
同情票などほとんどなかった。各地の投票所では、立会人や周囲の視線を気にして住民投票の用紙を受け取るか否かを決める有権者たちが、多くの場合「地域単位で」まとまって投票したが、そのなかで、緊急動員された警察官らの、連戦への票が、陳水扁が減らしたい数だけ減ったのだ。
これなら読める。AITの票読みが正確なのは当たり前だ。
●再集計の罠●
国民党は負けた。20日の開票結果だけでなく、その後の異議申し立てでも負けた。
原因は約33万の無効票だ。無効票が票差の11倍もあれば、だれだってそれを疑う。連戦も無効票の数を聞いた途端、選挙前に言っていた「銃撃の真相究明」をトーンダウンさせて「何がなんでも再集計」という方針で、国民党支持者に抗議行動を呼びかけ、世論を盛り上げてしまった。
バカなやつだ。もし無効票自体が銃撃事件を仕組んだ民進党側の陰謀だったら、どうするのだ?
ほんとうの問題は、無効票ではなく警察官票だ。が、無効票に世論の関心が集まり、連戦自身も「(無効票の)再集計」を優先してしまったので、再集計しても結果が変わらなければ、それで連戦の負けが確定、ということになる。
もちろん、無効票のうち、連戦票と思われる票が、陳水扁票と思われる票より多いこともありうるし、それによって再集計が混乱する場合もある。しかし、どんな形にせよ再集計が行われたあとに、なおも未練がましく連戦が反発すると、その姿は醜態だ。与党の一員として永年利権を得て来た国民党の立法委員(国会議員)たちも、利権の得難い野党暮らしに耐え切れなくなって民進党側に寝返る、つまり国民党分裂という事態も考えられる(産経新聞04年3月21日付朝刊2面「主張」)。そうなれば国民党は二度と与党に戻れない。
●決戦は12月●
それでも、無効票について、有効か無効かわからない「疑問票」がたくさん出た場合は、高裁で最長6か月の法廷闘争になる。ことの性質上、高裁段階の判決ではどっちが勝っても、負けた側は最高裁に上告するので、結局最長1年間は法廷闘争が続くことになる。
その間に米大統領選は終わる。
04年11月の米大統領選でブッシュ現大統領(共和党)が再選されてしまうと、もう中国政府は米国政府に対して「台湾独立派を支持したら、中国が保有する大量の米国債を売るぞ」(米ドル相場の急落と長期金利の上昇、米景気の失速につながり、再選をめざす現職大統領に不利)という脅しは使えない。
そして、04年12月には台湾立法院(国会)の総選挙がある。
11月の米大統領選でブッシュが再選されれば、元々親台湾派のブッシュと米共和党は、もはや中国の脅しに怯えることなく堂々と台湾(民進党)への支持を表明できる。
それは、12月の立法院総選挙での、民進党など台湾独立派政党への追い風となり、現在与野党伯仲状況にある立法院を、一転して与党(民進党、独立派)圧倒的優位の状況に変えるだろう。
さすれば、立法院は堂々と、陳水扁総統の当選「有効」決議を行える。
あるいは、農会などの集票マシンを悪用した国民党の選挙活動を規制する新規立法も可能だ。国民党や外省人の勢力は衰退し、極端な話、04年3月の総統選が無効で再選挙になっても、また民進党が勝てる態勢になるだろう。
つまり、総統選から9か月間、適当に時間稼ぎをしてその座に留まり続ければ、陳水扁と民進党の政権は末永く安泰となるのだ。
半世紀前に大陸から移住した連戦のような外省人一世は自然死により年々減っていく。一世の子孫たちは台湾暮らしが長いので、心理的にはどんどん「本省人化」して行くし、野党に転落して利権政治をしにくくなった国民党からはどんどん支持者が離れて行く。今回国民党と共闘した親民党内にも「連戦でなく宋楚瑜を総統候補にしたら勝てたのでは?」という「国民党離れ」の意見が広まるだろう。08年ぐらいまで待てば(不正工作なしでも)自然に、台湾では民進党らの独立派が半永久的に与党になる態勢ができるだろう。
が、民進党も米共和党もそれまで待てない。国民党が農会など与党時代の集票マシンの「残骸」を使って04年の総統選に勝ってしまうと、08年の北京五輪開催前という、台湾にとって唯一の独立宣言の好機が失われしまう。だから、民進党と米共和党は少々荒っぽい手段を使ってでも、04年総統選に勝つ必要があった。
そして、それは、警備のための、警察官らの動員という、極めて「合法的な」手段だった。
【この問題については次回以降も随時(しばしばメール版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です。
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