タイブレーク制

は日本の陰謀?

イ・スンヨプの謎

その2

 

〜シリーズ

「北京五輪」

(3)

 

(Aug. 04, 2008)

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■イ・スンヨプの謎〜シリーズ「北京五輪」(3)■

 

北京五輪野球「タイブレーク制」導入は日本の陰謀か。また、2008年4月に絶不調で2軍落ちし、7月に1軍復帰して本塁打を打ったイ・スンヨプ(巨人)が北京五輪野球韓国代表チームに参加するが、彼は日本代表(星野JAPAN)の脅威になるのか。

 

 

 

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●星野JAPANの脅威?●

 

世界最終予選のあと、イ・スンヨプは巨人(1軍)に合流し、2008年シーズンの開幕戦から先発メンバー(スタメン)として試合に出た。

 

が、また「絶不調」に陥った。開幕から13試合の成績は、52打数7安打2打点、打率.135、本塁打0本(12三振)という惨憺たるもので、結局4月14日からスタメンをはずされ、同時に2軍に落とされた (NPB Web 2008年7月29日「個人年度別成績 李承ヨプ(読売ジャイアンツ)」)。

 

 

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2軍に落ち、2軍のリーグ、イースタンリーグの試合に出ると、イ・スンヨプの打棒は復活(?)した(中央日報日本語版2008年7月22日付「野球 李承ヨプが本塁打…五輪控え打撃感戻す」、同7月23日付「野球 李承ヨプ、2軍で2試合連続の本塁打」)。

 

 

 

 

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彼は2008年シーズンは、7月24日まで37試合に出場し、117打数38安打22打点、打率.325、本塁打7本を記録し(NPB Web 2008年7月29日「2008年度 読売ジャイアンツ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)」)、まさに「2軍の四番」にふさわしい大活躍だった。

(>_<;)

 

 

 

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この「大活躍」を巨人(1軍)の原辰徳監督が評価したのかどうかはよくわからないが、7月25日、巨人はイ・スンヨプを1軍に上げ、対ヤクルト戦のスタメン、六番一塁で起用した。

すると、復帰初日と翌26日はヒットがなかったが、27日にはセンターオーバーの大きなソロホームランを放った。

28〜29日の対広島戦は先発投手が左投手だったため、原監督が「左対左は打者が不利」という野球のセオリー(常識)を考慮したのか、左打者のイ・スンヨプはスタメンをはずされた。

復帰後、この29日までのイ・スンヨプの成績は、5試合で、12打数2安打3打点、打率.167、本塁打1本だった。

 

 

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しかし、スポニチWeb版(2008年7月28日)は、7月27月の大本塁打をイ・スンヨプの打棒復活ととらえ「星野ジャパンにとって大きな脅威」になると報じた(中央日報日本語版2008年7月28日付「日本メディア『李承ヨプ、星野ジャパンの大きな脅威に』」)。

彼はまた、その翌日の28日の広島戦には代打で出て、2点タイムリーヒットを打っているので、たしかに27日の本塁打をきっかけに「かつての打棒が復活した」と解釈してもいいのかもしれない。

 

 

 

 

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このイ・スンヨプが、北京五輪野球韓国代表チームに参加し、2008年8月16日、五輪本大会一次L(予選L)で、星野仙一監督率いる日本代表(星野JAPAN)と対戦する。

では、2008年8月現在のイ・スンヨプが、星野JAPANの脅威になるかというと…………答えは「NO」だ。

 

たしかに彼の打力は復活した。しかし、2006年の「一流時代」の打棒が復活したわけではない。その証拠に、相手投手の左右にかかわらずほぼ1年間スタメンで出場し続けた2006年当時と違って、今年2008年は、原監督は、対戦相手が左投手を出して来ると、イ・スンヨプをベンチに引っ込める。

 

 

 

