〜NHK番組改変問題の深層〜
05年1月12日、朝日新聞は朝刊1面で「01年1月のNHK教育TV『戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力』の放送前に、自民党の安倍晋三官房副長官(現幹事長代理)と中川昭一衆議院議員(現経済産業相)が松尾武NHK放送総局長(現NHK出版社長)に会って同番組の内容を変えるよう圧力をかけ、それを受けてNHKは編集段階で同番組を大幅に改変した」と報じた。また13日には、同番組を製作した長井暁プロデューサーが記者会見し「圧力があった」と訴えた。長井は昨04年12月「番組編成の自由を定めた放送法第3条違反」として、NHKの内部告発窓口「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に調査を要求していたのだ(が、1月19日、同委員会は圧力はなかったと結論を出した)。
安倍、中川、松尾はいずれもそのような事実はない、とマスコミを通じて否定した。とくに中川と松尾が会ったのは番組の放送後だった(と中川は言う)。
これに対して朝日新聞は1月18日付朝刊で特集記事を組み、報道の根拠となる録音テープなどを公開しないまま「12日の記事は真実」と再反論し、NHK側もまた反論を繰り返したため、事態は朝日対NHKの泥仕合に陥った。
真相の9割は『週刊文春』05年2月3日号(p.p 26-35「負けるのはどっち」)に言い尽くされている。朝日新聞の本田雅和記者が、長井の言い分(だけ?)を信じたことから、今回の騒動が始まったのだ。
但し、最大のウソつきは本田でなく松尾だろう。
複数のウソつきがいると「ウソのすり合わせ」が必要になり、NHK(自民党)側、朝日新聞側のどちらにせよ主張を維持するのが難しいから、とても公衆の面前で大喧嘩はできまい。そこで「松尾1人をウソつきと仮定し、ほんとうは、安倍や中川の言動から圧力を感じた、と本田に答えた(と受け取られる言葉を言った)のに否定している、と考えると、すべて辻褄が合う」とジャーナリストの日垣隆は極めて合理的に推理している(『週刊文春』前掲記事p.33)。
しかし、この文春や日垣の記事では「なぜ4年も前の番組が突然問題になったのか」が説明できない。
●ポスト小泉●
そこで「この騒動でトクをするのはだれか」と考えてみる。
この騒ぎは、本田が(取材倫理に反して、相手の許可を得ずに録音した)テープを公表すれば、終わる。が、朝日新聞側は1月22日に記者会見し「(名誉毀損などを理由に)NHK側に訴訟を起こすことも考えているので、(録音テープは)すぐには出せない」という(毎日新聞Web版05年1月22日)。
これに対して、安倍は「(朝日新聞は)『法廷で明らかにする』と言って根拠を示さない。それでは、大変時間がかかってしまう。報道機関として国民の目の前で答えてもらいたい」と主張(05年1月23日放送のNHKニュース7)。他方、中川は「(朝日新聞を名誉毀損で訴えることも視野に)弁護士と協議する」という(05年1月28日放送のNHKニュース9)。
この騒動の核心はこの安倍の発言にある。なぜ裁判という「時間のかかる」解決策を(中川は拒まないのに)安倍は嫌がるのか?……それは、首相になる機会を逸する恐れがあるからだ。
裁判で争えば、決着まで何か月も何年もかかる。
その間、05年3月までに国会は予算審議を終え、4月からは小泉内閣の中心課題である郵政民営化法案を審議するが、これは大波乱を呼ぶ可能性がある。
郵政3事業のうち、郵貯、簡保(残高計350兆円)は「無駄な公共事業」の原資(しばしば税金で補填)であり、郵政民営化とはすなわち自民党の(とくに橋本派に多い)郵政族、道路族、建設族議員から、陳情や票や献金を受け取る口実を奪う政策だ。小泉内閣と自民党執行部(武部勤幹事長ら党3役)がいかに郵政民営化をしたくても、大勢の自民党(族)議員はそれを骨抜きにしようとして抵抗するだろうし、法案が国会に提出されても党議拘束を破って造反する者が少なくないだろう。
