「福田幹事長」もあり
〜「ポスト小泉」を読む〜
05年11月1日の特別国会閉会後に予定されている小泉純一郎首相の内閣改造・党三役人事が近付いて来た。小泉は派閥の領袖の推薦を一切受け付けず、すべて独断で人事を行うので、マスコミは予測できなくて困っている。
が、小泉はかねがね「ポスト小泉」の総理総裁候補を要職に就けて将来の(政権禅譲の?)布石とすることを明言しているうえ、党運営の執行責任者である幹事長には首相の側近(盟友)が就任するのが最善であることから、マスコミではおおむね
#1: 「ポスト小泉」は安倍晋三党幹事長代理、福田康夫前官房長官、谷垣禎一財務相、麻生太郎総務相の4人のうちのだれか
#2: 幹事長は武部勤幹事長(留任)、二階俊博党総務局長(選挙実務責任者)、山崎拓首相特別補佐(元幹事長)、中川秀直党国会対策(国対)委員長、麻生太郎のうちのだれか
という予測が出ている(05年10月25日放送のTBS『朝ズバッ!』での岸井成格・毎日新聞特別編集委員の発言、05年9月23日放送のテレビ朝日『スーパーモーニング』「麻垣康三って誰?」、ほか)。
つまり、小泉は安倍、福田、谷垣、麻生の器量を評価し、武部のほか二階、山崎、中川を側近として信頼しているということなのだ。とくに二階、山崎、中川は05年9月19日放送のテレビ朝日『報道ステーション』「すべて仕組まれていた 側近のスクープ証言で迫る小泉圧勝戦略の舞台ウラ」でインタビューに応じ「解散秘話」を語っていたので、「側近中の側近」ということなのだろう。
●蚊帳の外●
が、ちょっと待って頂きたい。
たしかに、二階総務局長(衆議院郵政民営化特別委員会委員長を兼任)、山崎首相特別補佐(同特別委員会筆頭理事を兼任)、それに、小泉と同じ派閥(森派)出身の中川国対委員長の3人は、肩書きや所属に注目する限り「小泉の側近」に見える。が、それならなぜ、この3人だけが「舞台ウラ」を証言し、解散・総選挙以前も以後も党運営の最高責任者である武部幹事長が一切語らないのか。
小誌既報のとおり、自民党執行部は解散のはるか以前、05年5〜6月頃に党独自の世論調査を実施し「いま解散すれば総選挙で岡田民主党に圧勝できる」ことを知ったが、その世論調査データそのものは極秘扱いにされ、一般党員は閲覧を禁じられた(小誌05年9月19日「データベース選挙」)。上記『報道ステーション』に登場した二階、山崎、中川はこの世論調査にまったく触れておらず、かたや、調査データそのものを閲覧できる数少ない党幹部の1人であることが確実な武部は、これには登場しない。
そして、小泉と武部の2人だけが、05年通常国会中、しきりに自民党の郵政族議員の造反を煽るような、つまり、故意に郵政民営化法案を通常国会で否決させて解散に持ち込もうとするような過激な言動をとっていた(小誌前掲記事「データベース選挙」)。その一方で、二階は特別委員会委員長として、山崎も特別委員会筆頭理事として、中川も国対委員長として、それぞれ「いま法案が否決されて解散したら、総選挙で自民党は大敗してしまう」と思い込んで党内造反派の懐柔や与野党折衝に励み、法案成立に全力を尽くしていたのだ。
明らかに彼ら3人は、内心「法案否決→解散」をねらう小泉と武部にだまされていたのであり、この点に着目すればおのずと、05年の解散・総選挙を託された小泉の「側近中の側近」は武部1人であり、二階、山崎、中川らは調査データの閲覧すら許されず、完全に「蚊帳の外」に置かれていたことがわかる。
【二階のポスト、総務局長は選挙実務担当だが、上記『報道ステーション』などから判断すると、二階は武部と違って党独自の、選挙区ごとの詳細な世論調査データを見ていない。したがって二階には選挙戦術を議論する材料がなく、小泉と武部の候補者選定会議に参加しても何も発言できなかったはずだ。二階には「9.11総選挙」大勝の功績は何もない。】
TVの報道番組ではよく「首相の側近中の側近(盟友、後見人)がいますべてを明かす」などの謳い文句で山崎や中川や森喜朗前首相(森派会長)を登場させるが、それはそのように宣伝しないと視聴率が取れないからだ。
たとえば森は(勝手に)小泉首相の後見人と称しているが、小泉が森の意見を聞いて人事を行った例は皆無だ。小泉は03年9月に森派の小池百合子を環境相にする際、べつに森の了解などは取らず、直接小池本人に電話をかけて「一本釣り」している。また、04年9月の内閣改造・党三役人事では、森は「郵政民営化法案を成立させたければ、当時の自民党の実力者、亀井静香元党政調会長や野呂田芳成元防衛庁長官を党・政府の要職に就け(て「運命共同体」にし)ろ」と小泉に進言したが、完全に無視された、と自ら認めている(05年8月8日放送のフジテレビ『ニュースJAPAN』ほか)。
