北京五輪の「返上」?

〜中国が恐れる08年夏の日米合同軍事演習〜

Originally written: April 30, 2005(mail版)■北京五輪返上?〜週刊アカシックレコード050430■
Second update: April 30, 2005(Web版)

■北京五輪返上?〜週刊アカシックレコード050430■
「08年8月の北京五輪開催前に台湾が中国からの独立を宣言したら、中国は五輪を返上して台湾を攻撃する」と中国政府は言うが、そもそも「返上」という概念は成立しない。その前に国際社会が中国に開催権剥奪という「制裁」を科すからだ。
■北京五輪の「返上」?〜中国が恐れる08年夏の日米合同軍事演習■

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04年7月28日、中国国務院台湾事務弁公室の王在希副主任は、北京で開かれた中台経済フォーラムで「中国が経済発展や08年の北京夏季五輪の成功のため、台湾独立の動きに寛容な姿勢をとるとの見方は誤りで、極めて危険だ」と述べた(共同通信04年8月5日付「統一、離反の政治ゲーム 中台間のさや当て激化」)。これ以降、中国政府に忠実な香港のフェニックス(PhX)TVは「北京五輪前に台湾が中国からの独立を宣言したら、中国政府は五輪を返上して台湾を攻撃し、独立を阻止する」と繰り返すようになった。

05年3月14日には、中国の全国人民代表大会(民主的に選ばれた議員による国会)で、台湾独立を武力で阻止することを合法化する反国家分裂法が制定されたため、「五輪を返上して攻撃」という脅しには現実味が加わった。

が、ちょっと待って頂きたい。五輪というのは「返上」できるものなのだろうか?

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●ソウル五輪の先例●
たしかに、第二次大戦前には東京が40年の夏季五輪の開催権を返上した例があるし、76年の冬季五輪は米デンバーがいったん開催権を獲得しながら、財政上の理由で地元住民が反対して「返上」に至り、結局オーストリアのインスブルックで「代替開催」された。

しかし、大手広告代理店の手配で五輪に世界的な一流企業多数のスポンサーシップが導入された84年のロス五輪以降、開催権を返上した国(都市)は存在しない。

昔の五輪は地元・開催地に莫大な赤字(財政負担)をもたらした。76年夏季五輪を開催したモントリオール五輪組織委員会は大赤字で破産したほどだ。が、84年以降、五輪は儲かるスポーツビジネスになったのだから、もう「返上」するための言い訳などはできなくなった。

88年の五輪開催権を獲得した韓国(ソウル)の場合、38度線をはさんで敵対する北朝鮮がソウル五輪開催に反発していたので、五輪の直前や開催中に北朝鮮から攻撃される恐れは十分にあった。が、それでも当時の韓国政府は(自衛のための正当な戦争を戦う権利があるにもかかわらず)けっして「(北朝鮮に侵攻された場合は)ソウル五輪を返上して戦う」などとは言わなかった。

むしろ逆に、韓国は五輪開催を確実にするために、徹底した外交努力を行った。まず北朝鮮と友好関係にあるソ連など社会主義諸国の大半を(当時韓国と外交関係がなかったにもかかわらず)ソウル五輪に参加させることに成功した。これで、北朝鮮は五輪期間中に韓国を攻撃することが(友好国の五輪選手を危険に陥れることになるため)外交上不可能になった。

そのうえ、米国が五輪期間中、朝鮮半島周辺で大規模な軍事演習をしてくれることになった。米国は空母ニミッツと空母ミッドウェーを釜山沖や日本海に派遣して北朝鮮を威嚇し、同時期に海上自衛隊も日本海で演習を行ったため(読売新聞88年9月23日付朝刊6面「ソウル五輪に目光らす米原子力空母『ニミッツ』」、毎日新聞88年10月11日夕刊2面「ミッドウェーの演習写真を公開」)、北朝鮮の侵攻は完全に不可能になった。

「ソウルの先例」の意味するところは明白だ。五輪開催国(韓国)には「理由の如何を問わず、五輪期間中トラブルを起こさず、五輪を平和的に開催する義務がある」ということだ。

たとえ北朝鮮が「暴発」してソウル五輪が開催不可能になったとしても、韓国政府は「北朝鮮が悪い」と言って済ますことはできない。そもそも「理不尽なことをする隣国(北朝鮮)を持つ、不安定な国」は五輪開催地として立候補してはいけないのであって、立候補し開催権を得た以上、どんな犠牲を払ってでも平和的に五輪を開催しなければならない………これが五輪開催国の義務なのだ。

79年12月、ソ連は隣国アフガニスタンに侵攻した。それを知った世界各国には「ソ連は五輪開催国にふさわしくない」という世論が巻き起こり、日本、米国、中国など多数の国が、80年のモスクワ夏季五輪不参加(ボイコット)という形でソ連を制裁したため、ソ連は正常な五輪を開催できない、という屈辱を味わった。