その場合、野党民主党も(たとえ財政の健全化には郵貯・簡保の民営化が必要と思っていても)政局を混乱させ、あわよくば政権交代に結び付けたい、という思惑で「説明不足」「拙速」などの理由で民営化法案には反対する(連立与党の公明党も同様の理由で反対する可能性がある)。
もしもこのような反対に遭って、小泉首相が最重要政策と位置付けている郵政民営化が挫折した場合、それは「内閣不信任と同じ」(自民党幹部発言。産経新聞05年1月21日付朝刊5面「『郵政』ヤマは4月以降」)であり、小泉は内閣総辞職で退陣するか、衆議院を解散して総選挙で国民に信を問うほかない。
が、小泉も自民党執行部(幹事長)も、郵政族らの族議員を除名することができない。小泉政権発足以来(安倍が幹事長だった03〜04年を含めて)何度も国政選挙があったが、彼らは一度も「族議員の党公認を取り消して(郵政)改革派議員だけを党公認候補として立てて、国民の信任を得る」という選挙はしていない。いつも改革派と反改革派(族議員)とが「呉越同舟」で選挙を戦い、結果的に後者が大勢当選して来た。だから、今国会でも郵政民営化に対して自民党内の反発が強いのだ。
いままでできなかったことが急にできるようになるはずがない。だから、解散・総選挙は意味がない。
たとえ総選挙をしても族議員が多数当選し、選挙後に開かれる国会では、自民党の多数派は小泉以外の首班指名候補に投票するだろう。
いずれにせよ、かなり高い確率で小泉政権は正念場を迎える。では、小泉が退陣した場合、次の自民党総裁(首相)はだれか?
自民党の若手のあいだには、拉致問題での誠実な対応などで国民に人気のある安倍を擁立する動きがある。安倍本人もこのことは知っているので「正念場」の4〜6月は「ポスト小泉」の最有力候補として迎えたい。
その大事な時期に、法廷で本田の録音テープが公開されたらどうなるか?
少なくとも朝日新聞(とテレビ朝日)は「圧力はかけてない(公正中立に、と言っただけ)という安倍の主張はウソ」と報道するだろう。
そういう報道を「世論」とみなして公明党が問題視すれば、安倍の次期首相の芽は消える。その場合、次期首相は、現在閣僚でも党3役でもなく、郵政民営化の失敗に関して責任を問われない立場の、非族議員系の大物……たぶん福田康夫前官房長官となる(福田は官房長官時代、靖国神社に代わる国立慰霊施設を創ることを検討する私的諮問機関を設けるなど、公明党に近い国家観を持っているので、公明党の支持は得やすい。東奥新聞Web版02年8月15日「断面2002」)。
●政権交代●
なら、福田を支持する勢力が今回の騒動を仕組んだのか……というと、ことはそう単純ではない。
前回の衆議院総選挙は03年11月だったから、憲法の規定により07年11月までには次の総選挙がある。そのとき国民的人気のある「安倍首相」を奉戴して戦えば、自民党は選挙に勝てる。
が、安倍に比べて(拉致問題での対応が不誠実で)人気のない福田が首相の場合は俄然、民主党に勝機が出て来る。
05年1月24日の衆議院本会議で、民主党の岡田克也代表の質問中、民主党議員は小泉の答弁を不満として全員退席した。このとき「今だ」と合い図を送り、退席劇を仕切ったのは小沢一郎・民主党副代表だった(共同通信05年1月24日「激突、『波乱の国会』暗示」)。
小沢は(自衛隊を海外に出さないための)「国連待機部隊構想」を提唱して横路孝弘・元北海道知事ら党内左派(元社民党・社会党議員の護憲派)の強い支持を受けているが、この退席劇には社民党(旧社会党)が同調した。これは近い将来、社民党が民主党に吸収合併され、小沢の党内基盤が拡充されることを暗示する。
06年9月には民主党の代表選がある。小沢はこれに立候補して代表を交代する野心を、最近隠そうとしない(産経新聞05年1月25日付朝刊1面「国会 民主 一時退席、波乱の開幕」)。