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おそらく、復帰後のイ・スンヨプは1年間120試合ぐらいスタメンで出れば、2005年や2007年と同様に、本塁打30本ぐらい打つ力はあるだろう。但し、その30本の大半は、2008年7月27日のヤクルト戦の本塁打のように、試合の勝敗にあまり関係ない、どうでもいい場面での、主としてエース級でない投手の投球を打ったもの、あるいは、2006年WBCの日本戦の本塁打のように、失投を打ったもの、ということになるだろう(Yahoo!プロ野球 - 2008年7月27日「巨人vs.ヤクルト 成績」)。

 

そして、その程度の打力なら、制球力のある、日本球界のエースを揃えた星野JAPANの一流投手陣にとっては、なんの脅威にもならない。なぜなら、星野JAPANには、「二流時代」のイ・スンヨプの弱点を知り尽くした里崎がいるからだ。

 

 

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【筆者は、イ・スンヨプ復帰後の5試合のうち4試合をTVで見たが、なんとなく、原監督は、もうイ・スンヨプをほとんど使いたくないのではないか、という気がした。

つまり、「左対左」を理由に仕方なくときどき引っ込めているのではなくて、(元々1試合も出したくないのだが、巨人が韓国のTV局から巨人戦の中継放送権料を受け取ってしまっているので)仕方なく右投手のときにはスタメンや代打で出すもの、「左対左」などの口実がみつかると、「これ幸い」とばかりにベンチに引っ込めているように見えるのだ。

その証拠に、7月26日のヤクルト戦では、五回表ヤクルトの攻撃中、巨人の先発投手エイドリアン・バーンサイド(豪州)を降板させて、リリーフ(救援)投手の越智大祐と替える際、バーンサイドの打順(九番)に三塁手の二岡智宏を、一塁手のイ・スンヨプの打順(六番)に越智を入れ(三塁手だった小笠原道大を一塁手にまわし)、「守備固め」を口実にしてイ・スンヨプを引っ込めてしまったからだ(この時点で、ヤクルトの投手は右投げの増渕竜義だった(Yahoo!プロ野球 - 2008年7月26日「巨人vs.ヤクルト 成績」)。】

 

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●2006年の謎●

ところで、2008年のイ・スンヨプにはなぜ「一流時代」の打棒が復活しないのだろう。いや、それ以前に、そもそも2006年5〜10月に限っては、なぜ彼は別人のように打棒が爆発したのだろう。

 

この謎を解くカギは、意外に思われるだろうが、北海道日本ハムファイターズ(日)のフェルナンド・セギノール内野手(2002年はオリックスブルーウェーブ、2008年8月から東北楽天ゴールデンイーグルス)にある。

 

彼の年度別打撃成績は以下のとおり:

 

【セギノールの年度別打撃成績(1軍公式戦)】

年 団 試 打 安 点 本 率

02 オ _89 280 _57 _47 23 .204

04 日 125 443 135 108 44 .305

05 日 133 544 141 _86 31 .288

06 日 132 540 143 _77 26 .295

07 日 134 546 117 _68 21 .249

[資料:NPB Web 2008年7月29日「個人年度別成績 セギノール(北海道日本ハムファイターズ)」]

 

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セギノールはパナマ人だが、2006年WBCにパナマ代表として出場することはなかった。

彼は2006年シーズン中は上記のように、日本ハムの四番打者として、打率.295、77打点、本塁打26本の成績を上げ、チームをリーグ優勝、日本シリーズ制覇に導いた。

 

日本シリーズに勝ったチームは、11月に行われるコナミカップ(コナミ杯、アジアシリーズ)に出場し、韓国や台湾の国内リーグのチャンピオンと戦うことになる。が、なぜかセギノールは日本シリーズ後に家族に会うために渡米し、当初はコナミ杯前に再来日するはずだったのに、「パスポートの期限切れが判明、発給手続きに時間がかか」っているという理由で再来日せず、コナミ杯を欠場した(北海道新聞2006年11月8日付朝刊21面「プロ野球 アジアシリーズあす開幕 日ハムファイターズ 八木で行く」)。