そうなのだ。中国自身が知っているのだ。五輪開催国は「理由の如何を問わず」武力紛争を起こせば国際社会から「問答無用」の制裁を受けることをいちばんよく知っているのは、中国なのだ。

中国には北京五輪を開催する権利も返上する権利もない。たとえ台湾独立が武力攻撃によってでも阻止すべき理不尽なことだとしても、それに耐えて戦争を我慢して「五輪を平和的に開催する義務」が中国にはあるのだ。

その「義務」を中国がはたさないとわかった時点で、つまり、中国政府が独立宣言した台湾を攻撃すると公言した時点で、世界各国が五輪ボイコットという名の制裁を中国に科し、以後、中国は五輪を開催できなかった無責任な国、韓国より劣る三流国家、というレッテルを世界中の歴史家によって貼られることになる(たとえ台湾政府がどんなに理不尽だったとしても、責任は開催国の中国のみにある)。

その場合、共産党一党独裁体制下の中国では、国内に向かって「中国が全世界から三流国家と認定されました」などというニュースを流すわけにはいかない。民主的な「政権交代のルール」や政府を批判する「言論の自由」のない中国で、政府の権威を失墜させるニュースを発表すれば、日頃の国民の不満が爆発して国家体制を揺るがす暴動になる。そこで中国政府は仕方なく国際社会に対して先手を打って「返上した」と言わざるをえない………これが、上記の王在希の「返上発言」の真意なのだ。

中国には、五輪を「返上するかしないか」を選ぶ、という問題は存在しない。ただ「追い詰められるかどうか」という問題があるだけだ。

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●米軍の壁●
しかも、追い詰められたからといって、台湾を攻撃できるわけでもない。
ソウル五輪の先例で明らかなとおり、米国(と日本)は北京五輪の開催直前および開催中に台湾周辺海域(とくに台湾海峡)で海上軍事演習を行う可能性が高い。

その大義名分は、ソウル五輪のときと同様に「不測の事態で戦争が起きるのを防ぐため」「(中台)双方の暴発を抑えるため」と米国は発表することができる。この言い方なら、中台双方に対して中立であり、「台湾独立を支持しない」「中台間の問題は平和的に解決されることを望む」という、米国(および日本)政府の従来の主張(対中公約)と矛盾しない。

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●人民の感情、傷付かず●
しかし、いかに米国(と日本)が「台湾独立を支持しない」と言っても、米海軍が台湾海峡で軍事演習を行っている間は、中国は台湾に対して軍事力を行使することができない(下手なことをすれば米兵が死傷する恐れがあるので、台湾への海上封鎖も弾道ミサイルの威嚇発射もできない)。

すると、そのスキを突いて、台湾政府は独立宣言をすることができる。時機は、北京五輪開催直前か開会式直後ぐらいの、世界中のスポーツ選手とジャーナリストが北京に集まっているタイミングがよい。

もちろん、その独立宣言を米国(と日本)は支持しない。が、中国が武力で台湾を脅してその宣言を撤回させることもできない。

05年4月に中国各地で反日デモが起き、日本大使館の建物を壊すなどの暴動に発展した際、中国政府(李肇星外相)は「日本政府が歴史認識(小泉首相の靖国神社参拝や歴史教科書の検定)の問題で(日本軍の被害を受けた)中国人民の感情を傷付けたから」と居直り、日本政府への謝罪も賠償も拒否したうえで、台湾問題への日米の態度を批判した(毎日新聞Web版05年04月30日「日中外相会談:反日デモ 外相、謝罪など要求 李外相拒む」)。この理屈に従えば、北京五輪の直前か最中に台湾が独立宣言をし、それに対して米国(日本)が明確な反対をしなかった場合は、「中国人民の感情が傷付く」はずであり、その結果として反米(反日)暴動が起きたり、中国人観客が五輪会場で台湾選手に暴行を働いたりしなければならないことになる。

【米ウォールストリートジャーナル紙(WSJ)は、一連の反日デモは「日本が05年2月に米国との間で決めた(台湾海峡の平和と安定についての)戦略合意から日本を後退させる」ために中国政府が起こしたと分析している(同紙Web版05年4月25日付 社説「北京が謝罪する番だ」)。つまり、「08年8月に台湾周辺で日米合同軍事演習があり、それを利用して台湾が独立する」と中国は警戒している、という推理だ。これを裏付けるように、05年4月23日にジャカルタで行われた日中首脳会談後の記者会見で、中国の胡錦涛主席は「日本側は歴史問題と台湾問題の一連の対応を通じて、自らの約束に背き、中国人民の感情を傷付けた」ので「反省を行動で示すべき」と述べている(産経新聞05年4月24日付朝刊2面「『反省要求』で世論懐柔」3面「首相、主導権握れず」)。この「行動」を産経は勝手に「首相の靖国参拝中止」と解釈したが、WSJは「08年の日米合同演習中止」と理解したのだ。】

