●インディペンデンス「大あわて」の謎
1998年1月、アメリカ国防省から、神奈川県の横須賀港を母港とする米第七艦隊の空母インディペンデンスに、中東への出動命令が下った。命令を受けた第七艦隊では、夜間の艦載機の離発着訓練を開始した。
日米政府の申し合わせにより、日米安保条約への日本国民の理解と支持を得るため、夜間離発着訓練を行う際には(その凄まじい騒音で周辺住民が迷惑するので)必ず事前に地元の自治体・住民に説明することになっていた。が、今回アメリカ側は、地元神奈川県の住民にまったく説明することなく訓練を開始した。当然、地元住民・自治体らはアメリカ軍の態度を非難し、抗議したが、アメリカ側はまったく聴く耳を持たなかった。どうやらアメリカ側は「確信犯」として、この訓練を強行したらしい。これについて、日本のマスメディアは「イラク情勢が緊迫しているからに違いない」と報じた。そして、1月下旬インディペンデンスは横須賀を出港していった。この出港の際の「抜き打ち夜間訓練」を含む顛末を見るかぎり、インディペンデンスの動員の背景に何かよほど切迫した事情があり「大あわて」の出港を余儀なくされたことは間違いあるまい。
●米艦隊「過剰集結」の謎
1998年2月4日付けの朝日新聞(朝刊8面)は、イラク空爆に向けてアメリカ政府が動員した戦力の配備状況を紹介する特集記事を載せた。この記事でもインディペンデンスの動員は重視されており、「(すでに)ペルシャ湾にはニミッツ、ジョ−ジ・ワシントンの二空母戦闘群がいて、さらにニミッツと交代する空母インディペンデンスも近く到着する。一時的には空母三隻態勢となる」と述べている(原文のまま)。が、そのあとに「米軍は戦闘機や地上部隊などの増派を続けているが、波状的な空爆作戦なら現在の戦力でいつでも始められる態勢だ」と言っている。そりゃそうだろう。インディペンデンスが来なくたって、米軍はペルシャ湾に2空母群のほか潜水艦1、駆逐艦4、巡洋艦1をすでに配備していたし、ほかにも周辺諸国の米軍基地に以下のような膨大な攻撃力を常駐させているのだ(ディエゴガルシアは西インド洋上の小島である)。
クウェート: F117ステルス戦闘機6、F16戦闘機6、A10攻撃機18
サウジアラビア: F15戦闘機30、F16戦闘機30
バーレーン: F15戦闘機12、F16戦闘機18
トルコ: F15戦闘機6、F16戦闘機22
ディエゴガルシア: B52爆撃機8
たとえアメリカの外交努力が失敗に終わり、アメリカを支持して空爆に参加する国がほかになくとも、アメリカは単独で十分にイラクの兵器開発施設(と疑われる場所)をすべて破壊できるし、イラクにはそれに反撃できるだけの十分な空軍力もないし(生物化学兵器はともかく)核兵器もない(この核兵器こそ、国連の査察団が相当程度その開発計画を摘発し、ほぼ確実にその開発や配備を阻止させた兵器だ)。
このうえ「あわてて」インディペンデンスを呼んでくる必要は、とくにあるまい。必要と思われるのは、クウェート、サウジ、バーレーンの3つのアラブ諸国がすべてそろって自国内基地からの米軍機の発着を拒否し、同時にニミッツもジョージ・ワシントンも食糧や燃料の払底した「油切れ」で使えない場合ぐらいだが、そんなことは、まずない(「油切れ」というのはあくまで比喩的な表現であって、厳密にこの問題があてはまるのは艦載機の燃料についてだけだ。空母自体は原子力空母なので、燃料の補給は半永久的に必要ない。たとえば発電の場合、わずか1キログラムの濃縮ウランを積んでいるだけで石油なら5000、石炭なら8000キログラム分の電力を起こせる)。3か国のうち1か国の基地でも使えれば(それをトルコやディエゴガルシアにいる空軍と併用することによって)、イラクの首都バグダットを相当程度破壊できるし、だいたい2空母群とも当分メンテナンスの必要がなく、実戦で戦える状態だからこそ現在実戦配備についているのだ。
つまり「一時的に空母を3隻」にすることの意味が、どうも見当らないのだ。そこで、筆者は地球儀を見ながら考えた。地理的条件を考慮しながら軍事戦略を検討すること(地政学)は、世界中の大国の軍人や政治家がみなやっていることである。
●早くもマラッカ海峡閉鎖の恐怖!?