 

 

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【日本ハムはセギノールを欠いたが、結局コナミ杯で優勝した(読売新聞Web版2006年11月10日「ラニュー対日本ハム 詳細情報:試合結果:アジアシリーズ」)。】

 

翌2007年、セギノールは引き続き日本ハムに在籍したが、打率、打点、本塁打ともに2006年を下回り、2007年のシーズンおよび日本シリーズが終了すると、日本ハムから解雇された(2007年のコナミ杯には、日本シリーズで日本ハムを倒したセ・リーグの中日が出場し、優勝)。

 

 

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さて、なぜセギノールは2006年のコナミ杯を「パスポートが期限切れのため、母国でない米国で発給申請中」などという珍妙な理由で欠場したのか…………渡米する前に、日本にいる間にパスポートを一度も見なかったのか…………。

ほかにもっと合理的な理由があるのではないか。たとえば、2006年のシーズン中の試合や日本シリーズのような国内試合とは異なり、国際試合であるコナミ杯では、国際試合につきものの「ある手続き」が行われるが、それこそがセギノールのコナミ杯欠場の真の理由ではないのか。

 

この「手続き」は2006年当時は、NPBでは国内試合では実施しないことになっていた(MLBはそれ以前から国内試合でも実施していたが、あまり厳格ではなかった)。だから、2006年のセギノールは、この「手続き」を免れた状態で、4〜10月に日本国内の試合でガンガン打ちまくっていたのだろう。

 

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これはイ・スンヨプについてもあてはまる。

彼が2006年3月に出場したWBCは、MLBの主催だが、国際試合なので、上記の「手続き」が行われた。韓国代表としてWBCに出たイ・スンヨプも、この「手続き」を意識しつつ、日本と3試合戦った結果、上記の如く、11打数1安打(4三振。打率.091)の「扇風機」状態だった。

 

この「手続き」のない、NPBのシーズン中の国内試合では、イ・スンヨプは既述のとおり、2006年5〜10月に巨人の四番として大活躍した。

が、巨人が優勝しなかったため、彼は同年11月のコナミ杯には出場しなかった。

また、同年12月には、カタールのドーハでアジア大会という国際試合が行われたが、その野球競技の韓国代表として、彼が参加することもなかった。

つまり、2006年11〜12月に、彼は「手続き」のある試合には出ていないのだ。

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その後、NPB、MLBともにこの「手続き」についての方針を、より厳格な方向に変えたため、2007年以降は、これはかなり厳格に実施されることになった。そのせいか2人とも、2007年の成績が2006年に比べて大きく悪化している(とくにセギノールの打率は、2006年の.295から2007年の.249へと下がっており、凋落が著しい)。

 

つまり、2006年4〜10月は、イ・スンヨプにとってもセギノールにとっても、この「手続き」に煩わされることなく(自由に?)活躍することのできた最後のチャンスだったのだ。

 

 

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2008年3月の世界最終予選は、国際試合なので、当然この「手続き」が行われたが、その際、イ・スンヨプは南アフリカやドイツが相手の試合では打ちまくったものの、MLB傘下のマイナーリーグの3A、2Aなど、大リーガーになれそうな潜在力のある投手を多数擁するカナダとの試合では、4打数0安打(3三振)だった。

 

その後、イ・スンヨプは日本の2軍の試合では3割以上の高打率をマークしているが、2軍の試合は1軍の試合ほど緻密ではないので、この高打率は彼の打棒の復活を意味しない。つまり、2軍では、1軍のように、大勢の「先乗りスコアラー」が次の対戦相手の試合を偵察して、相手打者の弱点を探る、といったことは行われないので、イ・スンヨプは自分の弱点を知らない2軍の投手を相手にヒットを量産することができたのだ。