が、そんな暴動が起きたら、中国は世界からバカにされてしまう。89年6月の天安門事件は、直前(5月)に北京で開催された中ソ首脳会談を取材するために集まっていた世界中のテレビカメラの前でデモが起きたため、報道との相乗効果でデモがエスカレートし、ついには中国政府が武力でデモを鎮圧する、という野蛮な光景まで全世界にテレビ中継されてしまった。
89年の北京と同様に、08年の北京にも世界中のテレビカメラが集まっているため、ささいなデモも騒動もすべて大ニュースとして全世界に伝えられてしまうし、またそうした報道がデモをエスカレートさせるので、中国政府は状況次第では「天安門事件の再現」をも覚悟しなければならない。

したがって08年8月、米海軍が台湾周辺で演習を開始したあとの北京では、中国政府は反米(反日)反台湾の騒動が一切起きないように、徹底的にデモや暴動を取り締まらなければならない。そして、中国政府が完璧に取り締まってしまうと、(日米など現在台湾と国交のない)世界各国の国民はTVで五輪中継を見ながら、こう判断する:

「台湾が独立宣言したけど、中国の国民は怒ってない」
「みんな五輪を楽しんでる」
「どうやら、中国人民にとって台湾を失うことは痛くもかゆくもないらしい」
「なら、もう『独立台湾』と国交を結ばない理由はないな」

じっさい、台湾が「独立」するのは、現に中国が実効支配しているチベットが分離独立するのとは意味が違う。現在の中国政府(中華人民共和国)は一度も台湾を支配したことはないのだから、支配されたことのない台湾が「支配されてません」と宣言したからといって、いったい中国は何を失うというのだ。

たしかにメンツは失うかもしれない。が、それは支配したことのない土地を勝手に自国領だと言い張った中国のわがままであって、世界各国にはそんなものに付き合う義理はない。北京五輪が終われば、参加各国は「これを機会にもっと経済関係を深めましょう」と中国に言うだけだ。五輪期間中なんの暴動も起きなかった、という既成事実ができたあとでは、中国政府が「台湾の独立宣言で中国人民は傷付いている」などと言っても、なんの説得力もない。

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●台湾放棄●
このまま台湾の独立派、陳水扁総統らの民進党政権が08年8月まで続くなら、北京五輪は、台湾問題が中国にとって「実はあまり重要ではなかった」ということが明らかになる契機になるだろう。

だって、そうではないか。中国が「命に替えても台湾を支配下に置きたい」と思っているのなら、その目的を達する前に、五輪など開催してはいけない。五輪開催国がことの理非にかかわらず五輪開催前・開催中に武力を行使できないことは、モスクワ五輪の経験から中国自身がいちばんよく知っていることではないか。

バカじゃないのか、中国は?
90年代に五輪招致活動を始めさせた中国の最高指導者・ケ小平は、台湾問題を無責任に考えていたか、無能で現実を認識できなかったか、のどちらかだろう。

五輪など、台湾を併合したあとに、ゆっくりやればいいではないか。なんで五輪ごときを焦って、将来海空軍基地として存分に活用できる地政学上の要衝を米国に渡すような愚を犯したのか。ケ小平は「二兎を追う者は一兎をも得ず」を知らなかったのか。

日中間ではよく、日中戦争について歴史認識の不一致が問題になるが、中国側の「現実認識」がこの程度では、不一致は悲劇というより喜劇だろう。

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●北京五輪中止決議●
05年4月28日、米議会下院に、08年北京五輪を中止して開催地を変更するよう国際オリンピック委員会(IOC)に要求する決議案が提出された。理由は、中国政府による脱北者などへの人権弾圧と、台湾攻撃を意図した反国家分裂法の制定だ(共同通信05年4月29日付「北京五輪中止を要求 米下院で決議案提出」)。

奇しくも05年(7月)には12年の夏季五輪開催地を決めるIOC総会が開かれる。この最終候補に残った都市(たとえばパリ)に08年夏季五輪の「代替開催」を要請する、という選択肢がIOCと国際社会にはまだ残されている。

中国には「五輪を返上する」などと生意気な口をきく資格はない。逆に、全世界(IOC)からボイコットされ、屈辱を受ける可能性があるだけだ。

上記の決議案のように国際社会から「中止」という屈辱を突き付けられると、中国政府は意地でも「開催する!」と公言せざるをえないので、ますます台湾攻撃が難しくなる。

これは罠なのだ。

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 (敬称略)

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