中東はマラッカ海峡の西にあり、そして横須賀は東にある。横須賀を出港したインディペンデンスはマラッカ海峡(またはインドネシアの領海)を通ってインド洋に抜け、ペルシャ湾に向かった。
ここで仮説を立てて考えてみよう。筆者の言う「インドネシア石油危機」またはそれにつながる、その「本番」にかなり近い形の混乱が、マラッカ海峡ないしインドネシアの領海で、2月ないし3月に起きるのであれば、「あわてて出港」したことは合理的に説明できる。極端な話、インドネシアのスハルト体制が崩壊して内戦に突入し、反政府ゲリラ勢力がマラッカ海峡に機雷を撒けば、インディペンデンスはペルシャ湾に行くことができなくなる。横須賀を母港とする第七艦隊(空母群)の管轄海域は、ウラジオストックからインド洋まで(ペルシャ湾は第五艦隊、地中海は第六艦隊の管轄)であるから、マラッカ海峡(インドネシア領海)の封鎖(内戦)は、アメリカ海軍の活動能力を著しく低下させる「悪夢」なのだ(たとえば今回行われつつあるような、空母同士の「交代」はほとんどできなくなり、各管轄海域において「油切れ」や「メンテ」時の空母戦力の「空白」が生じてしまう。軍隊は24時間365日一瞬といえども休むことが許されない組織であるから、これは致命傷になりかねない)。
が、2月のインドネシアには、大統領選挙(国民協議会MPRによる間接選挙)はない。大統領選挙や外国元首の訪問などのような国家の威信のかかったイベントがあれば、それをテロで妨害したり、その取材に来る海外メディアに混乱を見せ付けたりするといった方法で国家を混乱に陥れることは簡単だ。たとえば1989年5月には、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長が北京を訪問し、当時事実上中国の最高指導者だったトウ小平らと会談した。このとき、北京の学生運動(を操ったイギリス・ユダヤ系のスパイ機関。彼らは当時「香港返還」で香港のイギリス利権が消滅するのを恐れていた)は、この中ソ首脳会談を取材するために世界中から集まっていたテレビカメラを利用した。
北京の天安門広場で大規模な集会を開けば、メディアはゴルバチョフの手前、中国政府は(いつも中国各地で行っているような)「手荒な」鎮圧はできないはずだ、と読んで、学生運動側は「カメラの前で」集会を開き、反政府のスローガンを掲げた。しかし、共産党独裁体制への激しい非難がメディアの報道によって中国全土に飛び火するのを恐れた中国指導部は、人民解放軍を出動させて天安門の群衆を蹴散らした。当然、それは全世界にそのまま「生中継」で報道され、中国は「野蛮」で「混乱」した国という印象になってしまった(実は中国では、とくに内陸の新強ウイグル自治区などでは、このような「内乱」は実は日常茶飯事であって、このときとくに「野蛮化」したわけではない。キッシンジャー国務長官は1990年1月新春に放映された当時のNHKの日高義樹アメリカ総局長のインタビューに応えて、思わず口をすべらせて「あんなのはべつに珍しいことではない。たまたま中ソ首脳会談で全世界のテレビカメラが集まっているときに起きたからニュースになっただけだ」と言ったあと、あわてて否定し「中国の友人として心を痛めている」と言い直した)。
たしかに3月のMPRの前後なら、インドネシアの首都ジャカルタで(小規模な)爆弾テロを起こすだけで十分に「混乱」した状態を「演出」できる。それを(MPRを取材しにきた)世界のメディアの報道によってインドネシアの全国民に知らせることは簡単で、そうできればインドネシア全土で暴動を続発させ、スハルト政府を「非常事態宣言」や「戒厳令」を出さざるをえない状況に追い込むことも、それに対抗する反政府ゲリラ勢力を「育てる」ことも(少ないスパイ工作予算で)簡単にできるのである。だから筆者は昨年夏からずっと98年3月があぶないと言ってきた(正確には「97年9月または98年3月」があぶないと言ってきた。ほんとうは上記の理由で3月がいちばんあぶないと思ってはいたが、先に9月という重要な月がまわってくるので、そこでやられてしまうと筆者には「予言」をするチャンスがなくなってしまう。9月には日米安保の「 ガイドライン」協議、9ないし10月には中国共産党大会、米中首脳会談などの重要な日程が目白押しだったので、これにぶつけてアメリカがスパイ工作をするのではないかと懸念したのである。だから、筆者はけっして「9月でなければ10月、10月でなければ11月……」などというような、 占い師や自称超能力者がよくやるような、だらだらした「麻原型」の無節操な「予言」はしなかった。10月や11月よりも3月のほうが圧倒的に確率が高いと思っていたからである)。