「安倍対小沢(岡田)」なら、自民党はたぶん選挙に勝つ。が、おそらく大勢の族議員が再選されるので、小泉内閣のときと同様に安倍内閣でも構造改革は遅々として進まず、財政赤字は拡大し続ける。それでは、日本経済どころか世界経済が困るし、何より、日本が経済大国であることを前提に同盟を結んでいる米国が困るのだ。
01年3月、発足直後のブッシュ米共和党政権が真っ先に日本に求めたのは、軍事面での国際貢献ではなく、経済・財政の構造改革だった。就任直後のライス大統領補佐官(現国務長官)や主要閣僚も「(構造改革が遅れて)日本経済(が弱くなること)は米国の安全保障(日米同盟)にかかわる」との認識で一致している(産経新聞01年3月16日付夕刊2面「日本経済、安保に影響」)。
小泉でも安倍でも構造改革はできない、となれば、自民党を族議員ごと野党に突き落とし、ゼネコンや地方の建設業界や全国特定郵便局長会から陳情も票も来ない状態にして(族議員政治を終わらせて)民主党に政権を取らせて構造改革をさせよう……と米共和党を中心とする米保守本流グループが考えたとしても不思議ではない。
「福田対小沢」で選挙を戦わせ、「小沢陣営」に無党派層の票から社民党支持層(護憲・平和主義)の票まで集めれば、政権交代は十分に可能だ。日本政治総合研究所の白鳥令・東海大教授は、自民党に「逆風」が吹き、前回総選挙で自民党に投票した有権者の3%が民主党支持に鞍替えすると、自民党の議席は(前回の237から)194に減り、反対に民主党は(177から)230に増える、と予測する(産経新聞05年1月21日付朝刊5面「保守新時代3」)。
このようなシミュレーションは公明党など各党も検討しているはずだ。公明党は常に「勝ち馬」に乗って与党でいたい政党なので「3%以上の逆風」と予想すれば、自民党との連立を解消して民主党と組む可能性は十分にある。すでに公明党(の「郵政民営化を検討する委員会」の桝屋敬悟委員長)は、郵政民営化(郵貯、簡保等の分離、分社化)後の情報システム構築が民営化元年(07年4月)に間に合うか否か(02年4月の、みずほ銀行システム統合のときのような混乱が起きないか)を説明に来た政府の「郵政民営化準備室」の担当者を、「不誠実な説明だ」と怒鳴り付け、予定された時間の1/3で説明会を打ち切るパフォーマンスを演じている(05年1月20日のNHKニュース)。これは近い将来公明党が、システム構築の不安という「技術的な理由」で郵政民営化法案(と小泉内閣)に敵対するための布石と考えられる。
【公明党は05年2月現在、連立政権を組んでいるので、自民党の憲法(9条)改正の動きに同調する姿勢を見せている。が、支持母体の創価学会は9条に固執する護憲・平和主義志向が根強い。自民党が福田など不人気な首相を担いで支持率が急落した場合、憲法9条を改正しなくても海外派兵ができる、と衆議院法制局からお墨付きを得ている、小沢の国連待機部隊構想は、公明党にとっては「渡りに船」だ。自民党を捨てて民主党との連立に乗り換える大義名分になる(産経新聞04年8月31日付朝刊4面「『国連待機部隊』の狙い剛腕≠フ恐るべき一手」)。】
●偏向報道したい放題●
93年8月、小沢は自身の率いる新生党や、細川護煕党首の日本新党、公明党などをまとめて非自民連立の細川内閣を成立させた。これは、直前(7月)の衆議院総選挙で、この非自民勢力が勝ち、自民党は過半数を大きく割り込む惨敗に終わったからだが、選挙結果にはTVが大きく影響していた。
93年9月、テレビ朝日の椿貞良・報道局長(当時)は日本民間放送連盟(民放連)の放送番組調査会で、「看板番組の『ニュースステーション』(Nステ)(当時の久米宏キャスターと朝日新聞の和田俊編集委員)や『朝まで生テレビ』(田原総一朗キャスター)を動員して、(自民党が万年与党の)55年体制を終わらせよう、という趣旨の反自民党的報道をさせ、小沢批判を避けた結果、歴史的な政権交代が起きたのだ」などと自画自賛し、「細川政権は久米・田原連立政権だ」とまで口走った(産経新聞93年10月26日付朝刊4面「椿前テレビ朝日局長喚問のやりとり」)。