さらに、「否決解散」をねらう武部とは正反対に、森は05年8月の参議院本会議での郵政民営化法案採決前に、民主党の鉢呂吉雄国対委員長(当時)に「(法案が否決されても解散にならないように内閣)不信任案を出さないで欲しい」と要請しているから(朝日新聞05年8月4日付朝刊4面「説得工作、時間稼ぎ」)、森も「蚊帳の外」だったことがわかる。参議院採決前の、例の「ひからびたチーズ」持参のパフォーマンスは、森が小泉に頼まれて郵政造反派説得のためにTVカメラの前で演じたかの如く「大本営発表」をしているが(『週刊朝日』05年9月2日号 p.122「ビール缶握りつぶしたのは首相発案の芝居だった」)、小泉側からは「森に頼んだ」という証言は一切出ていない。
「盟友」のはずの山崎とて、幹事長だった01年8月、小泉に(「A級戦犯」が合祀されている限り)「靖国神社に参拝するな」と忠告したが(共同通信01年8月10日付「首相『熟慮に熟慮重ねる』 与党幹事長は中止要請 靖国参拝、結論は持ち越し」)、結局その忠告はその後5年連続で無視されている。
中川は上記『報道ステーション』で「首相の解散の決意は、04年秋に打ち明けてもらった」と述べているが、それは、森や山崎と同様に「オレは総理に近い(信頼されている)」などと言わないと、人も情報も集まらなくなり自身の政治力が低下するから、仕方ないからそのように見栄を張っているだけで、じっさいは小泉に対してなんの影響力もないのではないか。
●小泉と福田●
00年10月、当時森内閣の官房長官だった中川がスキャンダル報道で辞任に追い込まれたあと(民主党Web 00年10月26日「証拠の会話テープで、辞任に追い込む〜仙谷、長妻両議員が中川長官を追及」)、当時まだ森派の中堅議員(当選5回)にすぎず「押しが弱く手腕は未知数」と酷評されていた福田を「後任にしろ」と小泉は森に強く迫り、福田は官房長官になった(産経新聞00年10月27日付朝刊2面「中川官房長官を更迭 後任に福田康夫氏 暫定人事の色濃く 小泉氏が首相に提案」)。
その後、首相が森から小泉に代わっても、福田はそのまま官房長官に留まり、04年5月に国民年金保険料の「未納」問題で辞任するまで、史上最長の3年6か月その座にあった(共同通信Web版04年5月7日「福田官房長官が辞任 年金保険料未納で引責」)。
そして、これが福田の唯一の閣僚経験となった。
つまり、この「小泉推薦入閣」を除くと05年10月現在、福田は閣僚経験ゼロであり、さらに党三役の経験もゼロなのだ。閣僚も党三役も経験しない者が総理総裁候補になることはありえないので、福田は小泉の「引き」がなければいまごろは、総裁候補どころか「ただの中堅議員」に留まっていたはずだ。
05年10月現在、福田は36年7月生まれの69歳であり、63歳の小泉より年上だが、「小泉に育てられた」と言っても過言ではない。なぜか。
小泉は福田の父親、福田赳夫元首相を師と仰ぎ、その書生として政治生活を始め、修行を積んだ。福田(康夫)は小泉にとって「主君の血筋」にあたるうえ、青年時代から「同じ釜の飯を食った仲」だ。
森は福田赳夫の派閥(清和会)を引き継いで派閥の会長となり首相となったため、00年の官房長官人事の際、小泉から「主君の御曹司を入閣させろ」と迫られると断れず、福田(康夫)の初入閣が実現した(森派内では、宮下創平元厚生相や町村信孝現外相を推す声が強かったが、小泉が押し切った。産経前掲記事)。これは、小泉が04年の人事で、森の提案を蹴って亀井らを登用しなかったのと比べると、あまりにも対照的だ。
小泉と福田(康夫)は、ともに親の代から政治家(大臣)の家に生まれた「サラブレット」であり、同じ悩みや使命感や「師匠(赳夫)の教え」を共有して成長した。それらは、一代で成り上がった森などにはないものばかりだ。
つまり、小泉と福田(康夫)は、本来福田赳夫のものであった派閥(清和会)を、森ごとき「成り上がり者」の手から奪回し、赳夫の目指した「小さな政府」路線(無駄な公共事業の縮小)を実現しようと戦って来た「戦友」なのだ。
●自民党幹事長●
武部幹事長のもとで行われた05年総選挙での与党自民党の圧勝により、首相(総裁)と幹事長が合意しさえすれば、森や公明党幹部など、ほかのどんな大物政治家が反対しようと、解散・総選挙を強行して小選挙区制の選挙で圧勝することができ、政局を一変させることができる、と証明された。
このように、現行選挙制度のもとでは与党幹事長の権力は憲政史上最大だ。その重要なポストを小泉が、山崎や中川、あるいは小沢一郎(前民主党副代表)の自由党を裏切って(保守党、保守新党を経て)03年11月に自民党に鞍替えしたばかりの二階などに渡すことがあるだろうか。