 

 

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他方、カナダ代表チームは、代表チームである以上、国家の威信を賭けて勝利をめざすために、対戦前にスコアラーを日本や韓国に派遣して、対戦相手の打者のデータを収集する。したがって当然、カナダ代表チームはイ・スンヨプの弱点を探り当てることができ、それを制球力のある3Aクラスの投手たちに教えてマウンドに送り出せば、彼を4打数0安打に抑えることぐらいはできる。というか、じっさい、そうしたに違いないのだ。

 

 

 

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そして、もちろん北京五輪本大会も国際大会なので、問題の「手続き」はある。

過去の例を見る限り、イ・スンヨプは、前後にこの「手続き」のある試合が控えている場合は、先乗りスコアラーから対戦相手の情報を得ているチームの、制球力のある投手を打つことはできない(彼はWBCの米国戦では打っているが、このときの米国代表チームはろくに合宿もしない「寄り合い所帯」であり、元巨人内野手のデーブ・ジョンソン監督が率いる北京五輪野球米国代表チームのような、綿密なチーム作りは行われていなかった)。

したがってイ・スンヨプは、北京五輪本大会一次Lの、日本戦、カナダ戦はもちろん、米国戦、キューバ戦でも、ほとんど打てないだろう(中国戦、オランダ戦ではガンガン打てるだろう)。

 

 

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では、その「手続き」とはいったい何か…………それは筆者にはもちろんわかっているが、それをここで書くと、名誉毀損になる恐れがあるので、書けない。

(>_<;)

【2007年11月某日配信の小誌記事で示唆したように、星野監督はこの問題を見破る目を持っている。筆者が星野監督を、日本代表の、つまり国際試合の監督にふさわしいと考える理由は、まさにこれなのだ。だから、星野JAPANの「イ・スンヨプ対策」について、筆者は心配していない。】

 

 

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【いまや、野球は、サッカーと同様に、国境を越えて大勢の選手が移籍する国際スポーツビジネスの1つになったのだから、この「手続き」のことを知らないようでは、元プロ野球選手の評論家といえども、国際試合の解説を的確に行うことはできない。だから、星野監督の采配を批判したい評論家や記者は、まずその前に、こういった「国際スポーツビジネスの基礎」を学んでもらいたい。】

 

 

 

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【巨人は2007年1月、「育成コーチ」(のちに打撃コーチに配置転換)としてKBOのサムスンでイ・スンヨプのチームメイトだったキム・キイテ(金杞泰)元内野手を招聘した(読売新聞2007年1月18日付21面「巨人の新育成コーチに金氏/プロ野球」、スポーツ報知2007年10月30日付5面「巨人・金杞泰育成担当コーチが打撃コーチに配置転換」)。

2008年4月、イ・スンヨプが2軍落ちした直後には、「研修コーチ」(2軍打撃担当)として同じくサムスンでイ・スンヨプのチームメイトだった、キム・ジョンフン(金鐘勲)元外野手を迎えると発表した(読売新聞2008年4月15日付朝刊25面「巨人の研修コーチに金氏/プロ野球」)。

この2人のコーチが通訳なしで話せる選手がイ・スンヨプしかいないため、彼らは事実上、イ・スンヨプ個人の「専属コーチ」だが、これはNPBでもMLBでもほかに類例のない、一般の野球ファンから見ると、ほとんどカネの無駄としか思えない、破格の待遇である。

が、その専属コーチの役割が、イ・スンヨプが例の「手続き」を無事に切り抜けられるように「あることをやめるタイミング」や「それをやめたあとの練習方法」を助言すること、あるいは「手続きに必要なものを本人に代わって提出すること」だとすれば、非常によく理解できる(万一イ・スンヨプが「タイミング」を間違えると、巨人の歴史に傷が付くのだから)。】

 

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 (敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

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【この問題については次回以降も随時扱う予定です。
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