中朝山岳国境
その2
〜シリーズ
「中朝開戦」
(13)
■中朝山岳国境〜シリーズ「中朝開戦」(13)■
中朝国境の大半は山岳国境であり、平地の国境と違って簡単には守れない。「歴史上朝鮮民族は中国と戦って勝ったことがないから、彼らが中朝戦争を仕掛けることなどありえない」と説く者は、朝鮮半島北部の朝鮮民族と、南部の韓民族とを混同し、両者の地政学的な違いを見落としている。
●無用の韓国●
その反面、中国は、朝鮮半島南部については、どうでもいいと思っているフシがある。
1592年、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)を始めた際、日本の遠征軍が漢城(ハンソン。現ソウル)を落としても、当時の中国(明)は何もしなかった。が、日本軍がそのまま北上して平壌(ピョンヤン)を落とすと、中国は目の色変えて軍事介入して来た。翌1593年、中国軍は日本軍を平壌から駆逐したものの、半島北部から撤退した日本軍は南下して漢城で中国軍を迎え撃って返り討ちにし、踏みとどまったため、戦線は膠着状態に陥った。
ところが中国は、半島南部を日本軍に占領されたままで(朝鮮民族の意向を無視して?)早々と日本との講和交渉にはいってしまった。最終的には日本軍は講和交渉決裂後、1597〜1598年の再戦(慶長の役)を経て、豊臣秀吉の死を契機に半島全体から撤退するが、それをもって「中国が朝鮮半島全体の確保に努力した」と解釈するのは単なる結果論にすぎない。1597年以前の講和交渉が、中国が半島南部をいったん「捨てた」ことを意味しているのは間違いない。
1950〜53年の朝鮮戦争の停戦交渉でも、中国は、半島南部に敵である在韓米軍が駐留し続けることを認めたし、1992年には、在韓米軍を抱えたままの韓国を国家として承認し、国交を結んでいる。
これは「中国の安全保障にとって、朝鮮半島北部の確保は不可欠だが、南部はどうでもいい」ことを意味している。
【NHKの報道番組などでは「○○国は○○地域のかなめに位置する地政学上重要な国です」式の表現が、世界中ほとんどすべての国に対して奉られているが、そういう言葉の大半は単なる社交辞令である。
たとえば、東アフリカのかなめ(?)に位置するソマリアは1991年の内戦勃発以降、国連や米国が一時期軍事介入し、全土の統一を試みたが困難を極め、結局いずれも撤退し、2008年現在に至るまで無政府状態のまま放置されている(外務省Web 2007年11月「ソマリア」)。理由は、同国が地域の安全保障にとってほとんどなんの意味もない国だからである。
地球上には地政学上なんの価値もない国はたくさんあり、実は、いま韓国も急激にそういう国の仲間入りをしつつあるのだ(但し、まだ「経済上なんの価値もない国」にはなっていない)。】
結局、中国と朝鮮半島の間の安全保障問題は、鴨緑江・豆満江の沿岸をだれが支配するのか、という問題に尽きる。川の沿岸地帯というのは地理的には、川そのもので左右に二分されるが、民族的には両岸に同じ朝鮮族が住んでいるため、中国も(北)朝鮮も、何百年も前から両岸をセットで手に入れようと狙っている。
●山岳国境●
「そんなこと言ったって、現在の国境線は『鴨緑江・豆満江』(ライン)なんだから、中国はそこに大軍を張り付けておけば、守れるだろう」と思われるかもしれない。が、ことはそう単純ではない。なぜなら、国境線の大部分は山岳地帯を走っているからだ。
そもそも山岳地帯の国境(山岳国境)は、平地の国境とはまったく性質が異なる。
1989年までの「ベルリンの壁」のような平地の国境は、その境界線に沿って、それこそ壁や塀を建設し、その手前に大勢の警備兵を「人間の鎖」のように並べれば、あるいは、あわせて地雷や砲台も多数並べておけば、比較的容易に、国境の向こうからの侵入を防ぐ「国境封鎖」が可能だ。
が、険しい山地に設けられた山岳国境は、世界中どこでも流動的なものであり、たとえば、イラクのクルド人自治区とトルコの間の国境地帯でも「クルド労働者党(PKK)のゲリラは人跡未踏の地をひそかに通って、2つの国を自由に行き来する」(2007年10月31日にNHK-BS1が放送した、前日30日の露RTRニュース)。
前回、「2006年頃:中国が中朝国境の山岳地帯の警備兵力を大増強」と述べたが(『週刊文春』2006年11月9日号 p.p 40-41「開戦前夜 『中朝国境』もの凄い修羅場」)、その意味するところは、中国政府が国境の封鎖を試みた、ということであり、そのまた意味するところは、それ以前は山岳地帯の国境の、上流の、川幅の狭い河川は「気軽に歩いて渡れた」ということである。2005年に現地を取材した知人によると、川沿いに住む朝鮮人のなかには「毎日川を渡って通勤している者までいる」ありさまだそうだ。
その知人はまた「鴨緑江・豆満江上流の川幅の狭い河川の両岸に住む朝鮮人(朝鮮族)は、周囲に『中国系中国人』(漢族)の役人や軍人がまったくおらず、電気も学校もないため、中国語を話せず、自身を中国人とは思っていない」という事実も確認した。とすると、少なくとも2006年以前は、この山岳地帯を通れば、北朝鮮からの脱出はいつでも可能だったことになる。