しかし、3月と違って、2月にはインドネシア全土を一気に「非常事態」に持っていけるような、そういう「きっかけ」に利用できそうなイベントは予定されていない。したがって、2月にマラッカ海峡やインドネシア領海が航行不能になるには、内戦以外の何かが必要なはずである。それがなければ、インディペンデンスが1月下旬にあわてて横須賀を出港したことをインドネシア情勢と結び付けて考える筆者の仮説は成立しない。
●スハルトの「とおせんぼ」
それは、すぐにみつかった。インドネシア政府によるアメリカ海軍への「領海通過制限」通告(の可能性)である(インドネシア石油危機の「原因・伏線集」のコーナーの末尾を参照)。これは、かつて数年前に一度インドネシア政府(スハルト現大統領の政権)によって試みられた。それまでアメリカ(とオーストラリア)の軍関係の艦船は、インドネシア領海の中のどの海峡、どの水路でも自由に通って、太平洋とインド洋のあいだを行き来してた。緊急時には当然「近道」を使えるし、また使える水路がたくさんあるので、どの水路を通ったかを軍事機密として秘匿することも容易だった(とくに、原子力潜水艦はまったく浮上航行せずにさまざまな水路を選んで通れるので、たとえばイラク政府は、今回インディペンデンスに同行している潜水艦が何隻なのかまったく把握することができない)。が、この数年前のスハルトの「とおせんぼ」宣言は、使える水路の数を(数百通りから)たったの4通りに減らせ 、というもので、当然ながらアメリカ政府(国防省)の反発を買い、当時はうまくいかなかった。が、今回はどうであろうか?
現在インドネシアは通過危機を打開するため、アメリカやアメリカに本拠を置く国際通貨基金IMFによって財政支援を受けている。しかし、助ける側のアメリカらは、当然インドネシアに緊縮財政による財政再建を要求している。このため、今後短期的(少なくとも2〜3年)には、たとえ通貨ルピアの相場などの経済指標がよくなろうとも、それとは別に庶民レベルでは失業が増え、困窮する者が増えると予想される。このような状況では、国民はスハルト現体制に不信や反感を抱くに相違ない。
たしかに、MPRは間接選挙であって、直接「怒れるインドネシア国民」がスハルトを落選させるような投票行動を取ることはできない。が、逆にそれだからこそ、暴動のような危険な形で反政府感情が吹き出す恐れがある。そして、その恐れが相当強ければ、体制内部の勢力、たとえばスハルトの権力基盤である軍のなかに、反スハルトの「クーデター」などに走る者が出てくるのではないか、と一部の専門家は懸念している。
そこで、かつて試みた「領海通過制限」をもう一度、スハルトが宣言する可能性が考えられるのである。「スハルト政権がだらしないばかりに」わが祖国インドネシアは屈辱的な「アメリカの属国」ないし「IMF管理国家」となり、国家予算の編成すら自由にできず、そ のために庶民が失業やインフレで苦しんでいる、と思っている国民は少なくない。このような国民の不満を、政権ではなく、外国(アメリカ)に向けさせ、ナショナリズムを煽って国内の団結を促す(しかし、同時にアメリカなどの支援は受け続ける)には、スハルトには、インドネシアがアメリカの属国でないことを示す必要があるはずである。
●「わたしは『アメリカの飼い犬』ではない」
このような意思表示にいちばんふさわしいのが、米軍艦船の領海通過制限なのだ。とくに、インドネシアはイラクと同様、国民の大多数がイスラム教徒の国である。たとえば、インドネシアのイスラム勢力が、スハルトに対し「イラクの同胞がアメリカ軍に殺されようとしているが、わが国はそれを支持するのか」と問いつめた場合、「支持しない」と言わなければ、スハルトは「アメリカの飼い犬」と呼ばれるようになり、その威信を決定的に失墜させてしまう恐れがある。