この発言が産経新聞(93年10月13日付朝刊)にスクープされると、自民党は「放送法の公正中立・不偏不党原則に違反」と激怒し、椿を衆議院政治改革特別委員会で証人喚問した。
証人喚問は下手なことを言うと偽証罪に問われかねない国会の舞台であり、マスコミ各社は深刻な「圧力」を実感した(読売新聞93年10月26日付夕刊7面「警戒と自戒、各局に波紋 自己規制ムード懸念」。以後、マスコミ各社は「小沢は人柄が悪い」という「反反自民党的偏向報道」に走り、その後誕生した自民党と社会党(社民党)の連立政権の村山富市首相を「人柄がよい」と持ち上げた。それ以来ずっと自民党は与党であり続け、細川政権時代にいったん死にかけた自民党族議員たちは村山政権のもとで息を吹き返し、こんにちまで財政赤字の原因を作り続けている。
03年11月4日、衆議院総選挙の選挙運動期間中、民主党が政権を取った場合の「閣僚名簿」を公表すると、Nステはこれを何十分もかけて延々と報道したため、自民党(当時の安倍幹事長ら)は「また不偏不党原則を破った」「公正中立に報道しろ」と抗議し、テレビ朝日への党幹部の出演ボイコット、という報復措置に出た(民放労連Web 03年11月9日 安倍幹事長記者会見04年2月23日「テレビ朝日問題について」)。
さて、05年1月のNHK番組改変騒動で、安倍ら自民党の有力議員は「圧力をかけたことはない」「放送法に則って公正中立に、と言っただけだ」と繰り返し表明した。05年4〜5月頃に本田のテープが法廷で公表され、松尾が「圧力を感じた」と口走ったことがわかれば、安倍はまた「(それは松尾が勝手に圧力と感じただけで)私は圧力をかけたつもりはない」と言わされる。
すると、Nステの後継番組『報道ステーション』(古館伊知郎キャスター、朝日新聞の加藤千洋編集委員)は「そんなに圧力を否定する自民党なら、もう私たちは『公正中立に』と言われても無視していいですね」と主張できるようになる。
その瞬間から、少なくともテレビ朝日とNHKに対しては、自民党はもう放送法を盾にした「公正中立要求」はできなくなる。そんな要求をすれば、法廷で「朝日新聞側の言い分が正しかった」と証明する材料になるからだ。
05年夏以降、テレビ朝日は93年の、椿局長時代の報道姿勢に戻るだろうし、海老沢勝二前会長が辞任に追い込まれたあとのNHKも、橋本元一新会長が「(01年の番組で)圧力を受けなかったこと」や「今後、権力(与党)に対して不偏不党であること」を証明するために、かなり反自民党的な方向に変わるだろう。
●政権交代●
そのような状況で06〜07年に「福田対小沢」で総選挙をやったら、どうなるか?……自民党は確実に3%以上の逆風を受け、小沢が勝って非自民連立政権ができる。つまり、93年の再現だ。
小沢の民主党が米共和党政権のイラク戦争に反対したからといって、「小沢政権」のもとで日米関係が悪化する心配はない。もうイラク戦争は終わったのだ。
小沢が自民党幹事長だった91年、湾岸戦争に自衛隊を派遣して「国際貢献」しようと努力した(が、内閣法制局の違憲判断で失敗した)ことを、当時政権を取っていた米共和党はよく知っている。
そもそも、この「小泉→福田→小沢」の政権交代をいちばん望んでいるのは、米共和党だ。
また、日本のマスコミ界をかきまわして大騒動を起こすだけの工作能力を持っているのも、同党を中心とする米保守本流以外にありえまい。
筆者は01年3月17日、小泉が自民党総裁選への出馬を表明する前に(当時のすべてのマスコミにさからって)まもなく小泉政権が誕生すると予測し、的中させた(小誌「米国ご指名『小泉首相』」)。だから同政権の終焉も当ててみせよう。
小泉政権はほぼ05年中に終わり、その後「福田暫定政権」を経て07年末までに小沢政権に移行するはずだ。
【この問題については次回以降も随時(しばしばメール版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です。
次回メルマガ配信の予約は → こちら】