したがって、2006年以前の「脱北者」を「北朝鮮の人権弾圧から命からがら逃げ出して来たかわいそうな亡命者」と考えるのは間違いである(「命からがら説」は、南北対立が厳しかった時代に、北朝鮮よりも韓国のほうが国家として優れていると宣伝するために韓国政府が作った神話であろう)。したがって、もちろん、「北朝鮮から国外脱出する者が多くなれば、かつての東ドイツがそうであったように、いずれ北朝鮮も体制崩壊の危機に直面する」という説も完全な間違いである。1989年以前の東ドイツと違って、2006年以前の北朝鮮では「国外に出たいやつのうち相当数はとっくに自由に出ている」からだ。
【2008年現在の北朝鮮はけっして「崩壊寸前」などではなく、その支配体制はいくら経済制裁を仕掛けても倒れない。「脱北者」のなかには、ラインの手前、中国領内から「脱北」(脱中?)した朝鮮族、つまり、「韓国に行けば亡命者手当てがもらえて豊かに暮らせる」と聞いて出て来た「経済難民」もかなり含まれているはずなので、NGOなどが「脱北者の人権問題」をことさら重大視してその支援活動に汲々とするのは、かなり滑稽なことである。】
(^^;)
韓国政府が「二度脱北した奇妙な脱北者」を合法的に国内に受け入れている事実が、中朝国境の往来がかなり「自由」であることを傍証してくれる(朝鮮日報日本語版2003年6月5日付「中国で失踪した脱北者夫婦が北朝鮮に」によると、1998年11月に脱北したと称するユ・テジュンは、2000年6月北朝鮮に帰国し、2002年11月に再脱北している)。また、豆満江を渡って北朝鮮と韓国の間を何度も「往来」した「脱北単身赴任者」についての報道もある(朝鮮日報日本語版2007年7月7日付「韓国と北朝鮮往来し『二重生活』していた30歳男性逮捕」)。
2006年以降、中国人民解放軍の兵士が鴨緑江・豆満江ラインの北西側に一列横隊に並んで前(南東側)を向くと、ラインの向こうに朝鮮人がいるのが見えるかもしれないが、実は、自分自身の背後(北西側)にも大勢の朝鮮人がいるのだ。当然、現在の北朝鮮政府は、中国領内の朝鮮族のなかに膨大な数の協力者を作り、工作員としての訓練も施しているから(『週刊文春』前掲記事)、結局、ラインを守る解放軍兵士は前からも後ろからも弾が飛んで来そうなところで警備をさせられることになる。
つまり、韓国軍兵士が平地を走る38度線を守るより、中国軍兵士が山岳地帯を走る国境を守るほうが、はるかに難しいのだ。それに、平地と違って山地の場合、どんなに大勢の兵士を動員して「人間の鎖」を作っても、鎖はどこか足場の悪いところで必ず切れる。だから、厳密に言うと完全な「封鎖」はできないのだ。
これでも「北朝鮮から中国に戦争を仕掛けるはずはない」などと言えるだろうか。
●いくさの勝敗●
もちろん、中朝戦争が始まれば北朝鮮全土は中国軍の反撃で破壊され、大勢の国民が死ぬ。
が、どうせ独裁国家北朝鮮の国民には人権などないし、北朝鮮の独裁者、金正日は自国民が何万人死んでも気にしないし、元々北朝鮮は極貧国で、破壊されて困るようなまともなインフラも工場もほとんどないので、戦争の1つや2つ、痛くもかゆくもない(重要な軍事施設や軍需工場はほとんど地下にある)。つまり、北朝鮮は「失うもの」が何もないので、いつでも気軽に戦争ができるのだ。
逆に、経済成長中の中国は、インフラにせよ工場にせよ失うものだらけなので、国土のごく一部が攻撃されただけで外資の国外流出が起き、国中が資本不足で大混乱に陥ってしまう。だから、中朝戦争は始まった瞬間に中国の負けなのだ(たとえ中国が北朝鮮を核攻撃しても、中国が負けるという厳然たる事実は動かない)。
戦争(いくさ)とはけっして「軍事力コンテスト」ではない(小誌2007年5月7日「兵は詭道なり〜戦争も選挙もだまし合い」)。
戦争(いくさ)では、「守るべきものを守れなかったほうが負け」なので、「守るべきもの」が少なければ少ないほど負けにくい、ということになる。つまり、現代の戦争では、豊かな国ほど負けやすく、貧しい国ほど負けにくく、そして、そもそも失うべき国土も国民も持たない非国家組織(たとえばテロ組織)は絶対に負けない(悪くても引き分け)、という「法則」が成り立つのだ。
2005年10月以降、中朝国境では、銃撃戦や中国人将校の誘拐事件など、臨戦体制というより「前哨戦」といったほうがよさそうな危険な状態が続いている(朝鮮日報日本語版2006年7月28日付「中国、北朝鮮との国境地帯に兵士2千人増員」、『週刊文春』前掲記事)。
改革開放政策で豊かさを知った中国軍兵士は、軍服を着ないで越境して来る北朝鮮軍特殊部隊にあっさり敗れ、中国人将校やその家族の誘拐まで許す事件が頻発したため、2005年末、中国側(中朝国境を防衛する瀋陽軍区司令部)は、中朝国境から30km以内にある党や軍の幹部の保養施設や宿泊施設をすべて閉鎖する羽目に陥っている(『週刊文春』前掲記事)。これは「中国側が前哨戦に敗れて、国境から30km以内の領土をすでに放棄した」と解釈できる。
したがって、(韓民族ではなく)朝鮮民族には、間違いなく中国を攻撃する意志と度胸がある。現状では、中朝戦争の開戦時期を決めるのは、中国側ではなく、北朝鮮側のはずだ。
【お知らせ:佐々木敏の小説『天使の軍隊』が2007年4月26日に紀伊國屋書店新宿本店で発売され、4月23〜29日の週間ベストセラー(単行本)の 総合10位(小説1位)にランクインしました。】
【この問題については次回以降も随時扱う予定です。
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