おそらくアメリカ国防省情報部(DIA)あたりが、スハルトが2月中に領海通過制限を一方的に宣言し、国内での威信の回復をはかる恐れがあると読んだに違いない。たしかに前回と同様「宣言」だけで、ただちにアメリカ海軍の活動に支障をきたすはずはないが、今回は前回と違ってインドネシアの政情がきわめて不安定なので、「宣言」を無視して米海軍の艦船がインドネシア領海を強行突破すると、「不測の事態」、つまり米保守本流グループが数年前から計画してきた「予定表」(サミュエルズのシナリオ)とは違った形で「危機」が起きる恐れがある。だから、アメリカは、「宣言」が出る前に(結果的には宣言は出ないかもしれないが、「ギャンブル」はできないので)「あわてて」インディペンデンスを出港させたのだ。
したがって、今回のインディペンデンスの緊急発進はイラク情勢とは無関係である。イラク情勢にかこつけて「宣言」によって、第七艦隊がインド洋に自由に出られなくなった場合に備えて、あらかじめそれをマラッカ海峡の西側に移動させておいた、というのが今回の「大あわて」の真相であろう(したがって、マラッカ海峡の東側の朝鮮半島では、少なくとも空母を使わなければならないような危機はここ2〜3か月は起きない、とアメリカ国防省は確信していることになる。筆者は1997年夏から北朝鮮の崩壊などによる「朝鮮半島危機」は大した問題ではないと言い続けてきた。それは、サミュエルズが「シミュレーション」で明らかにしていたからである)。
●ニミッツ帰還せず
上記の筆者の仮説が正しいなら、ニミッツはけっしてインディペンデンスのペルシャ湾到着を受けて錨を上げ横須賀に向かって出港することはなく、相当期間、なんらかの理由で中東周辺(というより、マラッカ海峡の西側)にとどまるはずである。
インディペンデンスは2月6日頃ペルシャ湾に着いた。横須賀を出港してから約2週間で到達している。もし(筆者の仮説でなく)米軍筋が当初流していた「イラク情勢の急変を受けてニミッツと交代するため」という発表(や新聞報道)が正しければ、ニミッツはただちにペルシャ湾を離れ、マラッカ海峡(インドネシア領海)を逆方向に通過して2月下旬には横須賀に帰ってくるはずである。
しかし、筆者の予言(でなく科学的予測)では、インドネシアの政情は2月よりも3月のほうが危険なので、ニミッツが2月下旬に横須賀にいる(そしてインディペンデンスがその時期中東にいる)のは、要するに1月下旬と同じことで、もし3月にインドネシア領海もマラッカ海峡もともに通行困難となるような「内戦」が起きると、それこそアメリカ海軍の活動能力の著しい低下につながってしまう。だから、ニミッツは(「油切れ」しておらず)なんらかの口実を付けて、相当期間中東にとどまると筆者は推理したのだ。
●「インドネシア危機」発生時の米海軍
はたして、推理は正しかった。2月8日午後0時50分のNHK-BS1のニュースは「当初数日後にインディペンデンスと交代する形でペルシャ湾を離れて横須賀に向かうと見られていたニミッツは、スエズ運河から地中海を抜けるコースを取ることになり、このため、今後しばらくの間は実質的な空母3隻態勢が続くことになった」と報じた(空母艦載機の航続距離が長いので、ニミッツはペルシャ湾にいようと東地中海のスエズ運河付近やトルコ沖にいようと、イラク空爆には参加できるのである)。
これではっきりした。ニミッツは「油切れ」などしていない。十分な戦闘継続能力を保持しており、したがって、インディペンデンスが「あわてて」発進したのは、このニミッツとの交代するためでないことは明白だ。
おそらく、ニミッツは東地中海でイラク情勢等を口実に相当期間ウロウロしたあと、地球をゆっくり「逆まわり」して横須賀に戻るのだ。アメリカは今回、イラク情勢を口実に、インドネシア危機発生時の、マラッカ海峡が通れない状況での空母の交代・連携の訓練を行った可能性が高い。そして、ニミッツが横須賀に戻るとき、すでにマラッカ海峡やインドネシア領海は、航行が困難になっているかもしれないのだ(それは同時に、中東から日本や韓国や香港への石油の輸入が困難になっていることをも意味する。実は筆者は、ここまで事態が深刻化するには、3月の大統領選挙から数か月はかかると思っていたのだが……)。
これこそ、インドネシア石油危機そのものである。