他方、福田は、官房長官として閣僚経験は豊富ながら、党三役(幹事長、総務会長、政調会長)の経験がない。
小泉は党三役を経験せず、郵政相と厚生相を経験しただけで首相になったため、01年の総裁(首相)就任直後の参院選では党を十分に把握できず、小泉の総裁選の公約であった「郵政民営化」に反対する郵政族議員(候補者)たちを応援する羽目に陥った。そして結局、その公約を(05年特別国会で)法案成立という形で実現するまで4年半もかかった。
小泉が福田に自分と同じ苦労をさせたくないと思うなら、小泉は当然福田を党三役、とくに幹事長に抜擢しようとするはずだ。
そうなると、05年9月の総選挙で圧勝した大功労者である武部を更迭することになるので、小泉は武部を官房長官か財務相などの重要閣僚として処遇する必要があるだろう(福田が官房長官にまわる場合は、幹事長は武部の留任が妥当だろう)。
【小誌は05年2月から「ポスト小泉は福田」と予測して来た(小誌05年2月10日「自民党 vs. 朝日」)。
マスコミが福田を、総理の「側近中の側近」「盟友」「意中の人」などとして紹介することがほとんどないのは、おそらく単に、福田が極端なTV嫌いで、山崎や安倍のように簡単に出演してくれないため視聴率に結び付かないからだ。福田がTV好きなら余人の出る幕はなく、いまごろダントツの後継総裁最有力候補になっているはずだ。】
●安倍入閣●
筆者の見るところ、小泉は福田が好きなのは間違いなさそうなので、福田が「小泉後継」への伏線として幹事長(か他の党三役か、官房長官などの重要閣僚)になる可能性は高いが、さりとて福田は人気がない。与党は05年9月の衆議院総選挙で圧勝したから、あと4年(衆議院議員任期)は解散の必要がないが、そのうち1年は小泉が自分で使ってしまうので、その後誕生する福田政権は3年以内にどうしても衆議院総選挙をしなければならない。
そのとき、TV嫌いで国民的人気に欠ける「福田首相」を奉戴して戦えば、自民党は不利だ。小選挙区制の選挙ではほんの数%の有権者が(自民党から民主党に)鞍替えするだけで、2大政党の議席が50〜100議席も増減するような事態が簡単に起きるので、自民党は惨敗する恐れがある。
その場合は、自民党は国民的に人気のある安倍を総理総裁に立てるしかない。
その安倍は、幹事長の経験はあるが、閣僚経験はない(00年7月〜03年9月に官房副長官を務めただけ)。安倍が首尾よく首相職をこなすには、その前に(副長官ではなく)閣僚を経験しておいたほうがよい。となると、安倍は05年11月の内閣改造で入閣するはずだ。
谷垣は国家公安委員長と財務相として閣僚経験があるが、党三役の経験はないので、11月の内閣改造で閣僚に留まると小泉後継候補として一歩後退する。とくに財務相に留任した場合は事実上「増税担当大臣」になるので、次の総選挙の顔としては使えない。他方、麻生は経済企画庁長官、経済財政担当相、総務相のほか党政調会長の経験があるが、小泉との個人的な絆はとくにないし、国民的人気は安倍ほどにはない。
06年9月に予想される小泉退陣のあと、自民党の次期総裁(首相)を決めるのは党則上、自民党員であって小泉ではない(いくら小泉が「福田禅譲」を唱えても、万一党員の多数が反対すれば実現しない)。法律上、小泉の人事権は次期総裁の人選には直接はおよばないのだ。
小泉が自分の好きな福田や「選挙の顔」になる安倍を確実に総裁にするには、彼らが後継候補として党内世論対策上遜色ない状態に、つまり谷垣や麻生に比べて経歴で劣らないようにしておく必要があり、それには、いま人事権を行使して福田や安倍に党・政府の要職のうち「足りないもの」を経験させておくほかない。
05年の特別国会では議員年金の早期廃止で与野党が合意するなど年金問題が重要課題になって来たので、その担当閣僚である厚生労働相か、「増税」の試練を迎える財務相が、安倍には最適だろう。
但し、その閣僚ポストを安倍がうまくこなせなければ、安倍人気は下降し、自民党は次の総選挙では(「サラリーマン増税」を決めたあとの選挙になるので)窮地に立つ。
いずれにせよ筆者は、マスコミの大方の見方とは異なり、森、二階、山崎、中川を政局のキーマンとみなさない。筆者とマスコミと、どちらが正しいかは、05年11月2日までに小泉が決めてくれる。
【上記は筆者の純粋な「予測」(推測)であり、「期待」は一切含まれていない。】
【この問題については次回以降も随時(しばしばメルマガ版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です(トップ下のコラムはWeb版には掲載しません)。
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